倒せない壁
部屋の前のゴブリンたちが、すっと引いていく。消えた、というより――誰かを通すために、割れた。そう感じさせる動きであった。
入れ替わりに現れたのは、ゴロツキと、あの魔術師。そして、フードを深く被った人影が、ふたつ。
レオンハイトが、フルメアとエノアを背に回す。
「俺を追ってきたつもりが、追い込まれる気分はどうだ? あの女がいねぇようだが……くたばっちまったか? ガハハ」
ゴロツキが踏み込もうとしたのを、フードのふたりが制した。――そのときには、もう、魔術師の術式は完了していた。
周囲の空間魔素が、急激に凝っていく。フルメアが警告を発するより早く、暴力のような睡魔が、三人を呑み込んだ。抗う間もなく、視界が、暗転する。
「手前の女だけ、よぉ」
魔術師が、フルメアを指す。フードのふたりが彼女を抱え上げ、魔術師とともに部屋を出ていく。去り際、魔術師はゴロツキへ、投げ捨てるように言った。
「ま、あとは好きにすればいいさぁ」
◇
痛みで、エノアは目を覚ました。
両の手首を、頭の上でひとまとめに握り込まれている。目を開ければ、そこにあるのは、レオンハイトでもフルメアでもなく――あの、不快な顔。
腰の上に、どっしりと重みが乗っていて、体は、ぴくりとも動かない。悲鳴にならない声が、喉から漏れた。横を向けば、レオンハイトは倒れたまま、目覚める気配がない。
「もっと泣けよ。王子様でも待ってるのかぁ?」
必死にもがいた、その瞬間、頭に鈍い衝撃が走り、目の前が暗くなった。頬から、遅れて熱が伝わる。口の中に、鉄の味が広がる。殴られたのだ、と気づいたときには、もう一度、衝撃が来た。少しの間、意識が飛んでいたかもしれない。
再び目を開けたとき、マントは剥ぎ取られ、男の手が、上着にかかっていた。
「たすけて、レオンハイト……おねがい……」
声は、ほとんど声にならなかった。それでも、力の入らない腕を、懸命に、彼の方へ伸ばす。伸ばした腕が、力尽きて、地に落ちる。
――薄れゆく意識の中で。その手に、温かいものが、触れた。
エノアの手を、レオンハイトの手が、弱々しく、しかし確かに、握り返していた。
◇
レオンハイトの意識は、朦朧としていた。だが、握った手の熱と、その先に広がる光景が、意識を、感情ごと引きずり起こした。
うつ伏せのまま、体ごとゴロツキへぶつかる。不意は突いた。だが体格の差か、退かすには至らない。ゴロツキの拳を躱し、挫かれた腕の側へ回り込んで、再び突っ込む。読まれていた。反転した無事な方の肘が、額を打つ。それでも、勢いを止めない。歯を食いしばり、エノアから引き剥がそうと、脚を踏ん張る。
その右肩を掴まれ、体重ごと、後方へ投げ飛ばされた。
岩に、頭が当たる。鈍い音。ふらつきながら立ち上がる。額から、血が垂れていた。それでも、姿勢を整え、もう一度――
視界の先で、ゴロツキが、エノアの腰から抜いた剣を、その首筋に当てていた。
「おっと。動くと、どうなるかわかるだろ? そこで見てろよ。ガハハハ」
布の、裂ける音がした。
エノアが、微かに残る意識で、声を振り絞った。
「私は、死んでも……いいから……この男を……殺して」
そこで、エノアの意識は、途切れた。




