公開術式
燭台の火が、天井で自分の影を、細く伸ばしたり、縮めたりしている。
ラーメルトは、それをずっと見ていた。
横になったはいいが、寝つけない。体を起こし、寝台脇の鞄から魔結晶を取り出す。石畳に叩きつけ、人の額に投げつけもした代物だが、目立った欠けも罅もない。存外、頑丈な石のようだ。角度を変えて眺め、胸の前で包み込むように持ち、静かに光と唱えてみる。
――やはり、反応しない。
渡されたときは光っていた。酒場で飲んでいる間に、何かあったのか。それとも、何かが違うのか。
そのとき、隣の寝台で、もぞりと動く気配がした。
フルメアが寝ぼけ眼をこすり、ふぁ、と小さなあくびをした。見知らぬ寝台。ゆっくりと首を左右へ動かし――そこで、止まった。
半分閉じていた目が、音を立てて開く。シーツが顎まで引き上げられた。
「え? なんで? なんで?!」
親の仇でも見つけたような眼光である。
「何かしたの? なんでここにいるの? どういうこと?!」
怯えと怒りと混乱が、綺麗に混線している。ラーメルトは両手を挙げ、何もしていないと示した。
「説明すると長くなりますが……説明した方が、良さそうですね」
省くと大変なことになる。そう悟って、ラーメルトは鞄から革水筒を取り出し、蓋を開けて差し出した。
「エールでも果実酒でもありませんから。まあ、飲んで落ち着いてください」
疑いの目のまま、しかし寝起きの喉の渇きには勝てなかったらしい。恐る恐る受け取って、こくり、こくり。
飲んでいる間も、目だけはラーメルトを見張って離れなかった。
ラーメルトは、順を追って説明した。酒場で酔い潰れたこと。介抱して部屋を取り、置いて帰ったこと。考え事をして街の端まで歩いてしまい、そこで襲われたこと。心配になって戻ってきたこと。部屋を替えたこと。
酔い潰れのくだりで、シーツを握る手に力がこもった。耳まで赤い。
置いて帰ったくだりで、その眉が跳ねた。
襲われたくだりで、握っていたはずのシーツから、いつの間にか、手が離れていた。
忙しい人である。
ひととおり話し終え、ラーメルトは本題を切り出した。
「それで――魔結晶が発動しないのですが、何かしましたか」
「え? おかしいわね……ちょっと見せて」
手渡すと、フルメアは光と唱えた。結晶の芯に、灯がともる。ゆっくりと膨らみ、燭台の火を飲み込み、影という影を、足元へ押し下げていく。
壁板の木目も、フルメアの睫毛の影も、はっきりと見えた。
「発動するわよ?」
きょとんとした顔で結晶とラーメルトを交互に見て、光を解き、返してくる。受け取ったラーメルトが同じように唱えても――光らない。
「あぁー……ね。原因、わかったわ」
声が、半音下がった。視線は、すいと天井へ逃げていく。
「この技術はね、悪用を防ぐために、使う人の公開術式を織り込まないと、発動しないようになっているのよ」
「……そういうことですか」
ラーメルトの視線が、寝台に投げたマントへ落ちた。裾に、穴がひとつ。
あれが、指一本ぶんずれていたら。
てへ、とフルメアが舌を出した。
ラーメルトは、何も言わなかった。
「今ではもう、公開術式を織り込む作り方しか、使わないことになっているわ」
フルメアは寝台を降り、結晶を床に置いた。胸の前で手を組み、何ごとかを詠唱し始める。暗号化された術式は、ラーメルトの耳にはまるで意味を結ばない。やがて結晶が、きん、と乾いた音を立て、ほのかに光り始めた。
光の白でもなく、燭台の橙でもない。白いようで、青い。見つめていると、色の名を、忘れる。
「じゃあ、あなたの公開術式を、この子に展開してくれる?」
言われるまま、ラーメルトは自身の公開術式を結晶へ織り込んでいく。織り込み終えたとき、結晶は光を失っていた。
「それじゃ、もう一度、光を唱えてみて」
んんっ、と喉を整え、精神を集中する。魔法を使うときの要領で結晶へ意識を向けると、すう、と同調した。
「光」
白が、部屋を塗り潰した。
「強すぎ!」
白が、消えた。
残ったのは、瞼の裏の残像だけであった。
「疎通の確認なんだから、そんなに精神を込めなくていいのよ、まったく……」
ぶつぶつ言いながら、フルメアは光の消えた結晶を押しつけてきた。
「なるほど。込める精神の強さで、出力を調整できるのですね」
「そうよ。ただし、その子が抱えている空間魔素には限りがあるから、使える回数にも限りがあるわ。それと」
人差し指を立て、ラーメルトの胸元を、とん、と小突く。
「あまり本人から離れると発動できないから、気をつけて。――投げるのは、駄目よ」
「……肝に銘じます」
夜道での醜態を思い出し、ラーメルトは遠い目をした。
「あと、公開術式を織り込んだ人はね、さっき私がしたみたいに、発動し続けている魔法を消すこともできるの。覚えておいて」
「わかりました。ありがとうございます」
礼を言われて、フルメアは初めて、自分の人差し指がまだラーメルトの胸元にあることに気づいた。
指が、跳ねるように離れた。一歩、下がる。
「私、もう一度寝るわね。宿代と……ここまで運んでくれて、ありがと……」
語尾は言葉にならぬまま、フルメアは寝台に潜り、シーツを頭まで被ってしまった。
ラーメルトも燭台の火を消し、横になった。
闇の中で、思考だけが冴えている。
公開術式。使い手をひとりに縛る、悪用よけの錠前。今に伝わる作り方には、必ずそれが付いて回るのだという。
――では。
錠前の付かない、まっさらな魔結晶を欲しがる者がいるとしたら。
その者は、「作り方を知る人間」を、どうするだろうか。
攫われたという、フルメアの村の人々。消えた、四人の魔術師。
ふたつの影が、ゆっくりと重なった。
起きてから、考える。
目を閉じる。隣の寝台からは、健やかな寝息が聞こえていた。




