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世界は見たままの姿をしているか?  作者: 古代羊
第一章 魔術師失踪事件
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公開術式

 燭台の火が、天井で自分の影を、細く伸ばしたり、縮めたりしている。

 ラーメルトは、それをずっと見ていた。

 横になったはいいが、寝つけない。体を起こし、寝台脇の鞄から魔結晶を取り出す。石畳に叩きつけ、人の額に投げつけもした代物だが、目立った欠けも罅もない。存外、頑丈な石のようだ。角度を変えて眺め、胸の前で包み込むように持ち、静かに光(ライト)と唱えてみる。

 ――やはり、反応しない。

 渡されたときは光っていた。酒場で飲んでいる間に、何かあったのか。それとも、何かが違うのか。

 そのとき、隣の寝台で、もぞりと動く気配がした。


 フルメアが寝ぼけ眼をこすり、ふぁ、と小さなあくびをした。見知らぬ寝台。ゆっくりと首を左右へ動かし――そこで、止まった。

 半分閉じていた目が、音を立てて開く。シーツが顎まで引き上げられた。


「え? なんで? なんで?!」


 親の仇でも見つけたような眼光である。


「何かしたの? なんでここにいるの? どういうこと?!」


 怯えと怒りと混乱が、綺麗に混線している。ラーメルトは両手を挙げ、何もしていないと示した。


「説明すると長くなりますが……説明した方が、良さそうですね」


 省くと大変なことになる。そう悟って、ラーメルトは鞄から革水筒を取り出し、蓋を開けて差し出した。


「エールでも果実酒でもありませんから。まあ、飲んで落ち着いてください」


 疑いの目のまま、しかし寝起きの喉の渇きには勝てなかったらしい。恐る恐る受け取って、こくり、こくり。

 飲んでいる間も、目だけはラーメルトを見張って離れなかった。


 ラーメルトは、順を追って説明した。酒場で酔い潰れたこと。介抱して部屋を取り、置いて帰ったこと。考え事をして街の端まで歩いてしまい、そこで襲われたこと。心配になって戻ってきたこと。部屋を替えたこと。

 酔い潰れのくだりで、シーツを握る手に力がこもった。耳まで赤い。

 置いて帰ったくだりで、その眉が跳ねた。

 襲われたくだりで、握っていたはずのシーツから、いつの間にか、手が離れていた。

 忙しい人である。


 ひととおり話し終え、ラーメルトは本題を切り出した。


「それで――魔結晶が発動しないのですが、何かしましたか」


「え? おかしいわね……ちょっと見せて」


 手渡すと、フルメアは光(ライト)と唱えた。結晶の芯に、灯がともる。ゆっくりと膨らみ、燭台の火を飲み込み、影という影を、足元へ押し下げていく。

 壁板の木目も、フルメアの睫毛の影も、はっきりと見えた。


「発動するわよ?」


 きょとんとした顔で結晶とラーメルトを交互に見て、光を解き、返してくる。受け取ったラーメルトが同じように唱えても――光らない。


「あぁー……ね。原因、わかったわ」

 声が、半音下がった。視線は、すいと天井へ逃げていく。


「この技術はね、悪用を防ぐために、使う人の公開術式を織り込まないと、発動しないようになっているのよ」


「……そういうことですか」

 ラーメルトの視線が、寝台に投げたマントへ落ちた。裾に、穴がひとつ。

 あれが、指一本ぶんずれていたら。

 てへ、とフルメアが舌を出した。

 ラーメルトは、何も言わなかった。


「今ではもう、公開術式を織り込む作り方しか、使わないことになっているわ」


 フルメアは寝台を降り、結晶を床に置いた。胸の前で手を組み、何ごとかを詠唱し始める。暗号化された術式は、ラーメルトの耳にはまるで意味を結ばない。やがて結晶が、きん、と乾いた音を立て、ほのかに光り始めた。

 光(ライト)の白でもなく、燭台の橙でもない。白いようで、青い。見つめていると、色の名を、忘れる。


「じゃあ、あなたの公開術式を、この子に展開してくれる?」


 言われるまま、ラーメルトは自身の公開術式を結晶へ織り込んでいく。織り込み終えたとき、結晶は光を失っていた。


「それじゃ、もう一度、光(ライト)を唱えてみて」


 んんっ、と喉を整え、精神を集中する。魔法を使うときの要領で結晶へ意識を向けると、すう、と同調した。


「光(ライト)」

 白が、部屋を塗り潰した。

「強すぎ!」

 白が、消えた。

 残ったのは、瞼の裏の残像だけであった。


「疎通の確認なんだから、そんなに精神を込めなくていいのよ、まったく……」


 ぶつぶつ言いながら、フルメアは光の消えた結晶を押しつけてきた。


「なるほど。込める精神の強さで、出力を調整できるのですね」


「そうよ。ただし、その子が抱えている空間魔素には限りがあるから、使える回数にも限りがあるわ。それと」


 人差し指を立て、ラーメルトの胸元を、とん、と小突く。


「あまり本人から離れると発動できないから、気をつけて。――投げるのは、駄目よ」


「……肝に銘じます」


 夜道での醜態を思い出し、ラーメルトは遠い目をした。


「あと、公開術式を織り込んだ人はね、さっき私がしたみたいに、発動し続けている魔法を消すこともできるの。覚えておいて」


「わかりました。ありがとうございます」

 礼を言われて、フルメアは初めて、自分の人差し指がまだラーメルトの胸元にあることに気づいた。

 指が、跳ねるように離れた。一歩、下がる。


「私、もう一度寝るわね。宿代と……ここまで運んでくれて、ありがと……」


 語尾は言葉にならぬまま、フルメアは寝台に潜り、シーツを頭まで被ってしまった。


 ラーメルトも燭台の火を消し、横になった。

 闇の中で、思考だけが冴えている。

 公開術式。使い手をひとりに縛る、悪用よけの錠前。今に伝わる作り方には、必ずそれが付いて回るのだという。

 ――では。

 錠前の付かない、まっさらな魔結晶を欲しがる者がいるとしたら。

 その者は、「作り方を知る人間」を、どうするだろうか。

 攫われたという、フルメアの村の人々。消えた、四人の魔術師。

 ふたつの影が、ゆっくりと重なった。

 起きてから、考える。

 目を閉じる。隣の寝台からは、健やかな寝息が聞こえていた。


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