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世界は見たままの姿をしているか?  作者: 古代羊
第一章 魔術師失踪事件
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強襲された冒険者

「ところで、どこまで行くの?」


 街道をしばらく進んだところで、フルメアが初めて口を開いた。行き先は「ノルデン街道の先」と大まかにしか伝えていなかったのだ。


「グストリア領の、グランツェのあたりですね」

「王都の貴族が自治を許された土地です。村から税を集め、その上前を国へ納める。国の手が届かぬ端を、貴族の面目ごと預けてしまう――そういう」

「ふぅん」

 興味のなさそうな相槌に、ラーメルトの講義は行き場を失った。


「そう。じゃあ今日は、途中のドルフェンまで行けるかしら」


 ドルフェンはノルデン街道沿いで王都に最も近い宿場村である。フルメア自身、王都へ出る道すがら、あの村で馬を休めていた。


「今の足取りだとー、その手前で野宿になりそうですねー」


 後ろから、間延びした声が飛んでくる。

 覚悟は、していたはずだった。それでも、フルメアの眉は正直に下がった。

「野宿かぁ」

 顔だけでは、足りなかったらしい。慌てて前を向く。

 街道の先に、大樹がひとつ。

 子どもが幹の周りでかけっこをできそうな太さだった。大戦の前から、あの場所で同じ影を落としてきたのだろう。旅人はこの木を目印に、王都までの道のりを測る。


「今、どのあたりにいるの?」

 レオンハイトが地図を広げ、大樹の印の少し手前を、指の背で叩いた。野営予定地までの、ちょうど半分ほど。


「そろそろ休憩にしましょー」


「そうですね。一度、休みましょうか」


 ラーメルトは荷馬の鞄から干し肉と革水筒を出し、水を木の椀に注いで順に配った。陽は、真上。首筋を、汗がひと筋伝う。

 水はぬるく、革の匂いがした。それでも、砂を噛んだような喉には、甘いほどであった。


「では、行きましょう」


 小腹を満たした一行は、再び歩き出した。


 しばらく行ったところで、フルメアは、ラーメルトの唇がかすかに動いているのに気がついた。


「さっきから、何をぶつぶつ言ってるの?」


「歩数です」


 ラーメルトは事もなげに答えた。


「母の教えでしてね。自分の一歩の長さを、体に覚えさせておけ、と」

 ラーメルトは、前を向いたまま続けた。

「歩幅が乱れるのは、疲れているときか、恐れているときです。……間合いも、同じですよ」

 変わった教えもあるものね。

 フルメアは首をかしげた。そして、気づかない。

 ――その歩幅が、王都の門を出た一歩目から、いまこの一歩まで、寸分も乱れていないことに。


◇


「そろそろかなー」


 四方の開けた場所であった。少し先に森が見え、地図によれば、森の手前を川が流れている。水浴びができるかも、とフルメアは少し期待した。


「ここらで野営しますかー」


「まだ明るいわよ?」


 陽は、まだ存分に照っている。もっと歩けるのでは、と問うフルメアに、ラーメルトが答えた。


「これから支度を進めると、あっという間に暗くなります。暗くなってからでは身動きが取れず、かえって危険なのですよ」


 旅慣れたふたりの言うことには従った方がよさそうだ。フルメアは素直に頷いた。


「では、私は水を汲んできます。ふたりは火の支度を」


「あ、待って! 私も行く――」


 フルメアが駆け出そうとした、そのとき。

 森の方から、ひときわ高い悲鳴が聞こえた。


「助けて! 誰か! お願い!」


 革鎧の女が、血まみれで森から走り出てきた。逃げるのに必死で、こちらにはまだ気づいていない。


「フルメアは私の後ろに。――レオンハイト」

 名を呼ぶ声から、丁寧語が落ちていた。

「フルメアを、頼む」


 いつになく厳しい口調であった。

 女の後ろから、ゴブリンが数匹、追ってくるのが見えた。


「ゴブリンに追われてる……なんで助けに行かないの?!」


 言い終える前に、口を塞がれた。

 乾いた、硬い掌だった。剣だこの位置が、はっきりとわかる。

「――声を」

 囁きは、耳の奥にだけ落ちてきた。

「数で負けていれば、こちらにも危険が及びます」


 ゴブリンは、一匹なら駆け出しでも斬れる。

 恐ろしいのは、群れることだ。狡いことだ。そして――毒だ。

 麻痺の毒。遅効の毒。弱らせて、なぶる。

 歴戦の冒険者でさえ、群れの只中で受けた掠り傷ひとつで、翌朝には冷たくなっている。


「もう少し、様子を見ます」


 ラーメルトの目は、女の足だけを追っていた。

 ――まだ、動く。麻痺は、受けていない。森は静かなまま。距離は、開いている。


