度量衡、そして
翌日。身支度を整えたふたりは、王城へ向かった。
「待っておったぞ。……ん? そちらのお嬢さんは、どちら様かの」
迎えたグレインが、フルメアに目を留める。
「フルメアです。魔術師行方不明の件で、彼女に助けられました」
魔結晶精製の技には、触れない。ヴァルーカに捕らわれた際、助けに来てくれた者のひとり、とだけ紹介する。
「おぉ! そうか、そうか。息子を助けてくださって……ありがとう」
グレインは、フルメアの手を握り、深々と頭を下げた。宮廷魔術師の突然の礼に、フルメアも慌てて頭を下げる。顔を上げたフルメアは、グレインとラーメルトが、あまり似ていないことに気づいた。――母親似、なのだろうか。
その問いに答えられる者が、この場にはひとりだけいた。だが、その答えが口にされることはなかった。
「おっと、ゆっくりしている暇はないでな。ふたりとも、沐浴して、正装に着替えてきてくだされ」
控えていた侍女が、フルメアの分も衣装を用意すると告げた。
◇
着替えを終えて広場へ戻ると、人が溢れかえっていた。演説の途中だったのか、王が声を張っている。
「我が国は、かの魔法大戦を経て建国し、百年を数えた。国民の協力あってのことだ。感謝している」
歓声。王が手を挙げ、静める。
「今後百年、いや千年の繁栄を願い、余は、ふたつのことを行う。ひとつは、度量衡の統一。もうひとつは、地図だ」
ざわめきが、広がる。ラーメルトも、隣のフルメアと顔を見合わせた。
「代が変わるたびに、長さも、通貨の名も、あらゆる基準が変わる。そのたび、あらゆるものを作り直す。これが、我が国の進展を、大きく妨げてきた。――王によらず、国によらず、時代によらず、普遍の基準となるもの。それこそ、我が国に必要なものだと、余は考えた」
王の言葉が、広場に響く。
「その基準を作る者を、慎重に選んできた。此度、宮廷魔術師グレインより、推薦を受けた」
王が、振り返る。
「ラーメルト導師だ」
自分の名だ、とわかるのに、数瞬かかった。意味は、まるで追いつかない。割れんばかりの歓声だけが、先に上がった。
「その名を、後世まで伝える栄誉を授けたい。――長さの基準の名を、ラーメルトの名より、メートルとする」
メートル。
「重さの基準は、この案を作った宮廷魔術師グレインの名より、グラムとする」
グラム。
「そして」
王は、一拍を置いた。
「これら基準の、千倍を示す語が要る。桁の大きなものを、いちいち数え上げるは煩わしいゆえな。――余の名、キーロイスより、キロと定める。千メートルを、キロメートル。千グラムを、キログラム、と」
――長さがメートル、重さがグラム。そして、その千倍を束ねる、キロ。
ラーメルトは、頭の中で、その組み合わせを、ぼんやりと復唱した。まだ、実感がまるで湧かない。
「これらをどう定義するかは、ラーメルトに課す命令とする。そして、もうひとつ――正確な地図の作成も、ラーメルトに任せる」
再び名を呼ばれ、ラーメルトは、もう、言葉を発することができなかった。
「新しい基準で、新しい地図を作る。建国より百年の本日、余は、これを宣言する。皆、今日はご苦労であった。宴を、楽しんでくれ」
大歓声を背に、王は場内へと去っていった。
◇
その後、領主たちの集う席で、キーロイスは協力を求めた。
「ラーメルトひとりで、すべてを周るのは、骨が折れよう。各領主には、それぞれの領地での支援と協力を願いたい」
「協力は惜しみませんが……どのように?」
「まずは、基本的な地図の作り方を、ラーメルトが考える。その作り方であれば、誰でも作れる――というものじゃ。それをもとに、各領で測量と地図作りを行ってもらう」
グレインの答えに、領主たちは得心した。
ひとりの天才が、一枚の完璧な地図を描くのではない。誰もが同じ手順で、同じように測れる、その「方法」こそを作る。――それが、この事業の、本当の核であった。
◇
家に戻ったふたりは、卓を挟んで向かい合ったまま、しばらく黙り込んでいた。何から手をつければいいのか、口を開くきっかけさえ、掴めない。
「まずは、基準となるものを探さないと、ですね。誰もが『これならわかる』という、何か。しかも、今の長さの基準――先代の王の、体を使ったものから、大きくずれてはいけない」
王の体の部位を基準にしていた、ということは、他の人間の体の部位とも、大きくは変わらない、ということだ。多少の誤差はあっても、誰もが「だいたいこれくらい」と体で理解できる。それが、人の体を使った基準の、唯一にして最大の利点だった。
では、それ以外の何を基準にすれば、皆に納得させられるのか。当たり前に使ってきたものを、いざ「作れ」と言われて、ラーメルトは初めて、その難しさに直面していた。
「……ひとつ、思うのですが」
ラーメルトは、ふと、自分の足元を見た。
「私は、歩数を数える癖があります。母の教えで。自分の一歩の長さを、体に覚えさせておけ、と。――だから私の歩幅は、ほとんど、狂わないのです」
だとすれば。今の基準から大きくずれず、かつ、いつでも、どこでも、自分の体ひとつで再現できる、暫定の「ひと単位」を、まず自分の歩幅から定めることは、できる。あくまで、仮の原器として。
「でも、それだと……ラーメルトの歩幅が基準ってこと? ラーメルトがいなくなったら?」
痛いところを、突かれた。そのとおりだ。それでは「王によらず」を「ラーメルトによらず」に置き換えただけで、何も解決していない。
「ええ。ですから、これは、あくまで出発点です。いつか――私の歩幅にもよらない、この世界そのものに根ざした、揺るがぬ何かを、見つけなければ。……そもそも、この世界は、どれくらいの大きさなのでしょうね」
ぽつりと漏れたその問いに、ラーメルト自身、まだ答えを持っていない。
誰も、答えを持っていない。
そのことに気づいた瞬間、疲れきっていたはずの頭の奥で、何か熱いものが、ちりりと灯った気がした。
沈み込むラーメルトの手を、フルメアが取り、微笑む。
「まぁ、なんとかなるわよ!」
握られた手の感覚に、ラーメルトは顔を上げた。
「……そうですね。考えていても、進みません。旅の準備をして、出発しましょうか」
「なんとなくだけど……こういうのは、急いだほうがいいわね」
満面の笑みで、フルメアが立ち上がる。遅れて、ラーメルトも席を立った。
長さの基準。世界の大きさ。正確な地図。
――どれも、まだ、影も形もない。
だが、旅の一歩目の長さだけは、いつもと寸分違わなかった。
(第一章・完)
第一章「魔術師失踪事件」をお読みいただき、ありがとうございました。
次章「基準と地図」より、新たな旅が始まります。引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。




