同行
ぴちゃ、ちゃ……水の滴る音で、ラーメルトは目を覚ました。
寝台の上で伸びをして、上体を起こす。隣の寝台の向こうに衝立が立てられ、その陰で、フルメアが沐浴をしているようだった。
「あー……早いですね」
がたっ、と衝立に何かが当たる音がした。
「起きたのね。少し待ってくれる? ――覗かないでよ!!」
「終わるまで、お待ちしていますよ。……ところで、お湯と桶は、階下から?」
この手の酒場兼宿では、朝の間だけ一階の奥で湯を沸かし、桶で浴びられる場所がある。もっとも男女の別があるわけでもないので、使うのはもっぱら男の客だ。
「階下で酒場の人に聞いたら、部屋まで持ってきてくれたのよ」
女性客には桶を運んでくれるのか、と感心しているうちに、フルメアが衝立から出てきた。
湯の匂いが、部屋の埃くささを押しのける。濡れた髪から落ちた滴が、服の肩口に、点々と染みを作っていた。
「ラーメルトは、どうするの?」
言われて、自分の袖に鼻を寄せる。昨夜、襲撃者と対峙して汗をかいた。……少し、匂う。
「では、階下へ行って浴びてきます」
「え? これを使えばいいじゃない」
フルメアは、こともなげに桶と衝立を指差した。
「いえいえ。さすがに、それはお断りします」
「私は気にしないわよ?」
自分が見られる分には威嚇しておいて、こちらは良いのだろうか。腑に落ちぬまま、しかし時も惜しい。
「……余裕のある状況でもありませんし、お借りしますね」
フルメアが頷いて寝台へ戻ったのを確かめ、衝立の陰へ移る。桶の水は、まだ温かかった。上着を脱ぎ、上半身を拭き始めたところで――衝立の手前から、声がした。
「魔術師って、もっとこう……ひょろっとしてるものだと思ってたわ。背中、厚いのね」
ラーメルトは額に手を当て、ため息をひとつ落とした。
「魔法ばかり学んできましたが、その魔法が使いにくいご時世ですからね。剣は、母から仕込まれました。気がついたら、こんな有様に。……剣の出番など、ない旅であってほしいものですが」
「お母さんに? 剣を?」
「ええ。それはもう、熱心に」
布を絞る。肩の筋が、動く。
――衝立の端から、目がひとつ、じっとそれを追っていた。
ひととおり拭き終えて、ラーメルトは背を向けたまま言った。
「……寝台の方へ、お戻りくださいね」
◇
身支度を終え――昨夜の乱闘で穴の空いたマントは、丈夫な予備に替えて――宿の主人に挨拶をして、ふたりは表へ出た。
荷車の軋み。焼きたてのパンの匂い。石畳へ水を撒く音が、道の先から、いくつも重なって聞こえてくる。
昨夜、この石畳で人に斬りかかられたとは、思えない朝であった。
「さて。フルメアは、これからどうしますか」
問いながら、ラーメルトは考えていた。
彼女の探す相手は「王国の紋章の鎧を着た者たち」――この王都に、掃いて捨てるほどいる。姿かたちは伝聞のみ。探しようがない。逆に、襲った側が彼女を見つければ、今度こそ連れ去られかねない。昨夜の連中のことを思えば、ひとりにしておくのは、どう考えても分が悪い。
「そうねえ。王都まで来たはいいけど……どうしたものかしらね」
フルメアは、袖の端を指で撚っていた。撚っては離し、また撚る。
先に口を開いたのは、ラーメルトのほうであった。
「しばらく、私と行動しませんか。その方が話も入りやすいでしょうし、ひとりでいるよりは、安全かと」
「えー。でも、あなた、昨日襲われたわよね?」
「そう、ですが……」
痛いところを的確に突いてくる人である。
「あなたの村の襲撃と、昨夜の襲撃が、どうも繋がっている気がするのですよ」
魔術師行方不明の件は、極力伏せた。まだ、憶測の域を出ないからだ。
フルメアは、しばらく疑わしげな目を向けていた。
その目が、ふ、と緩む。
「しょうがないなぁ」
伸びてきた手が、ラーメルトの胸に置かれた。よろしく、と、小さく。声は、朝の雑踏に半分持っていかれた。
ラーメルトは、その手を取って強く握った。
――指先が、冷たかった。
「極力守ります。ただし、危険を感じたら、逃げてくださいね」
「その言葉、どこまで信じていいのかしら。昨日、魔結晶を使い損ねた人よね?」
「……善処します」
不毛なやり取りが、しばらく続いた。
「行き先ですが――ノルデン街道を、北西へ進みます。あなたにとっては、戻る道になりますが、よろしいですか」
襲撃があるとすれば、王都を出てからだろう、とラーメルトは踏んでいた。街道の方が襲いやすく、襲われると知っている側は、気の休まらぬまま磨り減っていく。目的地までの、多くて二度の野宿。そこが勝負どころになる。
「ノルデン街道ね」
返事までに、ひと呼吸あった。
「……大丈夫よ」
大丈夫、と言う声が、少しだけ高かった。
「では、王都を発つ前に――ひとり、連れて行きたい人がいます。まずは、そこへ寄りましょう」
歩き出したふたりの脇を、冒険者の一団が足早に追い越していった。その先、通りの角の依頼板の前に、人だかりができている。
板に留められた羊皮紙は、昨日より、明らかに増えていた。討伐、討伐、また討伐。
朝風に、羊皮紙の縁が、いっせいにめくれる。
――北。
これから、ふたりが向かう方角である。




