刀と神殿
中心街からノルデン街道へ続く通りを、ふたりは歩いていた。
やがて、ラーメルトの足が止まる。指さす先の一軒、その煙突から、細く煙が立ちのぼっていた。
近づくにつれ、カン、カン、と規則正しい音。開け放たれた戸口から、熱と、焼けた鉄の匂いが、通りへ流れ出していた。
「鍛冶屋? に、連れて行きたい人がいるの?」
旅に鍛冶屋は要るまい、と言わんばかりの顔である。
違いますよ、と首を振って、ラーメルトは戸口から出てきた男へ声をかけた。
「グラディオさん、どうも」
手に鎚を提げた男――グラディオは、遠目にもラーメルトのそれより太い腕をしていた。険しい職人の顔が、ラーメルトを認めてわずかに緩む。
「ラーメルト! 元気にしてたか!」
ばしっ、と平手が腰に飛んできた。たまらず苦笑する。
「ええ、このとおり。……こちらはフルメア。このたび、ノルデン街道を一緒に行くことになりまして」
グラディオの目が、フルメアを認めて、いちど輝いた。
それから、みるみる萎んだ。
「なんじゃ。結婚の報告でもしに来たかと思うたぞ」
豪快な笑い声。ラーメルトは苦い顔で首を振り、フルメアは、違います違います、と両手を懸命に振っていた。
「今日は、預けていたものを受け取りに来ました」
「おう、あれか! しっかり手を入れておいたぞ。待っとれ!」
威勢のよい声を残して、グラディオは建物へ引っ込んだ。
「預けていたもの」。その一言に、フルメアは小さく息を呑んだ。
今朝の厚い背中も、剣は母から、という話も、頭では受け止めたつもりでいた。だが、現役の職人の手から、当たり前の顔で武具を受け取ろうとするその横顔を見ると、話は別だった。
彼女の知る魔術師は、軽装を好み、書物に埋もれ、剣も鎧も持てぬ者ばかりだ。この人が身に着けようとしているのは、昔の嗜みなどではない。今も本気で、命のやり取りに備えている者の、静かな重さだった。
「このご時世ですからね。魔法が使えなければ、魔術師もただの人です。剣と鎧で身を守れる方が、いくらか危険に強い。父は嫌がっていましたが――母が、それはもう、熱心に」
そこで言葉が切れ、ラーメルトはふと、戸口の外の空へ目をやった。
「……朝も聞いたけど。ラーメルトのお母さんって、その、もう……いないの?」
フルメアが気遣わしげに声を潜めた、まさにそのときだった。
じゃらり、と金属が擦れ合う重い音とともに、グラディオが建物から姿を現した。その腕には、胸当てと篭手の一式が抱えられている。
「がはは! 嬢ちゃん、ラーメルトの母親は、王都の神殿長をしとるよ。あれはまだまだ、相当に長生きするわい」
「勝手に殺さないでくださいよ」
ラーメルトが口元をほころばせると、フルメアの顔がみるみる赤くなった。
「もっともらしい風に、遠い目をするから!!」
ばしっ、と腰を叩く音が響いた。グラディオのときより、良い音がした。
◇
ラーメルトは、グラディオから受け取った武具を身に着けた。全身を覆う鎧ではない。可動を妨げぬ篭手と、心臓を守るだけの胸当て。
彼がそれらの具合を確かめるように体を軽く揺らすのを見届けてから、グラディオは一度奥の作業台へ戻り、今度は布に包まれた長いものを両手で恭しく差し出した。
「お前の母親から預かって、研ぎ直しておいたのはこれだ。……五十年、鉄を打ってきたがな。折り返された地金の層も、この反りの理屈も、儂の知るどの流儀でもない。この刀だけは、儂の物差しの外じゃ」
ラーメルトは厳かな手つきでそれを受け取り、ゆっくりと布を解く。
黒い刀身が、朝の光を、鈍く沈めた。
直剣ではない。ゆるやかに反り、その刃の縁だけに、白い細い筋が、一本。磨き上げられているのに、面には、何ひとつ映らなかった。
フルメアは、そんな形の剣を見たことがなかった。
「……なにこれ。変わった剣ね」
「刀、と言うそうです」
ラーメルトは刃を鞘に納め、鞘ごと腰に佩いた。グラディオは太い腕を組み、その刀身を見つめたまま、刃には指一本触れようとしない。
「母は、どこで手に入れたのでしょうね」
