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世界は見たままの姿をしているか?  作者: 古代羊
第一章 魔術師失踪事件
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怒りと絶望と

「あああああああ!」


 肚の底から声を上げ、レオンハイトは怒りのままに突進した。

 ゴロツキは待ってましたとばかりに短剣を振り上げ、切っ先をレオンハイトへ――向けたはずの腕が、なかった。

 一閃。腕とレオンハイトの間を、銀色の光が走った。

 ゴロツキは、まず違和感に気づいた。次に、部屋の入口に立つエリヴィラの、突き刺すような気配に。そして最後に――自分の腕が、落ちていることに。

 心臓が脈打つたび、切断面から血が噴く。


「がああああ!! くそっ! くそったれがあ!!」


 レオンハイトは一瞬、その凄惨さに足を止め――それでも、全力でぶつかった。肩からの体当たりが、ゴロツキをエノアの上から弾き飛ばす。

 床を転がったゴロツキは、勢いのまま立ち上がり、出口へと逃げ出した。レオンハイトは血で足を滑らせ、膝をつき、出遅れる。急いで立ち上がり、部屋を出る間際、エリヴィラへ短く叫んだ。


「――お願いします!」


 エリヴィラは追わなかった。床でぐったりと動かぬエノアの傍らに、静かに膝をついた。


◇


 ラーメルトは、洞穴を走っていた。道々、ゴブリンの骸が転がっている。ほとんどが、一撃。いったい、誰が――いや、考えるまでもない気がした。

 前を走る男の縄は、既に解いてある。害をなす男ではない、と判断したのだ。

 やがて、松明の灯りの先に、骸が累々と積み上がった部屋の入口が見えた。札の部屋。入れぬゴブリンが、その周りで山を築いたのだ。

 その部屋から、勢いよく人影が飛び出してきた。


「レオンハイト! 待ってください!」


 追いつき、肩を掴む。振り返ったレオンハイトの顔は、見たこともないほど紅潮していた。


「何があったのです。その血は。フルメアとエノアは」


「ラーメルト! エノアが! あの男! くそっ! フルメアは、気がついたらいなかったよ!」


 温厚なこの男の口から、聞いたこともない罵りが、次々とこぼれ出る。長い付き合いのラーメルトですら、その豹変に、一瞬、言葉を失った。落ち着かせようと掴んだ手は、払いのけられた。レオンハイトは、床に点々と続くおびただしい血痕を追って、最奥部の方へと駆け出していく。


「あなたは、あの部屋で隠れていてください」


 男へ言い残し、ラーメルトも走り出した。


◇


「う……ん」


 手に、何かをされている感覚で、フルメアは目を覚ました。

 高い天井。薄暗い。松明の明かり。

 体を起こそうとして――起きない。腕も、足も、体も、台座に縛りつけられていた。動くのは、首だけである。

 首を傾けると、少し離れた場所に、人が寝ているのが見えた。同じように、縛られて。目を凝らせば――自分を含めて、五人。


「目が覚めたかねぇ?」


 足元の方から、あの粘つく声がした。魔術師である。


「なによ? どうする、つもりなの」


「これから君には、そこのヤツラと同じに、なってもらいますぅ。これのために、ね。わかるかね? わからんだろぅ。――至高の作品だよぉ」


 魔術師がローブの腰の袋から取り出したのは、紅い結晶であった。


「魔結晶?! なぜ……いや、色が、違う?」


「ほう? 博識なのかねぇ? そのとおり。魔結晶だよぉ。我々は純魔結晶(ブランク)と呼んでいるがねぇ」


 術式を織り込まぬ、魔素だけの塊。フルメアも、知識としては知っている。村では作らなかった。製法も、失われたはず。だが――純魔結晶が紅い、などという記述は、どこにもなかったはずだ。


「それがどうしたのよ! 魔結晶なんて今は作れないし、どうせ拾いものでしょ!」


 事実を伏せて、でまかせを叩きつける。魔術師は、口元をにやりと歪めた。


「それが、あるんだよねぇ。ま、だからこうして、君らには犠牲になってもらっているのだがねぇ」


 犠牲。

 フルメアはもう一度、隣に横たわる人を見た。――胸が、動いていない。だらりと垂れた腕に、赤黒く乾いた血の跡。その跡は、台座から中央へ延びる細い窪みへと、続いていた。

 慌てて、自分の腕へ目をやる。手首の位置に、丸い小さな台。そこから中央へ、同じ細い窪みが、延びている。

 頭上に、気配。見上げれば、ローブの男がふたり、短剣を手に、ゆっくりと近づいてくるところであった。


「いや! いや! 来ないで! やめて!!」


 抵抗が無意味と知りながら、必死に身をよじる。縄が肌を赤く染めていく。ひとりが口を布で押さえ、もうひとりが左腕を掴み――短剣が、細く白い腕に、傷をつけた。


「んんーーぐっ!」


 腕の先から熱が走り、心臓が跳ねるたび、痛みが頭を殴りつける。血が窪みを流れていくのを確かめて、ローブの男たちは離れていった。


「――ヴォルトローネ様、お願いします」


 魔術師が下がり、代わって、別の人影が前に出た。

 涙で滲む視界にも、ひと目で女性とわかる姿であった。年の頃は、フルメアより少し上か――エリヴィラのように、年齢のわかりにくい容姿をしている。深いフードの奥の瞳が、あの紅い結晶と、同じ色をしていた。

 女は、フルメアを見もせずに、詠唱を始めた。

 ――詠唱、なのだろうか。それは呪文というより、どこか、歌に似た節回しをしていた。静かで、澄んでいて、この場所には、ひどく不釣り合いな。

 フルメアの周囲に、薄い赤の光が灯り始める。魔法陣の光だ。光は徐々に強まり、彼女を覆い尽くそうとして――


「だずげでぐれぇぇ、いでぇぇぇええ!」


 静寂を、絶叫が引き裂いた。

 歌が、止まる。

 腕から血を噴き散らしながら、ゴロツキが部屋へ転がり込んできたのだ。

 詠唱を汚された怒りか、魔術師が、女に代わって前へ出た。激昂しながらも、その男は、懐から取り出した紅い結晶を目の高さに掲げ、芯に残る光を素早く確かめていた。怒りに我を忘れているようで、その一点だけは、決して欠かさない。フルメアには、それが、井戸の底を覗き込む仕草のように見えた。

 部屋の空間魔素が、渦を巻いて凝っていく。

 詠唱の完了と同時に、空中に火の塊が生まれ――ゴロツキを、瞬時に呑み込んだ。

 離れたフルメアの肌さえ炙る熱量が、その魔法の格を物語っていた。あまりの一瞬の出来事に、フルメアは、腕の痛みを忘れていた。


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