升の細工
ハンザールでの数日は、瞬く間に過ぎた。
ラーメルトは、海の老人のもとへ通い、星の測り方を体に叩き込んでいった。フルメアとエノアは、そんなラーメルトを、顔を見合わせ、肩をすくめた。それでも、口元は笑っていた。
その日は、天測に向かぬ曇天であった。手持ち無沙汰のラーメルトたちは、港近くの市場をぶらついていた。
と、穀物商の一角で、また、諍いが起きていた。
「だから、これで一樽分、きっちり量ったと言ってるだろう!」
「量り方が、おかしいんだよ! あんたの升、底が上げてあるんじゃないのか!?」
――升。穀物や液体を量る木の升である。ここでも、単位の諍いか。ラーメルトは、また、あの布市場の光景を思い出した。だが、今度のは、少し様子が違った。
「ラーメルト、あの升……なんか、変じゃない?」
フルメアが鋭く言った。ラーメルトも、それに気づいていた。
売り手の使っている升は、一見普通の升だ。だが、その底が、わずかに――ほんのわずかに内側へ、盛り上がっているように見える。底が上がっていれば、同じ「一升」でも、入る量は少なくなる。
「エノア。この町の役所には、基準となる升――誰もが正しいと認める、大本の升は、ありますか」
「あ、はい。商業組合の会館に、『検定升』というものが。組合が、これを正しい一升と定めて、商人の升は、それに合わせて作られる決まりです」
――検定升。大本の、揺るがぬ一升。
ラーメルトは諍いの二人に歩み寄り、名乗った。宮廷魔術師の縁者であり、王命で度量衡を調べている、と。半信半疑の二人だったが、争いを収める手立てがあると聞き、渋々話に乗った。
商業組合の会館から、検定升が運ばれてくる。まず、二つの空の升をそれぞれ天秤で量り、その重さを確かめる。続いて、同じ穀物をすりきり一杯ずつ入れ、再び量った。
空の升の重さを差し引けば、違いは明らかだった。売り手の升に入った穀物の方が、軽い。
「見てのとおりです」
ラーメルトは静かに言った。
「この升は、検定升よりおよそ二分ほど少ない量しか入りません。底が上げてある。おそらくは、意図的に」
売り手の顔色が変わった。周囲の客たちがざわめく。
「そ、そんな……升なんて、どれも同じようなもんだろう!?」
「同じでは、ないのです」
ラーメルトは二つの升を並べて置いた。
「だから、こうして大本の升と比べる。物差しというものは――嘘を量ることもできるのですよ」
その言葉に、諍っていた買い手が、はっと顔を上げた。周囲の客たちも、ざわめきを強める。この売り手から買った皆が、同じように量をごまかされていたかもしれないのだ。
――物差しは、嘘を量れる。
ラーメルトは自分の言葉に、自分で少し驚いていた。
揺るがぬ基準が、ひとつ、そこにあるだけで。嘘は暴かれ、ごまかしは露わになる。
王が、なぜ、度量衡の統一を急ぐのか。その理由のほんの一端に触れた気がした。基準とは、ただの便利のためではない。それは――弱い者が、ごまかされないための、盾なのだ。
◇
その夜。
港に、突然の時化が来た。
昼まで、あれほど穏やかだった内海が、まるで何かに怒ったかのように、牙を剥いた。波は防波堤を越え、舫った船が、木の葉のように揺れる。
「すごい嵐……昼間は、あんなに凪いでたのに」
宿の窓から、フルメアが荒れる海を見て、呟いた。
エノアが隣で、少し不安そうに言う。
「この町の海は……時々こうなるんです。理由もなく、急に。漁師たちは、『海神様のご機嫌』なんて言いますけど」
理由もなく、急に。
ラーメルトはその荒れ狂う海面をじっと見つめた。星の高さは、揺るがぬ理で測れる。だが、この海の怒りには、理が見えない。まるで――海そのものが、何かを堪えかねているかのようだった。
その違和感を、ラーメルトは手帳の隅に小さく書き留めた。
なぜ、そんなことをしたのか、自分でもわからないまま。




