公表と北の報せ
「王都の民へ知らせよう」
ラーメルトは手帳から顔を上げた。
卓を囲む仲間たちも王を見ていた。グレインは椅子に腰を掛けたまま、続く言葉を待っている。
「まずは、この王都に暮らす者へ。沈下の危険を、知らぬままにはしておけぬ」
以前の評議で書いた問いの上に、ラーメルトの指が残っていた。
答えられないところを挙げた頁を開いている。王の声を聞いても、そこへ書き足せる数字が生まれたわけではなかった。
「まだ、速さも、残された時間もお伝えできません。どうすればよいのかも……」
「それも含めて告げる」
王はラーメルトを見た。
「把握していることと、まだわからぬことを分ける。期限や対処を示せぬまま、安心して待てとは言えぬ。だからこそ、観測を続ける必要も伝えたい」
ラーメルトは指を頁から離した。
黙っていた間にも暮らしは続く。前の評議で聞いた言葉が、今は自分の手元の外へ向かおうとしていた。
「聞いた人に、続きを尋ねられますね」
フルメアが言った。
王は頷き、卓に置かれた手帳へ目を落とす。
「尋ねる相手が、余であることも伝わるだろう」
ラーメルトには、その声が先ほどより低く聞こえた。
自分ならどう答えるかを考えるだけで、手帳の余白が狭く感じられた。王はそれを民の前へ置こうとしている。
エノアが帳面を開いた。
「今決まったところを、記しておきます」
「お願いします。知らせる主旨と、まず王都の人たちへ、というところですね」
ラーメルトが答えると、彼女は書きながら頷いた。
その隣で、彼も手帳へ筆を運んだ。誰かに読み上げるための文章にはせず、決まったことを短く残す。
グレインが筆先を見ていた。
「お前の調べる仕事は、この先も残るぞ」
「はい」
急いで答えを出します、と続けかけて、ラーメルトは口を閉じた。
父は何も促さなかった。書いた行の下へ余白を残してから、ラーメルトは筆を置いた。
扉が開いたとき、レオンハイトがそちらへ顔を向けた。
入ってきた伝令は王の前で頭を下げ、北部マルクラントからの報告を告げた。
「妖魔への対応が厳しく、自治領側から救援を求めております」
ラーメルトは椅子の背から体を離した。
仲間と通った北への道が頭に浮かんだ。大地を見たあとのことばかり考えていたが、そこへ至るまでにも、人が立って守っていた場所があった。
王は伝令の報告を聞き終え、しばらく手元へ目を落としていた。
やがて顔を上げる。
「王国から救援を北へ向ける。観測にあたる者にも、同行してもらいたい」
ラーメルトは隣のフルメアを見た。彼女の視線もこちらへ向いていたが、返事を任せるようには頷かなかった。
まず自分が答えなければならないと思い、王へ向き直った。
「測量を引き受けます。私も北へ行きます」
王が頷いた。
エノアは書いていた行を終え、筆を持つ手を止めた。
「私も同行します。測ったことも、そこで聞いたことも、記録します」
フルメアが卓へ手を添えた。
「私には照明の技があります。北で必要になるなら、それで手伝いたいです」
ラーメルトは彼女の横顔を見た。フルメアは王を見たまま、返事を待っていた。
王は彼女とエノアへ順に目を向け、頷いた。
「僕も行くよー。測っている間は、周りを見ていないとね」
レオンハイトが身を乗り出した。
「護衛も、手当ても。僕にできるところを引き受けます」
先ほどまでゆっくりしていた語尾が、そこで静かに収まった。
ラーメルトは卓の下で手を握り、開いた。一人ずつ返事を聞くうちに、北へ行くという言葉に仲間の顔が重なっていた。
グレインが椅子の背から身を起こした。
「向こうで測れる場所が、お前の望むとおりに空いているとは限らぬぞ」
「……はい。まず、そこで動いている人の話を聞きます」
手帳へ書こうとしかけていた線を、ラーメルトは引かずにおいた。
前に通った道を思い出せても、これからどこに立てるのかまで知っているわけではない。
王は四人を見渡した。
「それぞれの働きで、救援と観測を支えてほしい」
ラーメルトは頭を下げた。
顔を上げると、エノアの筆がまた動いていた。自分も手帳を引き寄せ、北へ向かうと答えたことを記す。測る場所を書き込むには、まだ足りないものがあった。
王都を発つ前に、北から次の報告が届いた。
再び王の前でその言葉を聞いたとき、ラーメルトの手には同じ手帳があった。エノアは筆を構え、フルメアとレオンハイトも伝令へ顔を向けていた。
「討伐線を維持できず、人を退かせたとの報告です」
筆を持ち上げたまま、エノアが伝令を見た。
ラーメルトは手帳の端を押さえ直した。薄い紙が指の下で折れかけ、慌てて力を緩める。
「人を、退かせたのですね」
口にすると、伝令は頷いた。
その返事を聞いても、北で何があったのかを思い描くことはできなかった。人の顔も、引き返した道も、今の言葉からは見えない。
王が伝令へ続きを促した。
ラーメルトは自分の問いを重ねず、待った。どこで測るかを考えかけていた頭に、報告された後退の言葉が残っている。
救援を求めていると聞いたときには、守っている線へ追いつけばよいのだと、どこかで思っていた。
その線から人を退かせたという。行き先として思い浮かべていた場所へ、前と同じように辿り着くつもりではいられなかった。
エノアの筆が動き始めた。
フルメアが手帳の端へ手を添えたので、ラーメルトは押さえていた指をずらした。空いたところに、たった今聞いた報告を書き留める。
先に記した救援の要請を消さず、その下へ新しい行を置いた。
同じ北へ向かうための頁なのに、読み返すと、もう同じ場所を指しているようには感じられなかった。




