ゴブリン除け
ゴロツキは、挫かれた腕の痛みに顔を歪めながら、一行を先導していた。ときどき振り返り、エリヴィラの様子を窺う。その顔には、恐怖しか映っていない。
「あとどれくらいで、着くのかしらー?」
「も、もう少しでさぁ」
さっきまでの威勢はどこへやら、である。と、隣を歩くエノアが、ふと言った。
「これだけ歩いているのに、ゴブリンが来ないのは、なぜなのでしょうか」
確かに。エノアの隊は、この森で不意を突かれて壊滅したのだ。なのに今は、気配の欠片すらない。
「わざと遠回りしてる、とか、そういうことはしてないのよねー?」
エリヴィラが、ゴロツキから外した鞘の剣を、背後でわずかに抜く音を聞かせた。ゴロツキが、大きく震える。
「と、遠回りは、してるでさぁ。けど、こっちはゴブリンが出ねぇんで。み、道はこっちの方が――」
言い終える前に、剣の腹が横顔に、ぴたりと当てられた。
「――ま、魔術師のヤローと司祭が言ってたんだ。指定した道以外を、通るなって」
「エノアたちは、この道を使っていなかったのね?」
エノアが、首を縦に振った。
指定の道を外れれば、ゴブリンが襲う。だから、何度も分かれ道で迂回してきたのか。しかし、これだけ入り組んでいては、仲間ですら道を誤りそうなものだ。
「――何か、目印があるのね」
フルメアは注意深くあたりを観察した。現にゴロツキは、分かれ道のたびに、何かを確かめていた。木の裏の彫り込みか、枝の向きか。次の分かれ道で見てみよう。そう思った、そのとき。
「つ、着きやしたぜ」
目の前に、洞穴の入口があった。高さは、大柄なゴロツキの背丈の三倍はある。奥には、松明の明かりが点々と見えた。
穴の中からは、鼻を突く異臭に混じって、禍々しい気配が漂ってくる。心なしか――空間魔素も、濃い。
「この中に、ラーメルトがいるのねー? あなたの言う、生きていれば……だっけ?」
エリヴィラは、預かっていたゴロツキの剣を、傍らの岩へ無造作に振り下ろした。
キンッ――甲高い音とともに、剣は、岩に突き刺さっていた。
え? 砂山に枝を差すように、岩へ、剣が?
エリヴィラとレオンハイト以外の全員が、固まった。とりわけ、ゴロツキが。何の変哲もない、ただの剣。その安物を、誰よりもよく知る男の喉が、ひゅっと鳴った。
「中は狭くなってるわよねー? だったら、こんな長い剣は要らないわー」
両の掌をひらひらさせ、エリヴィラは自分の腰のあたりへ手をやった。そこに武器があるのか、マントが邪魔でよくわからない。
「ここからも、案内は頼めるわよねー?」
気圧されたゴロツキは、渋々、洞穴へ足を踏み入れた。
隊列は、ゴロツキ、レオンハイト、エノア、フルメア、殿にエリヴィラ。レオンハイトは背嚢から、片手持ちの小さな円盾を取り出して構えた。
壁の松明の下を通るたび、影が前後する。歩を進めるごとに、不快な感覚が濃くなる。喉の奥が、ひとりでに渇いていく。フルメアは、浅くなる呼吸を、意識して整えた。
◇
ラーメルトは男の案内で、少し広めの部屋に入った。攫われた者が最初に運ばれる部屋だという。入口と出口には、男の首飾りと同じ紋様の札がかかっていた。
「あちらに、荷物を放り込むことが多いのです。……ここでは、生活というものは、ごく一部の人を除いて、ありえません」
男の声が、萎んでいく。震える体から、絞り出すような声が続いた。
「……全員、帰ってこないのです。最奥部の間に、連れて行かれると」
最奥部。何かが、ある。だが男も、その扉の手前までしか、行ったことがないという。
「先を急ぎましょう。隣の部屋へ」
男が動きかけた、そのとき。遠くから、微かに、人の声が反響してきた。
『中に……入りやす……ぜ』
――ゴロツキの声だ。出ていったばかりのはず。早すぎる。ということは、フルメアを狙った連中も、戻ったのか?
ラーメルトは唇を噛み、男の背を押して隣室へなだれ込んだ。
荷物の散乱する部屋であった。古いものから、新しいものまで。その中に――見慣れた鞄。自分の鞄であった。中身も、失われていない。胸を撫で下ろす。だが、肝心の刀は、山のどこにも見当たらなかった。
やむなく、転がる武器から状態のよいものを漁る。短剣が二本、投擲用の刃が三本。ないよりは、幾分ましか。
さらに山を探るうち、腰の短剣が引っかかり、鞄の蓋が開いた。中から、フルメアの魔結晶が、地面へ転がり落ちる。
それを見た男の顔色が、明らかに変わった。
「そ、それは……司祭様の……!?」
――司祭様の?
問い詰めようとした、そのとき。入ってきた側の部屋から、ゴブリンたちの駆けていく足音が、聞こえてきたのだった。




