怒りと絶望と
「あああああああ!」
肚の底から声を上げ、レオンハイトは怒りのままに突進した。
ゴロツキは待ってましたとばかりに短剣を振り上げ、切っ先をレオンハイトへ――向けたはずの腕が、なかった。
一閃。腕とレオンハイトの間を、銀色の光が走った。
ゴロツキは、まず違和感に気づいた。次に、部屋の入口に立つエリヴィラの、突き刺すような気配に。そして最後に――自分の腕が、落ちていることに。
心臓が脈打つたび、切断面から血が噴く。
「がああああ!! くそっ! くそったれがあ!!」
レオンハイトは一瞬、その凄惨さに足を止め――それでも、全力でぶつかった。肩からの体当たりが、ゴロツキをエノアの上から弾き飛ばす。
床を転がったゴロツキは、勢いのまま立ち上がり、出口へと逃げ出した。レオンハイトは血で足を滑らせ、膝をつき、出遅れる。急いで立ち上がり、部屋を出る間際、エリヴィラへ短く叫んだ。
「――お願いします!」
エリヴィラは追わなかった。床でぐったりと動かぬエノアの傍らに、静かに膝をついた。
◇
ラーメルトは、洞穴を走っていた。道々、ゴブリンの骸が転がっている。ほとんどが、一撃。いったい、誰が――いや、考えるまでもない気がした。
前を走る男の縄は、既に解いてある。害をなす男ではない、と判断したのだ。
やがて、松明の灯りの先に、骸が累々と積み上がった部屋の入口が見えた。札の部屋。入れぬゴブリンが、その周りで山を築いたのだ。
その部屋から、勢いよく人影が飛び出してきた。
「レオンハイト! 待ってください!」
追いつき、肩を掴む。振り返ったレオンハイトの顔は、見たこともないほど紅潮していた。
「何があったのです。その血は。フルメアとエノアは」
「ラーメルト! エノアが! あの男! くそっ! フルメアは、気がついたらいなかったよ!」
温厚なこの男の口から、聞いたこともない罵りが、次々とこぼれ出る。長い付き合いのラーメルトですら、その豹変に、一瞬、言葉を失った。落ち着かせようと掴んだ手は、払いのけられた。レオンハイトは、床に点々と続くおびただしい血痕を追って、最奥部の方へと駆け出していく。
「あなたは、あの部屋で隠れていてください」
男へ言い残し、ラーメルトも走り出した。
◇
「う……ん」
手に、何かをされている感覚で、フルメアは目を覚ました。
高い天井。薄暗い。松明の明かり。
体を起こそうとして――起きない。腕も、足も、体も、台座に縛りつけられていた。動くのは、首だけである。
首を傾けると、少し離れた場所に、人が寝ているのが見えた。同じように、縛られて。目を凝らせば――自分を含めて、五人。
「目が覚めたかねぇ?」
足元の方から、あの粘つく声がした。魔術師である。
「なによ? どうする、つもりなの」
「これから君には、そこのヤツラと同じに、なってもらいますぅ。これのために、ね。わかるかね? わからんだろぅ。――至高の作品だよぉ」
魔術師がローブの腰の袋から取り出したのは、紅い結晶であった。
「魔結晶?! なぜ……いや、色が、違う?」
「ほう? 博識なのかねぇ? そのとおり。魔結晶だよぉ。我々は純魔結晶と呼んでいるがねぇ」
術式を織り込まぬ、魔素だけの塊。フルメアも、知識としては知っている。村では作らなかった。製法も、失われたはず。だが――純魔結晶が紅い、などという記述は、どこにもなかったはずだ。
「それがどうしたのよ! 魔結晶なんて今は作れないし、どうせ拾いものでしょ!」
事実を伏せて、でまかせを叩きつける。魔術師は、口元をにやりと歪めた。
「それが、あるんだよねぇ。ま、だからこうして、君らには犠牲になってもらっているのだがねぇ」
犠牲。
フルメアはもう一度、隣に横たわる人を見た。――胸が、動いていない。だらりと垂れた腕に、赤黒く乾いた血の跡。その跡は、台座から中央へ延びる細い窪みへと、続いていた。
慌てて、自分の腕へ目をやる。手首の位置に、丸い小さな台。そこから中央へ、同じ細い窪みが、延びている。
頭上に、気配。見上げれば、ローブの男がふたり、短剣を手に、ゆっくりと近づいてくるところであった。
「いや! いや! 来ないで! やめて!!」
抵抗が無意味と知りながら、必死に身をよじる。縄が肌を赤く染めていく。ひとりが口を布で押さえ、もうひとりが左腕を掴み――短剣が、細く白い腕に、傷をつけた。
「んんーーぐっ!」
腕の先から熱が走り、心臓が跳ねるたび、痛みが頭を殴りつける。血が窪みを流れていくのを確かめて、ローブの男たちは離れていった。
「――ヴォルトローネ様、お願いします」
魔術師が下がり、代わって、別の人影が前に出た。
涙で滲む視界にも、ひと目で女性とわかる姿であった。年の頃は、フルメアより少し上か――エリヴィラのように、年齢のわかりにくい容姿をしている。深いフードの奥の瞳が、あの紅い結晶と、同じ色をしていた。
女は、フルメアを見もせずに、詠唱を始めた。
――詠唱、なのだろうか。それは呪文というより、どこか、歌に似た節回しをしていた。静かで、澄んでいて、この場所には、ひどく不釣り合いな。
フルメアの周囲に、薄い赤の光が灯り始める。魔法陣の光だ。光は徐々に強まり、彼女を覆い尽くそうとして――
「だずげでぐれぇぇ、いでぇぇぇええ!」
静寂を、絶叫が引き裂いた。
歌が、止まる。
腕から血を噴き散らしながら、ゴロツキが部屋へ転がり込んできたのだ。
詠唱を汚された怒りか、魔術師が、女に代わって前へ出た。激昂しながらも、その男は、懐から取り出した紅い結晶を目の高さに掲げ、芯に残る光を素早く確かめていた。怒りに我を忘れているようで、その一点だけは、決して欠かさない。フルメアには、それが、井戸の底を覗き込む仕草のように見えた。
部屋の空間魔素が、渦を巻いて凝っていく。
詠唱の完了と同時に、空中に火の塊が生まれ――ゴロツキを、瞬時に呑み込んだ。
離れたフルメアの肌さえ炙る熱量が、その魔法の格を物語っていた。あまりの一瞬の出来事に、フルメアは、腕の痛みを忘れていた。




