表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/34

第八話 都合のいい理由②

 深夜二時過ぎ。


 最初はなんてことない騒音事件だと思っていたが、


 近くで起きた強盗事件の犯人が潜伏している可能性がある、と


 生活安全課から急遽引き継いだ事件。


 ありすは聞き込みを行っていた。


 外廊下に、湿った空気が残っている。



「ここ数日、音がしてて……」


「まず、ドタドタ走るような音がしてました」


「部屋の中を移動してるみたいな感じで」



(室内の音)



 ありすはメモを取る。



「それから?」


「次に、ガチャガチャする音がして……」


「ドアですか?」


「……なんか、金属を触ってるような音で。引き出しとか、そういうものを探してるみたいな」



(……物色する音)



「それと、壁を叩くような音もしてました」


「部屋の中から響いてる感じで……壁が鳴るみたいに」


「あと最後に、すごく大きくドンって響いて……」



声が少し下がる。



「そのあと静かになって」


「最後の大きな音、どんな感じでした?」


「……ドアを強く閉めたみたいな音でした」


「静かになった直後は?」


「また走る音がしてました」


「音はどの辺りから?」



 通報者は少し迷いながら言う。



「上の階……402号室だと思います」





「402号室の住人は?」



 ありすが部下に確認する。



「現在不在です。数日前から出張のようで」



(不在)



 ありすは上を見る。



(じゃあ、さっきのは証言は——)



 一瞬止まり、思考を切り直す。





「七沢」



 橘が来る。



「どう見る」


「……まだ絞れない」



 短く返す。



「音ってさ」



 横から声。


 神谷千翠。



(……また、いつの間に)



「正確に“どこから出たか”なんて、普通わからない」


「上から聞こえた、くらいしか分からない」


「……でも通報者は」



 橘が言う。



「402って言ってる」


「“そう聞こえた”だけ」



 千翠が軽く返す。



「部屋番号まで特定できるほど、音の方向って正確じゃない」



 ありすはすぐには返さない。



(……そう聞こえた、だけ?)



 さっきの証言がよぎる。





『上の階』


『402号室だと思います』





(……思います)



 ありすが口を開く。



「廊下の反響もある」


「上の階からってだけで、“その部屋”って決めるのは早い」



(……決めてる)


(音じゃなくて)


(推測で)



「……前提が違う」



 小さく、ありすが続ける。



「“402からしてる音”じゃなくて」


「“上から聞こえる音”を、402だと思ってただけかもしれない」



 空気が一段静かになる。



(音の発生源じゃない)


(認識の問題)





「管理人によると」


「402号室付近で、騒音苦情は以前からあり」


「夜間に“鍵を確認するような音”がするという相談はあったらしい」



 改めて管理人から話を聞いてきた橘が報告する。



「いつ頃?」


「ここ数日」


「その時間帯は?」


「いずれも夜間」



 橘が資料を出す。



「さらに別件で」


「宅配ボックスが荒らされているという通報があった」


「時間は?」


「同じく夜間」


「被害を受けたのは?」


「……401号室の住人」


「以前からストーカー被害の相談が入ってた」


「内容は?」


「夜中にドアノブを何度も回される音がする」


「玄関前を歩き回る足音も」



 一瞬、空気が変わる。



(走る音)


(金属音)


(壁を叩く音)


(最後の大きな音は)


(ドアを閉めた音?)


(……違う)


(閉めたんじゃない)


(開けようとしたんだ)


(ドアノブを回して)


(それから、手前に引いた)


(その音が——)



「……402じゃない」


「音の発生源は部屋じゃない」



 視線を落とす。



「401号室の前だ」



 橘が息を吐く。



「……なるほどな」



 無線を取る。



「401宅配ボックスと階段、確認しろ」





 少しして。



「確保」



 短い報告。



「宅配ボックス漁ってた男」



 ありすは目を伏せる。



(やっぱり)



 全部、繋がる。





 夜の廊下は静かだった。


 さっきまでの騒がしさが嘘みたいに引いている。



「やっぱり、さすがありすだね」



 後ろから声。


 振り向く。


 千翠が立っている。



「……なに」


「ちゃんと繋げたね」 



(……何それ)



 少しだけ眉を寄せる。



「最初」


「“そこから聞こえてる”って前提で見てたでしょ」



 一瞬、言葉が止まる。



(……それは)



 否定しきれない。



「人は、一番都合のいいことを理由にする」


「でも」



 視線を少し上げる。



「実際は、そうとは限らない」



 その言葉だけ、少し残る。


 静かになる。



(一番都合のいいこと……)



 胸の奥に、小さく引っかかる。


 完全には否定できないまま、残る。



(……じゃあ)



 別の感情が、よぎる。



(この感情も)



 一瞬、そう思いかけて。


 すぐに否定する。



(違う)



 でも。


 その“違う”すら、少しだけ弱い。


 そのまま千翠は、少しだけ近づく。



「ねぇ」


「なに」


「この前言ってたやつ」


「……どれ」


「今日は、いい?」



 すぐに意味が掴めない。



「何が」



 千翠は少しだけ首を傾ける。



「この前の距離」



 一瞬。


 理解が遅れる。



「……は?」



 その間に、もう一歩。


 距離が詰まる。



「無理」



 即答して、一歩下がる。


 でも。


 後ろに下がった先で、すぐに壁に当たる。



「理由は?」



 千翠は止まらない。


 そのまま、また一歩近づく。



「意味わかんないから」



 少し強く言う。


 千翠は一瞬だけ止まる。


 それから、視線を落とす。



「……わかんないのは、そうだね」



 一拍。


 また顔を上げる。



「でもさ」



 距離は変わらない。



「ありす、心拍上がってる」



 一瞬、止まる。



(なんで)


(分かるの)



 呼吸が詰まる。



「……は?」



 誤魔化すように出る。


 千翠は少しだけ目を細める。



「上がってる」



 断定。


 千翠は一歩も引かない。



「……だから何」


「だから、分からない」


「嫌なのか、そうじゃないのか」



 一瞬。


 言葉が止まる。



「嫌なら、もっと早く離れると思った」


「でも、それだけじゃ判断できないから」



(何それ)



 背中に壁。


 前に千翠。


 逃げ場がない。



「……違う」



 やっと出す。


 千翠はそこでようやく、ほんの少しだけ動きを止める。


 でも距離は変えない。



「俺も上がってる」



 一瞬、意味が遅れてくる。



「……は?」



 千翠は表情を変えない。



「心拍」



 淡々と。


 言葉が詰まる。



(なにそれ)



「……だから何」



 少し強めに返す。


 千翠はそこで、ほんの少しだけ目を細める。



「でもさ」


「……嫌じゃない」



 静かに落とす。



「あの距離、嫌じゃなかった」



 呼吸が一瞬止まる。


 沈黙。


 距離はまだ近い。



「ありすは」



 続ける。



「違う?」



 一瞬。


 思考が止まる。


 答えが出ない。


 でも、沈黙は許されない気がする。



「……違う」



 短く言う。


 千翠はそれを聞いても、特に表情を変えない。



「そっか」



 それだけ。


 そして、ようやく。


 一歩だけ、距離が緩む。


 ほんの少し。



「じゃあ」



 軽く言う。



「また今度」



 そのまま背を向ける。


 足音が遠ざかる。


 残されたまま、ありすは壁に背をつけたまま動けない。



(何今の)


(何を確認された?)



 心拍だけが、少し遅れてうるさい。



(嫌じゃないって何)


(何の基準?)



 夜は静かなまま。


 でも、さっきまでとは少し違う静けさだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