隣国ハンザール
街道を、いくつかの村を経て進み、四日目。
遠くに、これまで見たどの町とも違う賑わいの気配が見えてきた。ハンザール通商連合の首都、ハンザールである。
「わあ……! 王都より、人が多いんじゃない?」
フルメアが目を丸くした。
同じ賑わいでも、王都のそれとはまるで手触りが違う。王都が、魔法と歴史のどこか荘厳な賑わいだとすれば、ここの喧騒は、もっとあけすけだ。荷車の車輪が石畳を軋ませ、店先では値切りの怒声が飛び交い、そこかしこで、算盤めいた計算器を弾く乾いた音が鳴りやまない。銭のにおいのする、生きた町だった。
「そういえば、あなた、この町の魔術学院にいたのよね?」
「ええ。もっとも――魔術学院とは、名ばかりでしたが」
ラーメルトは懐かしそうに通りを見渡した。
「ここの学院で教えるのは、もっぱら、計算と、読み書きです。魔法など、ほとんど教えません。出資しているのが商人で、生徒の大半も、商人の子ですからね。彼らにとっては、剣より魔法より、そろばんが、はるかに役に立つのです」
魔法を捨て、実利を取った町。マナの薄いこの世で、過去の栄光にすがるのをやめ、ひたすら、今日の商いに生きる人々。――その割り切りの良さが、ラーメルトには、少し、羨ましくも見えた。
「さて。まずは、宿を取りましょう。それから――」
言いかけたラーメルトの言葉をひときわ大きな声が遮った。
「ラーメルトさん!? フルメアさんも!」
振り返ると、通りの向こうからひとりの娘が駆け寄ってくる。
エノアだった。あの旅で、命を落としかけた娘。だが、人混みを縫って駆けてくる姿には、あのとき蒼白だった顔の面影がない。頬には血の色がのぼり、伏せがちだった目がまっすぐこちらを捉えている。
「エノア! 元気そうで、何よりです」
「お久しぶりです! まさか、ハンザールでお会いできるなんて……!」
エノアは息を弾ませ、ラーメルトとフルメアの顔を交互に見た。それから、少しだけ表情を曇らせる。
「あの……お礼をちゃんと言えていませんでした。あのとき、助けていただいて……本当に、ありがとうございました」
「礼を言われるようなことは。……あなたが無事で、それがいちばんです」
エノアは深く頭を下げた。それから、顔を上げ、ふと思い出したように言った。
「あの、もしよければ……うちに、寄っていかれませんか。両親も、いつか、レオンハイトさんをはじめ、あのとき助けてくださった皆さんにお礼をと、言っていて」
「両親も」――そこまで言って、エノアの声が、ほんの一拍、つまずいた。
睫毛が伏せられ、すぐにまた上がる。
その一瞬の翳りを、ラーメルトは見逃さなかった。冒険者に憧れ、家の決めた縁談を嫌って、家を飛び出したという娘。その娘が故郷に帰った。ならば、あの縁談の話が、また、彼女を待っていたはずだ。
「……喜んで。ただ、その前に」
ラーメルトはあえて明るく言った。
「私たちは、少し変わった用事で、この町に来たのです。エノア、もしよければ、案内を頼めませんか。この町で、いちばん海に詳しい人に会いたいのですよ」
「海に、詳しい人?」
エノアはきょとんとしたが、すぐにぱっと顔を輝かせた。
「それなら、心当たりがあります! ……あ、でも、その前にひとついいですか」
「なんでしょう」
「その、変わったご用事……よければ、私にも聞かせてもらえませんか。私……もう一度だけ、この家の外の風を吸ってみたくて」
言い終えたエノアの目の奥に、火が点る。かつて冒険譚をむさぼり読んだ、あの少女の火が。
ラーメルトとフルメアは顔を見合わせ、そして、微笑んだ。




