測り直す前に
「それで。どこから測るの?」
フルメアの問いに、ラーメルトは窓の外から目を戻した。
開けたばかりの窓から朝の光が入っている。エノアは抱えていた帳面を開き、レオンハイトも返事を待っていた。
「まずは、前に測ったところを――」
そこまで口にして、止まった。
道の名なら挙げられる。歩いた道も、鎖を延ばした場所もある。だが、そのどこを測れば、昨夜から胸にある問いに答えられるのか。
「……すみません。少し、考えさせてください」
「いいわよ。走り出してから止まられるよりは」
フルメアが腕を組む。その言い方に苦笑しながら、ラーメルトはエノアの帳面へ目を落とした。
行を揃えて並ぶ文字。
歩いて、測って、書き留めてきた。縁で見たものも、昨夜聞いた話も、この続きへ残されていくのだろう。だが、それらをひと続きにしてしまう前に、確かめておかねばならない。
「エノア。今の話を記すときには、陛下から聞いたことだとわかるようにしてください」
「はい。……私たちが測った数字とは、別にですね」
「ええ」
ラーメルトは頷いた。
「雲の下に大地がある。それは、私たちが見ました。ここが沈んでいること、その速さが増していることは、陛下から伺った話です。私たち自身では、まだ速さを測っていません」
「王様の話を疑ってるわけじゃないのね」
「違います。ただ、私たちが見ていない記録まで、見たことにはできませんから」
エノアは頷き、帳面に目を戻した。
ラーメルトも、昨夜の王の声を思い返した。急いでいた理由を聞いた今なら、一刻も早く答えを持っていきたくなる。王に安心してほしい。自分も安心したい。
その気持ちを数字に混ぜてしまえば、物差しを握る手のほうが曲がる。
「……あとどれくらいあるか、すぐにわかればいいんですけれど」
エノアの声は小さかった。
「ええ。ですが、今ここで年数を言うことはできません」
答えると、開いた窓が気になった。
朝の空は明るい。窓枠に手を置いても、大地が沈む速さは伝わってこない。だからといって、止まっているわけではない。
ラーメルトは手を離した。
「前に測った長さと、これから測る長さを比べる。陛下が地図に求めておられたことです。けれど……数字が違ったら、何が変わったのかを調べなければなりません」
「あなたの足、とか?」
フルメアが足元を見る。
「ええ。私の足もです」
「そこは否定しないのね」
「疲れれば歩幅は乱れます。坂でも変わりますから」
「じゃあ、測る人を疲れさせないのも仕事だねー」
レオンハイトが言った。
「怖いときも縮むんでしょう? それなら、そっちも気をつけないとねー」
いつもの声だった。だが、ラーメルトには軽く聞こえなかった。縁へ向かう道で、安心して足を出せることがどれほどありがたかったか。
守ってもらう役は、これからも変わらない。
「頼りにしています」
「うん。でも、休んでって言ったら聞いてねー」
フルメアが横で頷いた。ラーメルトは反論を諦めた。
「鎖だって、調べるのよね」
彼女が続ける。
「マギアードで揃え直したんだもの。前と同じつもりで使っていても、比べるなら確かめないと」
「はい。道具と測り方、それにどこからどこまでを測ったか。まず、そこを揃えられるかどうかです」
壊された鎖のことを思い出す。
代わりを手に入れ、測量を続けることはできた。その道具で谷の向こうまで距離を求めた。だからといって、これからの問いにも、何ひとつ確かめず使えると決めてよいわけではない。
フルメアが帳面を覗き込んだ。
「数字のところだけ読んでも、足りないってことね」
「そうです。前にどう測ったかがわからなければ、同じように測り直せません」
「なら、測ったときのことも一緒に探します。書いてあることと、思い出して補うことは分けて」
エノアが頁の端を押さえた。
「同じ長さが出たところだけでなくて、測り直したところも」
「ええ。お願いします」
谷を隔てた二つの村を測ったときも、初めに得た数字だけを答えにしたのではなかった。鎖を延ばし直し、角度を読み直した。エノアの記録をもとに計算した。
あの手間を、急ぐからと省くわけにはいかない。
どの記録から始めるか。
すぐに指を置けると思っていた頁を前に、ラーメルトは口を閉じた。
「……もしかして、今日はずっと帳面とにらめっこ?」
フルメアが言う。
「まだ、決めていません」
「そう。出かける話かと思ったのに」
口を尖らせても、彼女は帳面から離れなかった。
昨夜、自分の家のことすら知らないと言っていた。その家の名に残る記録も、まだ変わってはいない。世界の危機を聞いたからといって、なくなる話ではなかった。
隣にいる彼女を見て、ラーメルトは言いかけた言葉を呑み込んだ。すべてを調べられると、ここで約束することはできない。
「フルメア。前の測り方で気になることがあったら、遠慮なく言ってください」
「言うわよ。あなた、放っておくと自分で納得して先に進むんだから」
「……気をつけます」
エノアが小さく笑った。
ラーメルトも笑い、帳面のほうへ向き直る。歩幅だけで道を測ろうとしていた頃から、彼女には何度も足を止められている。今もそうだった。
「次に出かける前に、どこを測るか確かめたいのです」
エノアの指が頁の上で止まった。
ラーメルトはその隣に目を寄せた。まだ、新しい数字はない。
まずは、これまで歩いた道を帳面の中でもう一度辿るところからだった。




