ふたつの匂い
翌々日。ラーメルトは、王城からの使いに呼ばれた。父の「近いうち」は、思いのほか早かった。
馬車に揺られ、腰を痛めながら王城へ。父の部屋へ通されると――そこには、グレインと、もうひとり。
――王。
喉の奥が、ひとりでに強張る。棒立ちになったラーメルトへ、王が気さくに手を振った。
「畏まらずともよい。此度は、大儀であった」
「グレインより報告を聞いた。邪教の者が儀式を行い、学院を追われた男が、それに加担していたそうだな」
「はい。ヴァルーカを、情報を得る前に死なせてしまいました。申し訳ございません」
「ヴァルーカとやらは気にせずともよい。ヴォルトローネであったか。何やら企んでおるようだが、しばらくは目立った動きもできまい」
王は出口へ歩き、扉の前で振り返った。
「ラーメルト。明日の式典に、お主にも出てほしい。いや――出てもらわねばならんのだ」
え? 意味がわからぬまま、ラーメルトは頭を下げるしかなかった。頼んだぞ、と言い残し、王は去っていった。
残されたグレインに問うても、「明日になればわかる」と、白髭を撫でるばかり。だが、その目尻には、隠しきれない笑い皺が寄っていた。
◇
王城からの帰りは、いつものように、馬車がなかった。歩くしかない。中心街へ向けて歩いていると――
袖を、引かれた。
「ねえ。あなた、ふたつの匂いがする」
振り返ると、深いフードの下から、紅い瞳が覗き込んでいた。近い。人と人との間合いというものを、まるで知らない近さだった。フードの隙間から、さらりとした銀の髪が覗く。
「――あなたは」
ラーメルトは、すかさず距離を取った。あの、祭壇の女だ。
「なぜ、ここに。……そもそも、なぜ、平然と」
「空の匂いと、下の匂い。どうして? ねえ、どうして?」
女は問いに答えず、子どもが珍しい石を見つけたような目で、ラーメルトを見上げていた。値踏みでも、誘惑でもない。ただ、無邪気な、そして底の見えない好奇心であった。
女は、ラーメルトの手を取ると、その掌に、小さな紅い結晶を載せた。純魔結晶である。
「あげる。あなたは、いつかかならず、これが要るひとよ」
「……なぜ、そう思うのです」
「歌が、そう言っているもの」
女は当然のことのように答えた。――歌?
「あなたの目的が何かは知りませんが、私は受け取りません。人の命を使った、そんなものは」
ラーメルトは結晶を、女の手へ押し返した。突き返されるとは思っていなかったのか、女は少し不思議そうに、それを見た。
「兵を呼ぶ、とは考えないのですか」
「呼んでも、あなたの言うことを信じる人は、いないでしょう? わたしの顔を知っているのは、あなただけだもの」
女は、うたうように言った。それが脅しなのか、ただの事実の確認なのか、判じかねる。感情の、抜け落ちた声であった。
「まあ、いいわ。今日は、あなたに会いたかっただけだから」
女は、ふ、と身を翻す。フードの奥から、最後にもう一度、紅い瞳が覗いた。
「あなたは、いつかかならず、これが要るひとよ。……そのとき、また会いましょう」
そう言い残して、女は人混みに紛れ、消えた。
ラーメルトは、その場でしばらく、動けなかった。
――王都に、来ていた。私の報告は、甘すぎた。
だが、あの女は、何かを起こす気配ではなかった。自ら手を下す人間にも、人の心の隙につけ込む人間にも、見えない。ただ、誰かに与えられた言葉を、なぞって生きているような。
わからない。何が、目的なのだ。ラーメルトは、その後ろ姿の消えた方を、長く見つめていた。




