帰郷
軋みを上げて、木窓が押し開かれる。
石造りの部屋に、朝の匂いが流れ込んだ。
「おはようございます。戻られたのですね、ラーメルト師!」
弾む足音とともに、女がひとり、部屋へ駆け込んでくる。
開ききった窓から、朝の光が男に差す。眩しげに目を細めながらも、男――ラーメルトは、声の主へ笑顔を向けた。櫛を通した黒髪。どこか貴族めいた物腰。だが、木窓を押し開いた腕は袖を張り、肩から胸へかけての厚みは、荒くれの冒険者のそれと変わらない。
「おはよう、フローリカさん。昨夜、王都に着きましたよ。変わらず元気そうで何よりです」
「隣国はいかがでしたか? ハンザールの魔術学院は!」
フローリカが、温めていた質問を待ちきれぬ様子で放つ。その後ろから、別の声が割り込んだ。
「その前に。――今朝の表の騒がしさ、お気づきになりました? 建国百年の式典に向けて、陛下が近くご発表をなさるそうですよ。……ああ、おはようございます、ラーメルト師」
「道中でも、百年目という話は耳にしましたね。なるほど。……おはよう、パスクルくん」
ラーメルトは、勝手に答えたパスクルを睨むフローリカに苦笑しつつ、ハンザールの話を手短に語った。
人はこの王都よりも多く、通りでは肩と肩がぶつかったこと。魔術学院とは名ばかりで、教えるのはもっぱら計算と、文字の読み書き。金を出すのは商人たちで、生徒の大半も、商人の子であったこと。
「魔法は、これから教われなくなっていくのでしょうか……」
表情を曇らせたフローリカの頭に、ラーメルトは軽く手を添える。
「ここは王都です。魔法を体系立てて学ぶこと――それを第一に据えるのは、これからも変わりません。もっとも――」
ふと、天井を見上げた。石の天井の、そのさらに向こうを見るような目だった。
「これだけ空間魔素が薄くては、魔法そのものが使われなくなっていくのも、道理でしょうね。……こればかりは、私たちの手には、余ります」
ため息をつくラーメルトの袖口を、フローリカは握ったり離したりした。慌てたパスクルが、ふたりの間に割って入った。
「わ、私はどちらでも良いのですが、いつかはハンザールへ行ってみたいです!」
話の流れとは噛み合わぬ宣言に、ふたりは顔を見合わせ、こらえきれずに笑った。
笑いがおさまった頃、パスクルが思い出したように声を落とした。
「そういえば、ラーメルト師。ご存知ですか。バードック師が、まだ戻られていないのです」
「バードック師が?」
「ひと月ほど前に、北の村の調査に出られたきりだと、事務局の方が。……最近、そういう話を、他でも聞くのです。魔術師の方ばかりが、戻らないと」
魔術師ばかりが。
ラーメルトが問い返そうとした、そのとき。
廊下の奥から、鉄の擦れる音が近づいてきた。
「失礼。こちらにラーメルト師はいらっしゃいますか」
胸甲に、翼を広げた鷲。この国の紋章である。
「私ですが」
差し出された封に、蜜蝋の紋。父のものだった。
開けば、短い。急ぎ王城へ、と。
学院の前には、すでに迎えの馬車が待っているという。ただし片道限りの急な差し回しで、帰りまでは請け合えぬ――と、鎧の男は事務的に付け加えた。
ラーメルトはフローリカとパスクルを振り返り、ふたりの頭をぽんぽんと叩いた。
「ハンザールの土産話は、また今度にしましょう。――パスクルくん。さきほどの話、もう少し詳しく聞かせてもらう日が、案外早く来るかもしれません」
荷物という荷物はありませんので、と鎧の男に告げ、ラーメルトは部屋を後にした。
◇
馬車を降りる。城門をくぐる。石の長廊、中庭、また廊下。
――ラーメルトは、奥まった一室の前に立った。
一呼吸を置き、扉を二度、叩く。
「ラーメルト、参りました」
「鍵はかけておらん。入って来るがよい」
書物の溢れた部屋の奥で、白髭の男が立ち上がった。
「ご無沙汰しております」
「相変わらず堅苦しいの」
「誰が聞いているかわかりませんし、父とはいえ、宮廷魔術師殿の手前ですので」
「ふむ。まあ、そうじゃの」
いつものやり取りだと、グレインは笑った。
その笑みが、消える。
「帰国した早々にすまぬのじゃが、手紙の件じゃ」
「ええ。魔術師の、行方不明の件ですね」
「調べてほしいのは、その件じゃ。じゃがな、ラーメルトよ」
グレインは声を落とした。蝋燭の火が、白い髭の影を壁に揺らす。
「消えておるのは――魔術師だけ、なのじゃ」




