生贄の秘術
灼熱の風と、爆音と、衝撃波が、レオンハイトとラーメルトを襲った。部屋へ飛び込む直前、目の前が真っ赤に染まったのだ。あと少し早ければ、レオンハイトが呑まれていた。肌を焼く熱波に、怒りに駆られていたレオンハイトが、我に返る。
ラーメルトは、その魔法を知っていた。
破壊魔法火焔球。空間魔素を大量に食らい、高火力を吐き出す、大戦前の魔術師の主力。今は禁忌に近く、学院では魔導書の閲覧すら許可制のはずだ。
視界の先では、火だるまのゴロツキが、もがいていた。
なぜゴロツキが、は後だ。あれだけの魔法の直後――周辺の魔素は、枯れているに等しい。今しか、ない。
ラーメルトはレオンハイトに首飾りと短剣を持たせ、短く策を告げ、ふたりで部屋へ躍り込んだ。
これまでのどの部屋よりも広く、天井の高い空間であった。
床には、巨大な魔法陣。ところどころに円形の台座が配され、その上に、人が寝かされている。台座から中央へ延びる窪みには、赤黒く乾いた流れの跡。
――生贄の、術式。
聞いたことはある。見るのは、初めてだった。
台座のひとつに、フルメアの姿を見つけた。腕から、おびただしい出血。だが、胸は微かに上下している。生きている。――余裕は、なさそうだが。
ラーメルトが指で示し、レオンハイトが頷く。同時に、祭壇の上から詠唱が聞こえた。魔術師と、もうひとり。
この枯れた魔素で、高度な魔法は撃てまい。だが、魔法は多種多様――前回は、その油断で負けた。詠唱そのものを、潰すが早い。
ラーメルトは腰の予備の短剣を抜き、投げた。
まさかの飛刃に、魔術師は辛うじて身を躱し――躱すことに気を取られ、詠唱を、自ら破棄した。忌々しげに、こちらと、黒焦げの骸とを睨みつける。
「ヴァルーカ……なんということを、してくれたのだ」
静かな声が、魔術師にかけられた。魔術師は、はっと我に返り、跪いて深く頭を垂れた。
ヴァルーカ。
その名を聞いて、ラーメルトの中で、ようやく顔と名前が結びついた。比較的優秀な若手として学院にいた男だ。「いた」――その思想と性向を危険と見なされ、追放されたのである。追放までの間に、よほどのものを学んでいたらしい。火焔球は、生半可には使えない。
「も、申し訳ございません。ヴォルトローネ様。あの馬鹿が、ヴォルトローネ様の術式を止めたので……その……」
術式の発動に要る魔素まで、焼き尽くしてしまった――責められているのは、そこであるらしかった。
ラーメルトは、視界の端のレオンハイトを確かめた。ローブの男ふたりを相手に、苦戦している。
素早く矢をつがえ、放つ。矢は男の手前の床で跳ね、その一瞬の注意を、レオンハイトは逃さなかった。柄頭が顎を打ち抜き、ひとりが崩れる。返す刃を躱し、剣の腹で顔面を張り、下がった頭を膝で蹴り上げる。ふたり目も、沈んだ。
男たちの倒れる音に、ヴァルーカが立ち上がり、詠唱を再開する。――その太ももに、ラーメルトの矢が突き立った。
「ぐうううぅ!!」
膝をつき、唇を噛み、それでも立とうとするヴァルーカ。
その傍らで、ヴォルトローネと呼ばれた女は、じっと、彼を見ていた。蔑みでも、憐れみでもない。何の感情も読めない、硝子のような目であった。
やがて女は、踵を返した。
「え? ヴォルトローネ様!?」
ヴァルーカの顔に、絶望が広がる。
女は牢の……いや、祭壇の縁で足を止め、ヴァルーカを見た。怒りも、侮蔑も、そこにはなかった。
「――役目を果たせぬ器は、静かに手放しなさい。囚われた場は、居場所ではありません」
それは、誰かの言葉をなぞる声だった。教本を読み上げる子どものように、抑揚がない。
「もう、要らないわ。あなたも。……ここも」
最後のひとことだけが、少しだけ幼く響いた。紅い瞳は、ヴァルーカを見ているようで、もっとずっと、遠くを見ていた。
女は、祭壇の上手の通路へと、姿を消した。
残されたヴァルーカは、呆然と、その場に膝をついている。
ラーメルトは、そのやり取りを警戒しつつも、意識の半分をレオンハイトに割いていた。フルメアの出血を思えば、ヴァルーカにも、あの得体の知れぬ女にも、構っている余裕はない。今は――彼女の治癒が、先だ。
レオンハイトが台座の紐を切り、すぐさま治癒の祈りを唱えようとして――その顔が、曇った。
この部屋は、火焔球で魔素を焼き尽くされている。神聖術は術者の生命力を源とするとはいえ、傷を塞ぐ奇跡には、わずかな空間魔素が要る。今この場では、それが足りない。
舌打ちひとつ。レオンハイトは切り替えて、自分の服を裂き、フルメアの腕へ固く巻きつけた。まずは血を止め、魔素のある場所まで運ぶ。それしかない。力の抜けきった体を、慣れた手順で肩に担ぎ上げる。倒れた人間を担ぐには、コツが要る。神殿で救護の手ほどきをしてきた男の、面目躍如であった。
フルメアを担いだレオンハイトが、部屋を駆け出ていく。
祭壇の上では、ヴァルーカが、まだ放心していた。今のうちに――そう思った矢先。
何かが壊れたような奇声が、上がった。
ヴァルーカは太ももの矢をへし折り、力任せに引き抜いた。溢れる血がローブを染めていく。その顔は――笑っていた。感情のない、薄気味の悪い笑いであった。
「ヒヒヒヒ……お前らが……お前が、来たから……」
「なぜ、こんなことを。他の魔術師が消えたのも、あなたの仕業ですか」
弓を構えたまま問うと、ヴァルーカは血走った目で睨み返してきた。
「あぁ、そうだよぉ! 彼らには純魔結晶に、なってもらったのだよぉ……アヒヒヒ」
腰の袋を、指し示す。
「純魔結晶? そんなものを作る技術が、残っているとは思えませんね」
「あああるんだなあああ、これがああ」
見下すような顔。だが、あの詠唱と、この魔法陣。持っているのは、間違いあるまい。
嫌な予感が、する。
「これが、そのための魔法陣だと言うのですか」
「そうだよぉ! 術式は、ヴォルトローネ様しか知らないのだよぉ……あぁあ……ヴォルトローネ様ぁ」
その名を口にした途端、ヴァルーカの表情が、ぐずぐずと崩れていった。あまりの変わりように、薄気味悪さすら覚える。予感が、拭えない。
「お前も! 私も! ここで終わりだよぉおぉ!!」
ヴァルーカが祭壇の陰へ跳び下がり、詠唱を始めた。あの位置では、弓の射線が通らない。ヴァルーカは、光の消えた紅い結晶へ、なおも術を流し込んだ。魔素は枯渇に近い――そこまでの魔法は、撃てぬはず。だが、詠唱を止められぬ以上、取れる手は、ひとつしかなかった。
ラーメルトは、身を翻して部屋から駆け出した。
直後。
背後で大爆発が起こり、その爆風が、ラーメルトの体を宙へ吹き飛ばした。




