純魔結晶
祭壇へ通じる坂を、ラーメルトは駆け上がった。
広い空間に出る。最奥部の、祭壇の上。目の前に、ヴァルーカが立っていた。ローブの裾が黒く焦げ、片頬に火傷の跡が生々しい。自らの魔法の余波を、まともに浴びたのだろう。それでも、脚は止まっていない。こちらの入口を向いて――予想済みだ、と言わんばかりの顔で。
ヴァルーカが詠唱を開始する。魔素が凝る。
ラーメルトは無策ではない。手の短剣を投げつけた。ヴァルーカは躱しもせず、刃は右の太ももをざっくりと削って、祭壇下へ落ちた。それでも唇は、詠唱の形を刻み続ける。太ももを裂かれた痛みなど、端から存在しないかのように。
「光!!」
ラーメルトは魔結晶を突き出し、顔を背け、己の持てる最大の魔力を注いだ。青白い光が、部屋を広範囲に照らす。直視したヴァルーカが、眩しさに目を閉じる。
だが、術式は既に完成していた。
「火焔球」
目を閉じたまま、火球が生まれる。ラーメルトは横へ跳び、ヴァルーカめがけて突進した。頬を炙る熱塊が、背後で炸裂する。
ヴァルーカは着弾を感覚で捉え、ゆっくりと目を開けた。――その着弾点に、ラーメルトはいない。
左手前へ回り込んでいたラーメルトの体当たりが、ヴァルーカを祭壇の隅まで吹き飛ばした。
形勢逆転。背の刀を抜き、突きつける。
「私は、極力人を殺めたくはないのですが……あなたを王都へ連れて行っても、どのみち一族もろとも死罪でしょう。ですが――父に、あなたの処遇を決めてもらいたい。無駄な抵抗はやめて、ついてきていただけますか」
ここの存在も、あの女の存在も、隠す方がいい。純魔結晶が世に出れば、魔術師への風当たりは強まり、あるいはそれを巡って、仮初の平和が崩れかねない。だからこそ、あの女――ヴォルトローネとやらが何者か、ヴァルーカから聞き出す必要が、あった。
ヴァルーカが、にやりと笑う。挑発の顔だ。
「ここで殺した方がいいんじゃないですかねぇ。クハハ。ならいっそ、自分から死にますかねぇ!」
じりじりと祭壇の縁へ下がる。飛び降りても、打ちどころが悪くなければ死にはしない。神聖術もある。それを承知の、揺さぶりであった。
「質問を変えます。ヴォルトローネとは、何者ですか」
その名に、ヴァルーカの作り笑いが、ふっと消えた。
「あなたに話して、なんの得があるというのだろうねぇ?」
言い終えるや、祭壇下へ飛び降りた。鈍い音。這いつくばりながら、それでもヴァルーカはこちらを視界に捉え、詠唱を始める。
「くっ!」
祭壇の縁から遠ざかる。凝縮された魔素が、純爆発となって展開した。爆風が、ラーメルトを壁へ叩きつける。手の刀と魔結晶を、取り落とす。
下では、純爆発の衝撃で目覚めた男たちが、ヴァルーカを担ぎ上げていた。逃げられる。ラーメルトは魔結晶を拾い、刀を背へ戻し、弓を構えて祭壇の縁へ走った。
矢を放つ。男のひとりの肩に刺さり、三人が倒れ込む。もう一射――と、つがえた矢を、ヴァルーカの魔法が阻んだ。
際限がないのか。悪態をつき、後ろへ跳んで伏せ、爆風をやり過ごす。連射されては、分が悪い。飛び降りて追えば、着地の隙を狙われる。逃がせば、フルメアたちの部屋へ向かう。
ラーメルトは、もう一度、祭壇の縁へ矢をつがえて駆け寄った。待っていたように、ヴァルーカと男たちが構える。魔素が凝る。また純爆発か――ラーメルトは奥歯を噛みしめ、来たるべき衝撃へ身を低くした。
しかし、いつまで経っても、それは、発動しなかった。
失敗した? ラーメルトはヴァルーカを見た。
ヴァルーカもまた、なぜ発動しないのか、怪訝な顔で――手の中の、紅い純魔結晶を、覗き込んでいた。あの、井戸の底を覗くような仕草で。
「なぜだ!? なぜ、魔法が発動しない!?」
紅い純魔結晶と同じく、自分の顔まで真っ赤にして、ヴァルーカが怒鳴る。
――魔素が、切れたのだ。
ラーメルトは、いち早くそれを理解した。あの結晶とて、器は器。無尽蔵ではなかった。
この機を逃すまいと、ラーメルトは祭壇下へ飛び降りた。丸めた体を転がし、衝撃を肩から背へと逃す。異常なし。走り出す。
ヴァルーカを担ぐ男たちは、魔法陣の中央へ向かっていた。そこには、まだ埋め込まれていない――フルメアを生贄にして、作ろうとしていたはずの、もうひとつの純魔結晶。
間に合わない。
視界の先で、ヴァルーカがそれを引き抜き、掲げ、詠唱を始めた。
――だが、その手は。今度は、器の底を、覗かなかった。




