王の秤
「……お前の母は。この下の世界から来た人間なのだ」
現在。父のその告白に、ラーメルトは言葉を失った。
傍らのフルメアも口を押さえ、目を見開いている。
「三十年前。儂が灯しの儀を務めていたその夜だ。二百年応えなかった門が初めて応えた。……そして地上から、剣を佩いたひとりの女性が転がり出てきた。それが――」
「……母上」
「そうだ。お前の母、リザベラ。……いや、彼女の本当の名は、エリザヴェラ。エリザヴェラ・シークエンス――地上のクロネアという王国の王女であり、時を司るシークエンス家の血を引く者だ」
シークエンス。
時の家。母のあの不思議な強さ。年齢のわからぬ容姿。剣筋を見切るあの動き。すべてが――地上の賢者の血に由来していたのか。
「ならば……私は」
ラーメルトの声が震えた。
「私は空の賢者グレイン家の血と、地の賢者シークエンス家の血を――両方引いている、ということですか」
「そうだ」
グレインは頷いた。
「少なくとも、儂の知る限り。お前は二つの世界の賢者の血を受け継ぐただ一人の子だ。……それがいつか、どんな意味を持つのか。儂にもまだわからぬ。だが」
そこまで言ったとき。
部屋の扉が静かに開いた。
ノックもなく。だがその気配に、グレインは驚かなかった。むしろ待っていたかのように。
「――話はそこまでにしておこう。グレイン」
入ってきたのは、
王、キーロイスだった。
「陛下……!」
ラーメルトが慌てて膝をつく。王は手でそれを制した。
「よい。……ラーメルトよ。縁まで行き、真実にたどり着いたそうだな。……見事だ。余の見込んだ通りだったな」
王は静かに椅子に腰を下ろした。その佇まいには、いつもの威厳の奥に深い疲れ、そして決意が滲んでいた。
「陛下は……すべてご存じだったのですか」
「無論だ。……王家キーロイスは、七賢家とは別に、この大陸の下に何があり、大浮上の頃に何があったかを深く受け継いできた家だ」
王はラーメルトをまっすぐに見た。
「そして……お前がなぜ、度量衡と地図を命じられたのか。その本当の理由も。今こそ話すときだ」
ラーメルトは息を呑んだ。
度量衡。地図。ただの国政の事業だと思っていた。だが、この真実の只中で、王がそれを切り出すということは。
「陛下。……度量衡を統一する本当の理由とは」
「三つある」
王は指を立てた。
「ひとつ。この国の民の暮らしのためだ。升の詐欺。物差しの諍い。統一された基準は弱き者をごまかしから守る盾となる。……これはお前も旅で見たであろう」
ラーメルトは頷いた。ハンザールの升。トリスタットの換算表。それは確かに、人々を守るものだった。
「ふたつ。……この大陸の異変を知るためだ」
王の声が低くなった。
「正確な地図とは、この国土の今の姿を数字で留めるもの。……その留められた姿と後の姿を比べれば、この大地に、何が起きているかがわかる。地図とは、この浮遊する大陸を見張るための番人の目なのだ」
――見張る。異変を。
ラーメルトの脳裏に、痩せる収穫、荒れる海、早く沸く湯がよぎった。この大地に、何かが、起きている。それを王は知りたがっている。
「そして、みっつ」
王は立ち上がり、窓辺へ歩んだ。偽りの空を見上げて。
「……いつか、この大陸と、あの地上とが、再び出会う日のためだ」
その言葉に、ラーメルトも、フルメアも息を詰めた。
「盟約がある。二百年前、浮上のとき――空へ逃れる我らと、地に残るシークエンスの一族との間で交わされた盟約が。……『地の門は我らが守る。空の門を絶やすな』。いつかまた、二つの世界が結ばれるその日まで。門を絶やすな、とな」
王は振り返った。
「その日が来たとき。二つの世界はまったく違う歩みをしてきたはずだ。違う言葉。違う貨幣。違う物差し。……そのままでは、交わることも、手を結ぶこともできぬ。だが、もし。たったひとつでも、両の世界に通じる、揺るがぬ基準があれば」
――王によらず。国によらず。時代によらず。
あの演説の言葉が、今まったく違う重さで蘇る。
「そして――世界に、よらず、か」
ラーメルトが呟いた。王が深く頷いた。
「そうだ。……お前が探している、その基準。人の腕でも、王の権威でもない、揺るがぬ何か。それはいつか、分かたれた二つの世界を再び結ぶ絆になる。……測るとは、同じ世界に住むと認め合うこと。それが余の悲願だ」
ラーメルトは深く頭を垂れた。
自分が旅の途上で抱いたあの埒もない想像。もし遠い、別の世界の人々と出会っても、ひとつの基準さえあれば、手を結べる。あれは埒もない想像などではなかった。まさにこの王の悲願そのものだったのだ。
「……して、陛下」
ラーメルトは顔を上げた。訊かねばならぬことがあった。
「そのみっつめの理由。『いつか、出会う日のため』。……なぜ、それを今、この建国百年の節目に。まるで急いでおられるように思えます」
王の顔が、
わずかに曇った。
グレインと王が目を見交わす。その沈黙が答えだった。




