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世界は見たままの姿をしているか?  作者: 古代羊
第一章 魔術師失踪事件
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エリヴィラ

 寝返りの拍子に、冷たい鉄の感触が眠りを破った。地下牢の隅である。

 腹が、空いたな。こんな状況でも、腹は空く。喉も渇く。陽の光を浴びないだけで、時間の感覚はこうもずれるものか。

 ラーメルトは鎖と天井を交互に眺めながら、考えていた。

 建国百年の式典で、何かを行うつもりだとすれば――暗殺か。反逆か。魔術師の行方不明の正体が謀反の企てなら、王都の魔術師の立場は根こそぎ危うくなる。学院は封鎖。父を筆頭に、処刑。

 ……知らぬ間に、鎖を握りしめていた。

 体を起こし、動く範囲で関節をほぐしていると、階段から足音がふたつ、降りてきた。


「お前をここから移すことになったよぉ。素直に応じれば何もしない。抵抗するなら――空間睡眠(スリープクラウド)以外の魔法が来ると、思った方がいいだろうねぇ」


 以外、ときたか。

 この魔素の薄さで、別の魔法まで使えるという。連発できまいと高を括って、この失態である。ここは従うのが利口だろう。――が、素直に従うのも癪であった。


「空間睡眠(スリープクラウド)以外の魔法があるなら、ぜひ拝見したいものですね。とはいえ、破壊魔法は受けても痛いだけですので、ここは従うことにします」


 魔術師は挑発には乗らず、ゴロツキに縛り直しを命じた。手錠の上から、後ろ手に、縄が食い込む。ラーメルトは歯を食いしばり、腕に力を込めた。

 続いて、足。

 縛り終えたところで、腹に、鈍い衝撃が来た。


「ぐぶっ」


 膝から崩れかけたところを、髪を掴んで引き起こされる。


「お前の女を殺しに行った奴ら、まだ帰ってこねぇんだわ。……手間取ってやがる」


 もう一撃。髪を引かれ、肺の空気が抜けた瞬間を狙っている。人を殴り慣れた者の、手つきであった。堪えきれず、腹の底からこみ上げたものが、口から溢れた。


「ちっ、汚ねぇな」


 吐瀉物を避けたゴロツキが、腹立ちまぎれに横顔を殴る。

 その口の端が、吊り上がっていた。その顔は、どこか楽しんでいるようにも見えた。


「急いでくれないかねぇ。女が生きているなら、ここは足がつきやすい。さっさと移りたいんだよぉ」


「へいへい、すまないっすね」


 頭に布が被せられ、視界が落ちる。布越しに、空間魔素の凝る気配。

 ラーメルトの意識は、また、そこで途切れた。


◇


 ドルフェンの酒場の前。馬を二頭手配し、荷を括り終えたレオンハイトは、エノアの騎乗を手伝っていた。


「なんとか、大丈夫そうです」


「きつかったら、教えてくださいねー」


 ふたりの馬は、朝のノルデン街道を、グランツェへ向けて駆け出した。道の途中、幌をかけた荷馬車と、すれ違った。

 荷の積み下ろしにでも向かうのだろう。

 ――それだけのことだと、ふたりは思った。

 馬は、止まらなかった。


◇


 うんと伸びをする。気持ちのよい伸びが、できてしまった。

 ……ん? 仰向けで、寝ている?

 フルメアはそっと目を開けた。見知らぬ部屋である。体を起こすと、隣で女が、微笑んでこちらを覗いていた。慌ててシーツを引き上げる。服は……着ている。よかった。

 女の顔をじっと見るうち、昨夜の記憶が戻ってきた。ひとり旅の女。席に招かれ、酒を飲んで――そこから先が、ない。

 またやってしまった。フルメアは頭を抱えた。


「すみませんでした……」


 猛省して謝り、それから、もうひとつ思い出した。


「あ、えと……お名前、伺っていませんでした。聞いても、よろしいでしょうか」


「そうね……エリヴィラで良いわ。よろしくね。フルメア」


 女は、にこにこと名乗った。

 ――で、良いわ?

