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世界は見たままの姿をしているか?  作者: 古代羊
第一章 魔術師失踪事件
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囮のあとで

 グランツェへ駆け込んだフルメアは、そこで初めて後ろを振り返った。

 いるはずのラーメルトの姿が、ない。

 え? どういうこと? ついてこられなかった?

囮に、なったのだ。

遅れて来る? 来なかったら?

息が、浅い。吸っても吸っても、足りない。

 手綱を握る指の関節が、白く浮いていた。

 ドルフェンの宿での言葉が、頭に蘇った。

 軽率な判断や行動は、できない。

 ――今の私に、できることは何?


 ラーメルトが遅れて来るなら、ここで待てばいい。来ないなら? 戻る? 途中にはあの連中がいるかもしれない。待つ? ラーメルトが倒されていたら、次は私が見つかる。

 もっと、単純に考えよう。来ても来なくても、まずは村の入口を見張る。敵が来たら、気づかれる前に逃げる。ラーメルトが来たら、それで解決。……でも、いつまで? その線引きは?

 考えに沈むうち、フルメアは無意識に、村の入口あたりをぐるぐると回っていた。その様子を、入口に詰めていた兵士のひとりが、不安げに見ていた。


「どうかしましたか?」


 不意の声に、飛び上がりそうになる。


「あ、いえ、……道中、落とし物をしたかもしれなくて。それが、気になってしょうがないの」


 咄嗟の、でまかせであった。村にひとりで来る女は珍しい。何か事情があると見て、恩を売っておこうと考える兵士は多い。


「近くでしたら、待機中の者を何人かお供させますが?」


 願ったり叶ったりの返事に、少しだけ胸が痛んだ。嘘は言っていない。言っていないが――下手をすれば、この人たちを巻き込むことになる。


「ぜひ、お願いします。大事なものなの。あれをなくしたら、もう……」


 瞳が、勝手に潤んだ。

 演技の、つもりだった。つもりだったのに、頬を伝ったものは、熱かった。


「わかりました! ついてこられる奴は来てくれ!」


 兵士が声を張り、待機していた数名が集まってくる。大ごとになってきたな、と別の意味で心配になった。

 兵士たちは、あっという間に人数分の馬まで支度してしまった。


「陽もまだ高い。きっと見つかりますよ!」

 若い兵士が、屈託なく笑う。

 ――ごめんなさい。

 馬蹄の音に紛れさせて、フルメアは何度も謝った。この人たちを、死なせるかもしれない道へ、連れて行こうとしている。


◇


「こいつを殺さないで、どうするんで?」


 地に伏したラーメルトを、鞘の先でつつく。犬の死骸でも確かめるような手つきだった。

 身なりはゴロツキよりも幾分ましだが、爪の間の黒さは、同じものであった。


「余計なことは、しないでいただきたいねぇ。眠らせてはいるが、ちょっとした衝撃で起きてしまうかもよぉ?」


 男の手が、ぴたりと止まった。


「さっさと縛って運んでくれないかねぇ。村へ逃げた女に、兵でも連れて来られたら困るんですよぉ」


 兵が束になって来ようと、眠らせればいい――が、この周辺の空間魔素は、先の二発で格段に薄くなっている。次が撃てるかは、際どい。魔法の使えぬ魔術師とゴロツキでは、数で勝る兵に敵うはずもない。潮時だ、と魔術師は判断した。

