新しい地図
その夜。ラーメルトは宿には戻らなかった。
王城の一室を借り、ひとり窓辺に立っていた。手には、母がフルメアに託し、いまは自分が預かっている地上の意匠の護符。そして腰には、あの黒い刀。
母の故郷の品。地上の品。
今なら、わかる。すべてが繋がった。母がなぜ、この国のものではない剣を持っていたのか。なぜ、母がフルメアへ地上の意匠の護符を託したのか。なぜ、「お父様に聞いてごらんなさい」と、言ったのか。
母は。エリザヴェラは。あの雲の下の世界から来た人だったのだ。すべてを失い、この空の大陸で、生きてきた人だったのだ。
扉が開いた。
フルメアが静かに入ってきた。
「……眠れないの?」
「ええ。……あなたもですか」
フルメアはラーメルトの隣に並び、同じ窓の外の空を見上げた。
「私、考えてたの。……カーデルクス家も七賢家のひとつなのよね。ということは……私のご先祖様も、この大陸を浮かべた賢者のひとりだったのかもしれない」
その声には複雑な響きがあった。
「戦犯だって記録される家。でも、本当は賢者の末裔。……私、まだ何も知らないんだわ。自分の家のことすら」
「一緒に知っていきましょう」
ラーメルトは静かに言った。
「私も同じです。私の母のこと。父の家のこと。この世界のこと。……知らないことだらけです。だから、測るのですよ。ひとつずつ。確かめて。真実にたどり着くまで」
フルメアが微笑んだ。少し涙ぐみながら。
「……あなたって、本当に、そればっかりね。測る、測るって」
「ええ。……それしかできませんから」
二人はしばらく黙って空を見上げていた。
その空が偽りの天空だと知った今も、星々は変わらず美しく瞬いていた。……あの星だけは、変わらずそこにあった。
◇
翌朝。
ラーメルトは仲間たちを集めた。エノア。レオンハイト。そしてフルメア。あの雲の下をともに見た四人。
ラーメルトは昨夜、王から聞いたすべてを彼らに話した。この大陸が沈み始めていること。魔素の枯渇。二つの世界。そして自分たちの旅の本当の意味を。
話を聞き終えた三人は、
しばらく言葉を失っていた。だが。
「……で。どうするのー?」
最初に口を開いたのはレオンハイトだった。いつもの間延びした声で。だがその目は真剣だった。
「僕は、僕にできること、するよー。皆が、無事なように。それだけ、だからねー」
「私もです」
エノアが続いた。帳面を抱えて。
「私、記録します。この旅のすべてを。大陸が沈んでいく、その速さも。……いつか、誰かがこの記録を頼りに、世界を救えるように。記録が消されないように。私が守ります」
あの百五十年の空白を二度と生まないために――エノアの目はそう語っていた。
「決まりね」
最後にフルメアが笑った。あの押し売りの日と変わらぬ――明るい笑顔で。
「まあ、なんとかなるわよ! ……レオンハイトも、エノアも、いるもの。それに、あなたがいる。世界を測るへんてこな魔術師が」
ラーメルトはその言葉に
思わず笑った。
あの日。押し売りに絡まれたあの日から、ずいぶん遠くまで来た。ずいぶん大きなものを背負うことになった。だが。
隣には、この仲間たちがいる。
「……ありがとうございます」
ラーメルトは窓を開けた。朝の光が差し込む。偽りの、しかし確かに暖かい光が。
「では――測り直しましょう。今度は」
彼は遠い空の彼方を見つめた。あの雲の下に広がる、もうひとつの世界を思いながら。
「今度は。落ちてゆく、この大地を」
――第二章「基準と地図」・完。
第二章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「この世界は、どれくらいの大きさなのか」。歩幅から始まった小さな問いは、ついに「この世界は空に浮いている」という途方もない真実へとたどり着きました。そして、その大地は今、静かに沈み始めています。
次の第三章「下降する大陸」より、物語はいよいよ核心へと向かいます。残された時は、どれほどか。沈みゆく世界を救う道は、あるのか。そして、大陸の影で暗躍する者たちの正体とは。
引き続き、ラーメルトたちの旅にお付き合いいただけましたら幸いです。