 それに、なんで私の名前を……酔ったときに言ったのだろうか。思い出せない。恐る恐る、何もしてないですよね、と昨夜のことを訊くと、エリヴィラはにこやかに、聞かされた愚痴の中身を教えてくれた。

 フルメアは、両手で顔を覆った。指の隙間まで、赤かった。


◇


 朝食の席で、フルメアはエリヴィラの行き先を訊いてみた。女のひとり旅など、怖くはないのだろうか。


「王都から来てるのよ。ドルフェン経由では、ないのだけどね」


 王都からグランツェへ至る道は、ふたつ。

 ひとつは、ドルフェンを経るノルデン街道。近いが、妖魔の出る森をかすめ、道も悪い。

 もうひとつが、ヴェスター街道。王都の北東から西へ、大きく開けて延びる。旅人も商人も、もっぱらこちらを行く。

 エリヴィラは、その遠回りのほうを選んできたのだという。


「それで、目的地は……」


 訊きかけた、そのとき。酒場に、鎧をつけた男が三人、入ってきた。

 匙が、皿の上で止まった。

 ――昨日の、襲撃者。


「……っ!」


 鞄を掴んで立とうとした肩を、横から伸びたエリヴィラの手が、やわらかく押さえた。


「お知り合いの方?」


 振り払おうとした。――なぜか、振り払えなかった。

 その間に、三人は目の前まで来ていた。


「お前、昨日街道で逃げた女だろ? 一晩中探したぜぇ?」


 舌なめずり。上から下へ、ゆっくりと這う視線。

 腕の産毛が、逆立った。

 男のひとりが肩へ手を伸ばした、その瞬間――エリヴィラの手が、それを払いのけていた。


「この娘はね、私の連れなのよねー。朝の食事中なの。用がないなら、向こうに行ってくれるかしら?」


 強面の男を前に、にこにこしている。

 払われた男は逆上し、卓の上のエリヴィラの食器を、腕で勢いよく薙ぎ払った。人の少ない酒場に、木の器の転がる音が響く。

 エリヴィラは、気にする風もなく、手ぬぐいで口元を拭いた。


「食事を粗末にするなんて……悲しいわー」


 緊張感のない声で席を立ち、床の器を拾い始める。

 強面が、怒りに任せて剣を抜き、その背へ斬りつけた。


 ――振り下ろした先に、エリヴィラは、いなかった。


 フルメアは、自分の目を疑った。剣が落ちきるより先に、エリヴィラは強面の左側面へと、移っていたのである。


「まったく危ないわねー。お母さん悲しいわー」


 ぱこん、と軽い音が響き、強面の顔に、器の形の痕が綺麗に残った。鼻から、血が垂れる。

 唖然としていた残るふたりも剣を抜き、エリヴィラを囲んだ。奥で店員が、衛兵を呼べ、と叫ぶ。

 その声を合図に、髭面の男が斜めに斬り下ろす――エリヴィラがわずかに左へ躱すと、髭面は盛大に転び、卓の角で額を切った。

 何が起きたのか。フルメアには、髭面がひとりで勝手に転んだようにしか見えなかった。

 残る強面と傷顔の男が、前後から挟む。エリヴィラは丸腰である。なのに当人は、慌てるフルメアへ、片目をつぶってみせた。

 その隙を突いて、背後の傷顔が突きを放つ。

 ――当たらない。

 剣は、エリヴィラのいた空間をすり抜けた。切っ先の行き着いた先は、対面の、強面の鼻先。傷顔が、慌てて剣を止める。

 だが。

 逆上した強面の剣は、もう振り下ろされていた。エリヴィラを狙った、渾身の一撃。その勢いのまま、強面の喉が、止まったはずの切っ先へ吸い込まれていく。

 ――音が、二度した。

 強面の剣が、傷顔の肩口を裂いた音。傷顔の剣が、強面の喉を貫いた音。

 ふたりの男が、崩れ落ちる。床に、血が広がっていく。

 フルメアは、息を吸うことを、忘れていた。


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