 それに、と男は内心で舌を打った。

 想定外の相手が動き出した、と王都の見張りから報せが来ている。よりにもよって――宮廷魔術師の、息子。

 ことが、大きくなりすぎている。


「手足を縛って目隠しをして、その馬に乗せて運びますよぉ」


「――支度、できやしたぜ、旦那」


 手慣れた縛り上げであった。魔術師は馬上のラーメルトを一瞥すると、無言で歩き出した。襲撃者たちが、その後に続いた。


◇


 フルメアが兵士たちと現場に着いた頃、陽は少し傾いていたが、まだ捜索できる明るさは残っていた。

 襲撃者が残っていないか慎重に確かめてから馬を降り、あたりを見て回る。兵士たちも、彼女に続いて「何か」を探し始めた。


「それで、落とし物というのは、どういう?」


「指輪よ」


 親指と人差し指で輪をつくって見せると、兵士たちは、なるほど、と納得したようだった。

 痕跡があれば良いのだけれど。立ち止まり、周囲を見渡す。

 ――何かが、引っかかった。

 その一点を中心に、ゆっくりと円を描く。

 肌が、粟立つ。

 薄い。そこだけ、空気が薄い。息を吸っても、何かが決定的に足りない。

 空間魔素が、根こそぎ喰われた痕であった。

 ラーメルトは秘薬を持っていないはず。そもそも彼自身が魔法を使うところも、魔結晶越しにしか見ていない。とすれば――誰かが、魔法を使った。

 目を凝らすと、その地点に、血の混じった唾の痕と、地面を引きずったような跡があった。ラーメルトの馬も、いない。

 つまり。ラーメルトは魔法を受けて、倒された。だが血溜まりも、破壊の魔法の焼け跡もない。眠らせる類の魔法で無力化して、連れ去った――生きている可能性は、高い。

 あのラーメルトが、負けた。

 そして相手は、魔法を使う。

 喉元までせり上がってきたものを、フルメアは唾と一緒に呑み下した。

 ラーメルトだって、想定していなかったのよ。だから負けた。……そうよね?

 心の中で自分に言い聞かせ、気持ちを切り替える。

 すっと屈み、草むらから拾い上げるふりをする。

 鞄に忍ばせていた指輪を、傾きかけた陽に掲げた。

「ありました!」

 歓声が上がる。

 フルメアは、頬だけで笑ってみせた。


◇


 兵士たちは、すぐにグランツェへ戻ろうと言った。だが、このまま何もしなければ、明日にはドルフェンのレオンハイトが王都へ発ってしまう。


「ドルフェンに従者がいるの。無事だと、報せを入れたいのだけど……どうにかならない?」


「明日では駄目なのですか? これから陽も暮れます。危険です」


 もっともである。だが、ここで折れるわけにはいかない。


「明日には、ドルフェンを発ってしまうはずなの。だから今のうちに、グランツェにいると伝えたいのよ」


 瞳に涙を浮かべて迫る。ごめんなさい、これしか手が思いつかないの。心の中で謝り続ける。

 涙に負けた兵士が、指揮役のもとへ相談に走った。


「ドルフェンへ急ぎの馬を、と? 届け先と、相手の名は分かるかい」


 兵士の中でもひときわ風格のある男が、声をかけてきた。


「酒場の宿に泊まっている、レオンハイトという神官よ。エノアという怪我をした女性と一緒に、待ってもらっているの」


「わかった。――一度グランツェへ戻る! ドルフェンまで飛ばせる自信のある奴を、あちらで募る! 報酬は……ええと、あんた、名前は?」


 そういえば、名乗っていなかった。


「フルメアよ」


 丁寧に腰を折る。従者を持つ家の者に見えるよう、精一杯の所作である。言葉遣いには難があるが、仕草だけは、一朝一夕では身につかないものだ。


「バルドロフだ。よろしくな」


 指揮役――バルドロフは、フルメアの手を取って握手をした。


「これでも昔は王都勤めでな。堅苦しいのが性に合わん。……それで、こっちへ流れてきたってわけだ」

 喉の奥で岩を転がすように、バルドロフは笑った。道理で、兵士たちへの指示に無駄がないわけだ。フルメアは妙なところで感心した。

 バルドロフは握った手を高々と掲げ、兵士たちに告げた。


「報酬は、フルメアの酌だ!」

 どっと、沸いた。

「……はい?」

 見上げれば、バルドロフはニヤリと笑って見下ろしてくる。

「これくらいは、してもらわんとな」

 ……それ以上を要求されるよりは、ましである。フルメアは、腹をくくった。


◇


 グランツェに戻った一行は早馬の支度にかかり、その間に、フルメアは手紙をしたためた。


「ほう、字が書けるんだな!」


 バルドロフが感心する。読めても書けない者は多いのだ。フルメアは村で読み書きをひととおり教わっていた。


「一応はね。……これでよし、と。これを、ドルフェンの酒場にいるレオンハイトに」


 早馬の乗り手は、結局くじ引きで決まった。全員が手を挙げたからである。ラーメルトが見つかったら、全員に酌をしてもいいわ。フルメアは心の中で決めた。

 手紙を受け取った兵士は、期待と使命感に満ちた顔で駆け出していった。

 お願い。早く、届いて。


「ところで、フルメアはこれからどうするんだい?」


 バルドロフに問われて、気がついた。ラーメルトに任せきりで、この先を何も考えていなかったのである。


「……酒場でご飯を食べて、お話を聞きたい、かな」


 異変の噂だけでも、集めておこう。それが今の精一杯。あとは、レオンハイトが来るのを待つしかない。

 バルドロフに案内を頼み、酒場へ向かう。

 酌は、する。

 だが――お酒だけは、絶対に、飲まない。

 フルメアは、固く、固く、誓った。


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