囮のあとで
グランツェへ駆け込んだフルメアは、そこで初めて後ろを振り返った。
いるはずのラーメルトの姿が、ない。
え? どういうこと? ついてこられなかった?
囮に、なったのだ。
遅れて来る? 来なかったら?
息が、浅い。吸っても吸っても、足りない。
手綱を握る指の関節が、白く浮いていた。
ドルフェンの宿での言葉が、頭に蘇った。
軽率な判断や行動は、できない。
――今の私に、できることは何?
ラーメルトが遅れて来るなら、ここで待てばいい。来ないなら? 戻る? 途中にはあの連中がいるかもしれない。待つ? ラーメルトが倒されていたら、次は私が見つかる。
もっと、単純に考えよう。来ても来なくても、まずは村の入口を見張る。敵が来たら、気づかれる前に逃げる。ラーメルトが来たら、それで解決。……でも、いつまで? その線引きは?
考えに沈むうち、フルメアは無意識に、村の入口あたりをぐるぐると回っていた。その様子を、入口に詰めていた兵士のひとりが、不安げに見ていた。
「どうかしましたか?」
不意の声に、飛び上がりそうになる。
「あ、いえ、……道中、落とし物をしたかもしれなくて。それが、気になってしょうがないの」
咄嗟の、でまかせであった。村にひとりで来る女は珍しい。何か事情があると見て、恩を売っておこうと考える兵士は多い。
「近くでしたら、待機中の者を何人かお供させますが?」
願ったり叶ったりの返事に、少しだけ胸が痛んだ。嘘は言っていない。言っていないが――下手をすれば、この人たちを巻き込むことになる。
「ぜひ、お願いします。大事なものなの。あれをなくしたら、もう……」
瞳が、勝手に潤んだ。
演技の、つもりだった。つもりだったのに、頬を伝ったものは、熱かった。
「わかりました! ついてこられる奴は来てくれ!」
兵士が声を張り、待機していた数名が集まってくる。大ごとになってきたな、と別の意味で心配になった。
兵士たちは、あっという間に人数分の馬まで支度してしまった。
「陽もまだ高い。きっと見つかりますよ!」
若い兵士が、屈託なく笑う。
――ごめんなさい。
馬蹄の音に紛れさせて、フルメアは何度も謝った。この人たちを、死なせるかもしれない道へ、連れて行こうとしている。
◇
「こいつを殺さないで、どうするんで?」
地に伏したラーメルトを、鞘の先でつつく。犬の死骸でも確かめるような手つきだった。
身なりはゴロツキよりも幾分ましだが、爪の間の黒さは、同じものであった。
「余計なことは、しないでいただきたいねぇ。眠らせてはいるが、ちょっとした衝撃で起きてしまうかもよぉ?」
男の手が、ぴたりと止まった。
「さっさと縛って運んでくれないかねぇ。村へ逃げた女に、兵でも連れて来られたら困るんですよぉ」
兵が束になって来ようと、眠らせればいい――が、この周辺の空間魔素は、先の二発で格段に薄くなっている。次が撃てるかは、際どい。魔法の使えぬ魔術師とゴロツキでは、数で勝る兵に敵うはずもない。潮時だ、と魔術師は判断した。
それに、と男は内心で舌を打った。
想定外の相手が動き出した、と王都の見張りから報せが来ている。よりにもよって――宮廷魔術師の、息子。
ことが、大きくなりすぎている。
「手足を縛って目隠しをして、その馬に乗せて運びますよぉ」
「――支度、できやしたぜ、旦那」
手慣れた縛り上げであった。魔術師は馬上のラーメルトを一瞥すると、無言で歩き出した。襲撃者たちが、その後に続いた。
◇
フルメアが兵士たちと現場に着いた頃、陽は少し傾いていたが、まだ捜索できる明るさは残っていた。
襲撃者が残っていないか慎重に確かめてから馬を降り、あたりを見て回る。兵士たちも、彼女に続いて「何か」を探し始めた。
「それで、落とし物というのは、どういう?」
「指輪よ」
親指と人差し指で輪をつくって見せると、兵士たちは、なるほど、と納得したようだった。
痕跡があれば良いのだけれど。立ち止まり、周囲を見渡す。
――何かが、引っかかった。
その一点を中心に、ゆっくりと円を描く。
肌が、粟立つ。
薄い。そこだけ、空気が薄い。息を吸っても、何かが決定的に足りない。
空間魔素が、根こそぎ喰われた痕であった。
ラーメルトは秘薬を持っていないはず。そもそも彼自身が魔法を使うところも、魔結晶越しにしか見ていない。とすれば――誰かが、魔法を使った。
目を凝らすと、その地点に、血の混じった唾の痕と、地面を引きずったような跡があった。ラーメルトの馬も、いない。
つまり。ラーメルトは魔法を受けて、倒された。だが血溜まりも、破壊の魔法の焼け跡もない。眠らせる類の魔法で無力化して、連れ去った――生きている可能性は、高い。
あのラーメルトが、負けた。
そして相手は、魔法を使う。
喉元までせり上がってきたものを、フルメアは唾と一緒に呑み下した。
ラーメルトだって、想定していなかったのよ。だから負けた。……そうよね?
