辺境マルクラント
縁へ。
その決意に仲間たちは息を呑んだ。だが、止めようと口を開く者はひとりもいなかった。ここまで来て、彼を引き返させられる者など、いない。
一行は進路を北に取った。大陸の北の縁。そこには辺境自治領マルクラントが広がっている。
マルクラントはこれまで通ってきたどの土地とも違っていた。豊かな穀倉も賑わう商都もない。あるのは荒れた大地と、まばらな砦のような村。そして、そこかしこに屯する武装した荒くれ者たちだった。
「冒険者……ですか。こんなに大勢」
エノアが帳面をぎゅっと抱え直した。その声がわずかに上ずっている。あの森の記憶はまだ肌に残っているらしかった。
「ええ。マルクラントは辺境。縁に最も近い土地です」
ラーメルトが説明した。
「縁の近くには、妖魔が湧く。その妖魔から、内側の国々を守る。それがこの辺境の役目です。だから、腕に覚えのある者が討伐の依頼を求めて集まる。ここは、そういう土地なのですよ」
一行はマルクラントの中心の砦を訪ねた。この地を束ねる辺境伯に縁への道案内を頼むためだ。
だが、事情を聞いた辺境伯は渋い顔をした。
「縁へ行きたい、だと?……正気か」
「正気です。……確かめたいことがあるのです」
「やめておけ」
辺境伯はにべもなかった。
「縁には、妖魔の巣がある。それも、内側の森に出るゴブリンなどとは、格が違う。腕利きの冒険者でも、討伐線より先へは、決して行かん。……いや、行けんのだ」
「討伐線?」
「妖魔を討つのは、ここまでという線だ。それより先は、誰も踏み込まん。踏み込んだ者は、帰ってこん。……たとえ妖魔を切り抜けても、その先には」
辺境伯は声を落とした。
「毒の霧が待っている。息もできぬ、凍える暴風の壁だ。そこを越えようとした命知らずは、過去に何人かいた。……だが」
「だが?」
「戻ってきた数少ない者たちは、皆、同じことを言う。『縁の外には、何もない。ただ、足元まで続く雲の海があるだけだ』とな」
――何もない。雲の海。
だが、皆が「何もない」と言うほど、ラーメルトの確信はなぜか深くなった。
メトレール家の古地図。あの縁の外の輪郭。それを見た者がいる。だが皆、「何もない」と言った。雲しか見えなかったからだ。
だが。あの地図には確かに輪郭が描かれていた。ならば、「見えなかった」のと「なかった」のは違う。雲に隠されて、見えなかっただけかもしれない。
そして自分にはあの数字のずれがある。目で見えずとも数字が告げている。この大地は曲がっている、と。
「――それでも、行きます」
ラーメルトは静かに言った。
「私は、目で見るためだけに行くのではありません。これまで測ってきた数字が何を意味しているのか。それを確かめに行くのです」
ラーメルトは自分の手帳へ視線を落とした。そこには何日も何か月もかけて積み重ねてきた数字が並んでいる。歩いた距離。星から求めた距離。そして、中央から離れるほど、少しずつ大きくなっていくずれ。
「たとえ雲しか見えなくても。何もないように見えても。ここまで積み重ねた数字まで、何もなかったことにはなりません。縁まで行けば――このずれがいったい何を示していたのか。それを確かめられるはずです」
辺境伯はしばらくラーメルトを見つめた。脅しても、諭しても、この若い測量士の目はまるで揺れない。その静けさがかえって薄気味悪いほどだった。
「……止めても、無駄なようだな」
彼は深いため息をついた。
「わかった。討伐線までは、案内をつけてやる。腕の立つ者を何人か。……だが、その先はお前たちだけだ。誰も行きたがらん。……死ににいく者に付き合う義理は、ないからな」
「十分です。ありがとうございます」
ラーメルトは深く頭を下げた。
縁への最後の道が開いた。だが、その先に待つのが何なのか。ラーメルトにもまだわからなかった。
――ただの雲の海か。それとも。
あの古地図の輪郭か。