「――大丈夫そうですね」


 荷馬の手綱を解いてフルメアに預け、腰の刀に手をかける。鍛冶場で受け取った篭手と胸当ては、まだ身に着けたままだった。


「何かあったら、迷わず逃げてください。……行きます」


 短く言って、ラーメルトは走り出した。


「こっちへ!」


 声に気づいた女が進路を変える。獲物の変針と、その先に立つ新たな人間に、ゴブリンたちも矛先を変えた。女は追いつかれる寸前で、ラーメルトの位置まで駆け込んだ。


「後ろに!」


 直後、ゴブリンが三匹、眼前に並んだ。手にした短剣には、毒々しい色の液が薄気味悪く光っている。

 ラーメルトは、鞘に手を添えたまま、対峙した。

 獲物が増えたことに苛立ったか、牙を剥き、威嚇しながら、じり、じり、と間合いが詰まる。

 やがて、痺れを切らした一匹が、飛びかかって――くるはずであった。

 その膝が沈むより、早く。

 ――音が、遅れて届いた。

 一匹目は、もう、二つになっていた。二匹目は、いつ返されたとも知れぬ切り上げに、胴と首を分かたれている。

 黒く、緩く反った刀身が、陽の光を鈍く舐めた。

 三匹目が、森へ身を翻す。

 翻しきる前に、その妖魔は見た。

 自分の腹から、黒い切っ先が生えているのを。

 膝が落ちた。それきり、動かなかった。


 ラーメルトは刀を振って血を払い、布で丁寧に拭ってから、鞘へ収めた。

 地面に、三つの骸。染みが、ゆっくりと草を黒く変えていく。

 風が、鉄と獣の匂いを運んできた。

 フルメアは手綱を握ったまま、動けずにいた。掌が、じっとりと濡れている。

「……え? 一瞬で?」


「ラーメルトは、リザベラ様から剣を習ってたしねー」


 神殿長の、一番弟子?

 フルメアの頭の中を、疑問符が飛び交った。


◇


 女は、恐怖から解き放たれたためか、膝から崩れて座り込んでいた。革鎧は赤黒く染まり、腹からは新しい血。肩口が紫色に変じている。――と、そこで意識を失い、倒れた。

 駆けつけたレオンハイトが、すぐさま容体を診る。


「これは毒。幸い、掠り傷だから効きは弱い。問題は腹の刺し傷の方。……少し、深い」


 いつもの間延びは、声から消えていた。

 骸のそばから離れ、野営地へ女を運び、布に寝かせる。レオンハイトが祈りを捧げ、詠唱に入った。

 掌の下に、淡い光が灯る。神々の戦いの折、人へ分け与えられたという奇跡の――その、残り火であった。

 ラーメルトは川へ走り、フルメアは火の支度にかかった。

 戻ってみれば、火はまだ熾きておらず、彼女はかまどの石を並べている最中だった。石を置く指先が、細かく震えていた。


 女の腹の傷は、神聖術で塞がっていた。唇はまだ紫を帯びているが、頬には血の気が戻りつつある。

 その色をそっくり譲り渡したように、レオンハイトの顔が白い。

 ラーメルトは何も言わず、その肩を叩いた。神官は、間延びした声も出さずに、こくりと頷いた。


◇


 空には星。かまどの火だけが、あたりを照らしている。


「……エノアと、いいます」


 薪の爆ぜる静寂を破って、女――エノアが口を開いた。名乗れるほどには、力が戻ったらしい。フルメアが豆のスープの椀を渡す。レオンハイトが眠る前に作ったものだ。当人は、もう寝息を立てていた。


「六人で、来ていました」


 スープをひと口、静かに飲み下し、エノアは語った。王都の酒場で、冒険者向けのゴブリン討伐の依頼を受けたこと。最初は三人だったが、同じ依頼を受けた三人と道中で合流したこと。


「森の中で、不意を突かれて……立て直す間もなく……散り散りに……」

 言葉が、途切れた。

 椀を持つ手が震え、豆がひとつ、ふたつ、火のそばへ零れ落ちる。エノアは椀を抱えたまま、声を殺して泣いた。


「あなたの他に、生き残りは……?」

「……逃げるのに、必死で」

 エノアは、火を見ていた。

「ほとんど、見ていません」


 フルメアは、それ以上を聞く気になれなかった。


◇


「私が見張ります。フルメアは寝てください」


「いいえ。エノアの様子を、見てるわ」


 焚き火越しの視線は強く、ラーメルトはそれ以上言うのをやめた。


「わかりました。お願いします」


 「これくらいは任せて」フルメアは小さく呟いた。

 ラーメルトは火に薪を足しながら、森の暗がりへ目をやった。

 ――討伐に来た六人が、逆に狩られた。

 それも、獲物を追って、森の外まで。ゴブリンは狡猾で、執念深い。だが本来、縄張りの森を出てまで一匹の獲物を追うことは、稀なのだ。

 なぜ、あれほど執拗に。

 薪が、ぱちりと爆ぜる。

 問いは火の粉となって夜空へ昇り、答えを残さぬまま、星の手前で消えた。


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