海の測り方
エノアが案内したのは、港の隅にうずくまるような古い一軒の店だった。壁という壁に、潮に灼けて色の抜けた海図が貼り重ねられ、天井からは名も知れぬ形の道具が、揺れる影を落として吊られている。
店の主は潮と陽に灼き込まれた老いた海の男だった。かつては遠洋を渡る船に乗っていたという。いまは陸に上がり、この手で海図を描いては、若い船乗りたちに売って暮らしていた。
「陸のもんが、海の測り方を知りたいとな。珍しいこともあるもんだ」
老人はしわがれた声で笑った。ラーメルトは丁重に事情を話した。長さの基準と、地図。歩測と、鎖。そして――星で距離を測るという、あの一行の記述のこと。
「なるほど。歩いて測る、か。……陸のもんらしい、やり方だな」
老人は頷いた。
「だがな。海にゃあ、歩く道がねえ。鎖を伸ばそうにも、伸ばす底がねえ。見渡す限り、水ばかりだ。……そんなところで、船が、どうやって己の居場所を知ると思う?」
「それが……星、なのですか」
「そうよ」
老人は天井から、あの扇形の器具に似た――だが、もっと大ぶりで、精巧な道具を外して見せた。
「陸の男は歩いて測る。海の男は星で測る。……北の空にな、ほとんど動かねえ星がある。船乗りは、皆、あれを頼りに進む。あの星が、水平線から、どれだけ高いところにあるか。その高さを、この道具で測るのよ」
老人はその道具を北の窓の方へ向ける仕草をした。
「南へ下れば、あの星は、低くなる。北へ上れば、高くなる。……つまり、あの星の高さを測りゃあ、自分が、南北のどのあたりにいるかが、わかるってわけだ」
ラーメルトの奥で、ばらばらだったものがかちりと噛み合った。
星の高さが、南北の位置を教える。ならば――二点が南北にどれだけ隔たっているかが、割り出せるのではないか。歩測もいらない。鎖もいらない。海の上でも、山の向こうでも。
「それは……つまり」
ラーメルトの声が震えた。
「星の高さの差が、そのまま、南北の距離に、置き換えられる、ということですか」
「話が早えな、あんた」
老人はにやりと笑った。
「そういうこった。もっとも、正確に測るにゃあ、道具の腕と、天気と、それに――ちょいとした、算術が要る。星の高さの差が、地上のどれだけの距離にあたるのか。その『換算』を間違えちゃならねえ」
その換算さえ、確かめられれば。
ラーメルトの頭の中で、ばらばらだった道具がひとつの体系に組み上がっていく。歩測。鎖。そして、星。近くは歩いて測り、その正しさを鎖で確かめ、遠くは、星で測る。三つが、繋がった。
「先生。……いえ、師匠。私に、その星の測り方を教えていただけませんか」
ラーメルトが深く頭を下げると、老人は豪快に笑った。
「師匠は、よしてくれ。……だが、まあ、いいだろう。陸のもんに、海の知恵を授けるってのも、悪くねえ。せいぜい、面白いもんを、見せてくれよ」
その夜。
老人に伴われ、ラーメルトは港の突堤に立った。
見上げれば、空は星でびっしりと埋まっている。その北の一角に――ほとんど動くことをしない星が、ひとつ、静かに座を占めていた。




