戻る日常、そして報告
王都に着いた頃には、陽が暮れていた。ラーメルトは馬を厩へ預け、その日は家路についた。
翌朝。共同水道で顔を洗い、竈に火を熾し、体を拭う。血の匂いも、詠唱の声もない。湯気と、竈の火の匂いだけ。それだけの、普段どおりの朝であった。
刀を鞘から抜くと、刃に赤茶けたものが残っている。ゴブリンの血だ。グラディオにまた研いでもらおう。刀を鞘へ収める。
支度を終え、ラーメルトはまず鍛冶屋へ向かった。
「グラディオさん」
「おぉ! ラーメルト。この前のお嬢ちゃん……フルメアは、今日はおらんのか」
「村に戻っています。今日は、この刀をまた。切り合いがありましたので」
なんじゃつまらん、と刀を受け取ったグラディオは、鞘を払い、陽に黒い刀身を透かした。目つきが、鋭くなる。
「……相変わらず、儂の物差しの外じゃな。わかった、近いうちまた取りに来い。――次はお嬢ちゃんも連れてな。がははは」
◇
次に、神殿へ。レオンハイトの件を伝えねばならない。
だが、神殿長室の扉を叩いても、応えはなかった。通りがかった神殿長代理が、丁寧に教えてくれる。
「リザベラ様は、まだお戻りになりません。何か御用でしたら、私が」
ラーメルトは、レオンハイトが旅先で知り合った者を護衛して、ハンザールへ向かうことになったと、簡潔に伝えた。
――出立の朝、記憶にある限り初めてのことだと思った母の不在は、あれから幾日も経った今も、まだ続いている。行き先も、いまだ知れぬままだ。胸の奥が、また薄曇りになる。振り払うように、ラーメルトは小さく頭を振った。今は、考えても始まらない。
「かしこまりました。リザベラ様へは、私からお伝えします」
代理は小さく印を切り、頭を下げて去っていった。
◇
その足で、王城へ。宮廷魔術師の部屋の扉を、ノックする。
「ラーメルト、参りました」
「鍵はかけておらん。入って来るがよい」
白髭の男――グレインが、顔を上げた。
「魔術師行方不明の件で、報告に参りました」
「ほぅ。意外と早いのぅ」
「魔術学院を追放されたヴァルーカという男が、魔術師を殺害していました。ディートの証言では、行方の知れなかったバードック師も、既に、儀式の生贄にされていたようです。ヴォルトローネという女と結託し、他の魔術師も同じ目に遭わせていたのでしょう」
「ヴォルトローネ……」
その名に、グレインの手が、白髭の上で止まった。眉を、寄せる。
「……どこかで、聞いたことがあるような。うぅむ。思い出せん」
――魔術学院の書庫にも、国中の資料にも、その名はないはず。なのに、父だけが引っかかる。ラーメルトは、その表情を、記憶の隅に留めた。
やがて、話はゴブリン語のことへ移り、グレインの興味はすっかりそちらへ傾いてしまった。ヴァルーカを事故で死なせてしまった旨も、ラーメルトは伝えた。純魔結晶のことも、フルメアのことも、伏せた。父へ話せば、いずれ王家と学院にも伝わる。そうなれば、カーデルクスの名と技術が、再び疑いの目に晒されかねない。
――ヴォルトローネが儀式を行い、その生贄に魔術師が使われた。ヴァルーカは学院への恨みから、それに加担した。嘘は、ついていない。ただ、いくつかを、言わなかっただけだ。
「ヴォルトローネという女については、わしも調べてみよう。これ以上、事件が起こらぬのであれば、ひとまず良しじゃ」
グレインは席を立ち、ラーメルトのそばへ来た。
「今日はもう帰ってよい。旅の疲れも残っておるじゃろう。――近いうち、また呼ぶかもしれん。できるだけ、王都にいてくれると助かる」
「しばらくは、王都に。学院にも顔を出さねばなりませんし」
ラーメルトは一礼し、部屋を後にした。
――父は、あの名を、どこで聞いたのだろう。
その問いだけが、帰り道、ずっと消えなかった。




