二百年の台帳
あの夜以来。
ラーメルトの頭からは「湯の沸く高さ」のことが離れなくなった。
もし、王都が高くなっているのなら、それを確かめる術はないか。何か、長い年月にわたって、この土地の「高さ」に関わることを記録したものは。
――記録。
ラーメルトは思い出した。ドルトン家の収穫台帳。何百年もの記録が痩せていく大地を映し出したあの台帳。
ならば。このケルシウス家にも何かあるのではないか。火の家。熱を、測ることを家業とする家。この家なら、あるいは。
ラーメルトはアンデルスに面会を求めた。
「湯の沸く熱さ、だと?」
初めて、アンデルスの静止した瞳が動いた。灰の下で埋み火がひとつ爆ぜたように。
「……なぜそれを訊く」
「ケルシウス領で湯の沸きが早いのです。それも――王都でも近年、同じことが起きている、と。私は、それがただの偶然とは思えないのです。この家なら、熱に関する何か古い記録をお持ちではないかと」
アンデルスはしばらくラーメルトをじっと見つめた。値踏みするような目だった。それから、静かに口を開いた。
「……この家には、ある台帳が伝わっている」
その声は低かった。
「熱の台帳、だ。いつ、どこで水がどれだけの熱さで沸いたか。……我が家は、代々、同じ決まりでそれを二百年、記し続けてきた」
――二百年。
心臓がひとつ、大きく打った。火山の怒り。そして、この台帳。二つの符牒が二百年という一点へ音もなく吸い寄せられていく。書庫の空白だけはまだ、その年代が合うとは限らない。それでも、無関係とは思えなかった。
「その台帳を……見せていただけませんか」
ラーメルトが頭を下げると、アンデルスはしばし沈黙した。そして、
「――ならぬ」
短く言った。
「あれは、ケルシウス家の秘中の秘。あれを見た者は、この世界のある真実を知ることになる。……それを軽々しく余人に明かすわけにはいかぬ」
「真実、とは」
「言えぬ。……いや」
アンデルスは初めて、その氷の仮面にひびが入ったような表情を見せた。それは迷いだった。
「お前がその真実に値する者か。……まだわからぬ」
「値するとは。どうすれば」
「測れ」
アンデルスは言った。
「お前がこの国を隅々まで測り、数字と数字を突き合わせ、己の足で真実の入口までたどり着いたなら――そのときは、この台帳を開いてやろう。答え合わせをしてやる。だが、それまではならぬ」
――自らの力でたどり着け。
ラーメルトはその言葉を噛みしめた。
この氷の当主は、何かを知っている。この世界の根幹に関わる何かを。だが、それを教えてはくれない。ただ「測れ」と言う。自分の足で、頭で、そこにたどり着け、と。
「……承知しました」
ラーメルトは深く頭を下げた。悔しさは不思議となかった。むしろ――伏せた顔の下で口の端が持ち上がるのを彼は抑えられなかった。
答えはある。このどこかに。二百年の台帳の中に。そして、それは測ればたどり着けるものなのだ。
ならば、測るまで。歩き、縄を伸ばし、星を仰ぎ、数字を突き合わせて。その真実の扉の前まで。
『読みたければ――資格を示せ』
その一言を背にラーメルトは館を出た。黒い岩の道が来たときよりもよほど確かに足の裏を押し返してくる。行く先はもう決まっていた。測るのだ。この国のすべてを。




