魔法の待ち伏せ
翌朝。出発組は階下の酒場で朝食を取っていた。
「今日は速歩で行きます。くれぐれも、走らせすぎないように」
馬の疲れ具合によっては、グランツェを目前に襲われて、逃げ切れないこともあり得る。敵はいつ来るかわからないのだ。ラーメルトは考えごとをしながら、ゆっくりと食事を口に運び――
「食べないなら、もらうよ?」
いつの間にか皿を空にしたフルメアに、肉を持っていかれたのだった。
◇
王都から連れてきた荷馬は、荷を運ぶための足であって、速さを求める乗り味ではない。ドルフェンに預け、代わりに馬を二頭、村の馬屋で借りた。それなりの出費だが、背に腹は代えられない。
「エノアのことは、お願いします。それと、これを」
見送りに出たレオンハイトへ、ラーメルトは一通の手紙を渡した。村から村へ書簡を運ぶ者たちがいる。レオンハイトの身に万一があっても、父へ報せが届くように、である。
「気をつけてねー」
いつもの、伸びた語尾だった。
レオンハイトは酒場の前に立ち、手を振り続けた。ふたりの背が見えなくなっても、まだ、振っていた。
◇
馬を急がせ、陽が高く昇りきる頃には、街道の景色もすっかり変わっていた。グランツェの手前までは、何ごともなかった。順調――順調すぎるほどであった。
取り越し苦労だったか、と思い始めた頃。陽が真上を過ぎ、グランツェの村影がうっすらと見える場所で、周囲に複数の気配が生まれた。
一……二……多い。五は、いる。
ラーメルトはフルメアに馬を寄せ、馬の足を緩めさせた。
「囲まれています。数は五以上。……私の合図で、駆けられますか。振り向かず、グランツェまで走らせてください。相手が徒歩なら、逃げ切れます」
フルメアは、短く頷いた。
無用な戦いは避けたい。何より、フルメアを巻き込みたくない。村の中の様子が知れない以上、これも賭けではあるが――他に、逃す先がない。
馬が、耳を伏せた。
鞍の下で、蹄が意味もなく土を掻く。
草の鳴る音が、ひとつ、またひとつ、近づいてくる。
――動いた。
「今です!」
フルメアの馬が前脚を上げ、着地と同時に加速した。土煙だけを残して、グランツェへと遠ざかっていく。
入れ替わるように、前方から四人、横合いから一人、歩み出てきた。誰ひとり、フルメアを追う素振りがない。端から狙いはこちらか、あるいは、こちらを片づけてからでも間に合うと踏んでいるのか。ラーメルトは苦く笑った。
馬から降り、腹をぽんと叩いて離してやる。
刀を抜き、鞘を、足元へ置いた。
――抜いてしまえば、あの一手はもう使えない。
ラーメルトは、ただ静かに立った。
――が、相手が、動かない。
何かを待っている? そう思った刹那、空間魔素が、動いた。
――魔法だと?!
咄嗟に、精神を固める。
魔法への抵抗は、集中力である。学院で、そう教えていた。
――教えて、いただけであった。
他人の魔法を受けるのは、これが初めてだった。
周囲の魔素が集い、姿を変える。途端、強烈な眠気が、殴りつけるように意識を襲った。
――空間睡眠か!
学院では初期に教える魔法だが、集団戦では恐ろしく効く。ただし難点がひとつある。強烈な痛みの前には、効き目が薄れることだ。
空いた拳を握り、己の頬を、力任せに殴りつけた。
奥歯が鳴る。口の中に、鉄の味が広がった。
血を吐き捨てる。
霧が――一枚だけ、剥がれた。
「おやおや。……流石は、ラーメルト師」
粘つく声が、離れた場所から届く。
「ご自身の教えを、身をもって……いや、拳をもって実践なさるとは。素晴らしい」
聞き覚えのある声だった。
行方不明になった魔術師の、ひとり――だった気がする。名前は出てこないが、学院で教えた顔が、霞む頭の隅に浮かんだ。
「……行方不明になったと、聞きましたが」
「そういうことに、なっているようですねぇ。ふふ」
粘つくような笑い声。前方の四人が、じわりと間合いを詰めてくる。
「その人は殺さない方がいい。面倒ですからねぇ」
魔術師が、男たちへ指示を飛ばす。
抵抗はした。だが、体がまだ言うことを聞かない。ラーメルトは刀を杖に、辛うじて立っていた。
――直後。空間魔素が、再び、集い始めた。
二発目だと? この魔素の薄さで――
どうやって、と。
そこまでだった。




