記録係
時化は一晩で、嘘のように収まった。
ハンザールでの用はすべて済んだ。次は、海沿いを南へ下り、トリスタットを経て、そこから内陸へ向かう。いよいよ、本格的な測量の旅が始まる。
出立の朝、宿の外へ出ると――実家へ戻ったはずのエノアが、大きな荷物を抱えて立っていた。
「エノア? どうしたのです、その荷物は」
「あの……お願いが、あります」
エノアは深く頭を下げた。
「私も、連れて行っていただけませんか」
ラーメルトとフルメアが顔を見合わせる。
「実は……家に帰る前から決めていたんです。あの旅で、私、一度死にかけて……でも生きて帰れた。だから、この命で何かをしたいって」
エノアは顔を上げた。まっすぐにラーメルトを見据える。逃げも俯きもしない。あの旅で怯えていた娘は――もう、そこにはいなかった。
「両親はまた縁談の話を……。でも、私、まだ、返事をしていないんです。……その前に、もう一度だけ、外の世界を見たくて」
その言葉に、ラーメルトは彼女が家を出た理由を思い出した。冒険者に憧れ、家の決めた道を拒んだ娘。だが、憧れた冒険の果てで、彼女は仲間を失い、自分も死にかけた。
――それでもなお、
「冒険者に、戻るのですか」
「いえ……」
エノアは首を振った。
「剣を握るのは、もう怖いんです。あの日のことを、思い出してしまって。……でも」
彼女は抱えていた荷物から、一冊の帳面と筆を取り出した。
「私、字が書けます。数も数えられます。ハンザールの商家の娘ですから。……皆さんが測ったものを記録する。それなら私にもできます! 剣を握れなくても、皆さんの役に立てます!!」
――記録する。
ラーメルトは思わずエノアを見返した。
測ることと同じくらい、いや、それ以上に大切なこと。測った数字を正しく書き留め、後の世に残すこと。誰かがいつか、同じように確かめられるように。あの百五十年の空白を、二度と生まないために。
「――願ってもないことです」
ラーメルトは微笑んだ。
「実は、記録の手が、足りずに困っていたのですよ。歩測に、鎖に、天測。測るだけで手一杯で。……エノア。あなたに、この旅の『記録』を任せてもいいですか」
エノアの顔がぱっと輝いた。
「はい! 精一杯、務めます!」
フルメアがエノアの手を取り、ぶんぶんと振る。
「よろしくね、エノア! 女ふたりだと心強いわ!」
こうして、旅の一行に記録係が加わった。
◇
ハンザールから南へ向かう街道の、途中の宿場町で、一行は思わぬ再会を果たした。
「あれー? ラーメルトに、フルメアちゃんに……エノアちゃんまで!」
間延びした、あの声。
レオンハイトだった。神殿の用事で、この方面へ来ていたのだという。エノアをハンザールへ送り届けたあと、王都へ戻っていた彼と、旅の途中で、ばったりというわけだ。
「レオンハイト! 奇遇ですね」
「奇遇だねー。……あれ? もしかして、みんなで旅してるのー?」
事情を話すと、レオンハイトはうんうんと頷き、あっさりと言った。
「じゃあ、僕も行こっかなー。神殿には僕から言っとくよー。……ほら、旅には治せる人がいた方がいいでしょー?」
そのあまりに軽い申し出に、一同は笑った。
しかし――それは、ありがたい申し出でもあった。この先、何が待っているか誰にもわからないのだから。
こうして、魔術師行方不明事件に関わった顔ぶれが、母を除いて再び揃った。
ラーメルトは頼もしい仲間たちを見渡し、静かに拳を握った。
――だが、このとき。街道の遥か後方、木立の陰で、ひとつの影が遠ざかる一行の背をじっと見送っていた。