「聞いたことはあるがの。笑って誤魔化されたわ」
がはは、と笑って――その笑いを、老鍛冶屋は途中でふっと止めた。
「そういやラーメルト。ノルデン街道はここ最近、物騒な話は聞いとらんかったが――今朝がた、討伐依頼の張り紙が増えとると聞いた。用心に越したことはないぞ。気をつけてな」
ふたりは礼を言い、鍛冶場を後にした。
◇
次に向かったのは、中心街の外れであった。両側の家は屋根が傾き、壁の漆喰があちこち剥げ落ちている。その通りの突き当たりに、白い石の壁が、場違いなほど真っ直ぐ立っていた。
「これって……神殿?」
「ええ。私の母のいる神殿です。このあたり一帯への奉仕で徳を積み、女神に祈りを捧げているのだとか」
グラディオの言葉、あの黒い刀、剣を仕込んだという母。歩きながら、フルメアの目が、あらぬ方へ泳いでいた。と思うと、はっと我に返り、小さく首を振って、それきり黙り込んだ。
入り口の神官に挨拶をし、刀を預けて中へ入る。外の静けさからは想像もつかぬ賑わいであった。広間を抜け、高位の神官しか入れぬらしい区画へ。いつの間にか、袖の端が、後ろから引かれていた。
ある扉の前で、ラーメルトは立ち止まり、ノックをした。
「ラーメルトです。レオンハイト、いますか」
「いるよー」
中から、間延びした声がした。部屋にいたのは、少し丸みのある体つきの男だった。穏やかを絵に描いたような、見ているだけで空気のほどける顔をしている。
「一昨日ぶりですね」
「だねー」
同行を決めた以上、フルメアにも伏せておく理由は薄い。
フルメアには意味の取れないやり取りである。ラーメルトはこれまでの経緯をかいつまんで話した。帰国早々に王城へ召され、魔術師行方不明の調べを命じられたこと。成り行きで、フルメアと同道することになったこと。
レオンハイトは天井を見上げ、それから、腹の上で指を組んだ。
「僕は問題ないけどー、神殿長に、報告しないとだねぇ」
神殿長。すなわち、ラーメルトの母である。
ごくり。なぜかフルメアの喉が、大きく鳴った。
◇
ところが、レオンハイトの案内で神殿長室の扉を叩いても、返事はなかった。通りがかった侍女が、丁寧に頭を下げて教えてくれる。
「神殿長は、外出なされました。しばらく戻らない、と仰せでございました」
「母上が? ……行き先も告げずにというのは、記憶にある限り初めてのことだ。このような時期に、珍しい」
ラーメルトは小さく眉をひそめたが、レオンハイトは、「じゃあ代理の方いこー」と、のんびり歩き出した。フルメアは、なぜか少し安堵した顔をしていた。
神殿長代理は柔和な婦人で、ラーメルトの顔を見るなり相好を崩し、レオンハイトの同行をあっさりと許した。「リザベラ様へは私からお伝えします、お気をつけて」――小さく印を切って、送り出してくれた。
「許可は出たけど、準備があるからー。悪いけど、外で待っててくれるかなー」
「わかりました。では――私たちは水や荷馬、それにフルメアの旅装を調えなければなりませんから、王都のノルデン街道の起点で待っていますね」
入り口で預けた刀を受け取り、神殿を出る。
鞘が腰に戻った途端、フルメアがたまらず訊いた。
「なんで正門前じゃなくて、街道の起点なのよ」
「用事を済ませるのに効率が良いですからね。ジロジロ見ているわけではありませんよ、サイズを測っておかないと服が買えません」
「ジ、ジロジロ見ないでよ、もう!」
◇
荷馬を確保し、水と食料、そしてフルメアの旅装を調えて、三人四日分の荷を馬の左右に振り分ける。ノルデン街道の起点に着いたとき、そこには既に、大きな荷物を背負ったレオンハイトが立っていた。背中には、フライパンがひとつ、括りつけられている。
「おまたせー」
ひらひらと手を振る神官に、フルメアが呆気にとられている横で、ラーメルトはふと、北へ延びる街道を見上げた。
空はよく晴れていた。雲は、ひとつもない。
――どうにも、晴れすぎている。
「さて――参りましょうか」
ラーメルトは荷馬の手綱を取り、一歩を踏み出した。その一歩の長さは、いつもと寸分、違わなかった。