心の中で自分に言い聞かせ、気持ちを切り替える。
すっと屈み、草むらから拾い上げるふりをする。
鞄に忍ばせていた指輪を、傾きかけた陽に掲げた。
「ありました!」
歓声が上がる。
フルメアは、頬だけで笑ってみせた。
◇
兵士たちは、すぐにグランツェへ戻ろうと言った。だが、このまま何もしなければ、明日にはドルフェンのレオンハイトが王都へ発ってしまう。
「ドルフェンに従者がいるの。無事だと、報せを入れたいのだけど……どうにかならない?」
「明日では駄目なのですか? これから陽も暮れます。危険です」
もっともである。だが、ここで折れるわけにはいかない。
「明日には、ドルフェンを発ってしまうはずなの。だから今のうちに、グランツェにいると伝えたいのよ」
瞳に涙を浮かべて迫る。ごめんなさい、これしか手が思いつかないの。心の中で謝り続ける。
涙に負けた兵士が、指揮役のもとへ相談に走った。
「ドルフェンへ急ぎの馬を、と? 届け先と、相手の名は分かるかい」
兵士の中でもひときわ風格のある男が、声をかけてきた。
「酒場の宿に泊まっている、レオンハイトという神官よ。エノアという怪我をした女性と一緒に、待ってもらっているの」
「わかった。――一度グランツェへ戻る! ドルフェンまで飛ばせる自信のある奴を、あちらで募る! 報酬は……ええと、あんた、名前は?」
そういえば、名乗っていなかった。
「フルメアよ」
丁寧に腰を折る。従者を持つ家の者に見えるよう、精一杯の所作である。言葉遣いには難があるが、仕草だけは、一朝一夕では身につかないものだ。
「バルドロフだ。よろしくな」
指揮役――バルドロフは、フルメアの手を取って握手をした。
「これでも昔は王都勤めでな。堅苦しいのが性に合わん。……それで、こっちへ流れてきたってわけだ」
喉の奥で岩を転がすように、バルドロフは笑った。道理で、兵士たちへの指示に無駄がないわけだ。フルメアは妙なところで感心した。
バルドロフは握った手を高々と掲げ、兵士たちに告げた。
「報酬は、フルメアの酌だ!」
どっと、沸いた。
「……はい?」
見上げれば、バルドロフはニヤリと笑って見下ろしてくる。
「これくらいは、してもらわんとな」
……それ以上を要求されるよりは、ましである。フルメアは、腹をくくった。
◇
グランツェに戻った一行は早馬の支度にかかり、その間に、フルメアは手紙をしたためた。
「ほう、字が書けるんだな!」
バルドロフが感心する。読めても書けない者は多いのだ。フルメアは村で読み書きをひととおり教わっていた。
「一応はね。……これでよし、と。これを、ドルフェンの酒場にいるレオンハイトに」
早馬の乗り手は、結局くじ引きで決まった。全員が手を挙げたからである。ラーメルトが見つかったら、全員に酌をしてもいいわ。フルメアは心の中で決めた。
手紙を受け取った兵士は、期待と使命感に満ちた顔で駆け出していった。
お願い。早く、届いて。
「ところで、フルメアはこれからどうするんだい?」
バルドロフに問われて、気がついた。ラーメルトに任せきりで、この先を何も考えていなかったのである。
「……酒場でご飯を食べて、お話を聞きたい、かな」
異変の噂だけでも、集めておこう。それが今の精一杯。あとは、レオンハイトが来るのを待つしかない。
バルドロフに案内を頼み、酒場へ向かう。
酌は、する。
だが――お酒だけは、絶対に、飲まない。
フルメアは、固く、固く、誓った。




