第六十九話 ただいま①
ソファを買った日の夜。
千翠の部屋。
ありすが帰る支度をする。
玄関まで見送るときに、千翠がふと思い出したようにポケットへ手を入れた。
「これ」
差し出されたのは、小さなカードケース。
ありすは首を傾げながら受け取る。
開く。
中には、一枚のカードキー。
「……え?」
「追加」
短く答える。
ありすはカードキーと千翠を見比べた。
「……いいの?」
「うん」
迷いなく頷く。
「持ってて」
「でも……」
「来るでしょ」
あまりにも当たり前みたいに言われて。
ありすは少しだけ目を丸くした。
「……まぁ、来るけど」
カードキーを指先でくるりと回す。
そこで、ふと疑問が浮かぶ。
「……これ、どうやって作ったの?」
「東條さん」
「…………」
数秒。
完全に固まる。
「頼んだ」
「作ってくれた」
ありすはゆっくり額を押さえた。
(……終わった)
絶対。
知ってる。
いや、前から知ってるだろうけど。
これで完全に。
「……何か言われなかった?」
恐る恐る聞く。
千翠は少しだけ考えた。
「『渡しとけ』って」
「…………」
ありすはその場にしゃがみ込む。
「……無理」
「?」
「絶対バレてる……」
頭を抱えるありすを見て、
千翠は少し首を傾げる。
「前から知ってると思う」
「それはそうなんだけど!」
思わず声が大きくなる。
千翠は何が問題なのか、やっぱりよく分かっていなかった。
⸻
それから数日。
仕事終わり。
千翠はマンションへ戻ってきた。
カードキーをかざす。
電子音。
玄関を開ける。
部屋は明るい。
リビングへ向かう。
そこには。
ソファの上でブランケットにくるまりながら、テレビを見ているありすがいた。
片手にはプリン。
スプーンを口へ運んだ、その瞬間。
目が合う。
「あ」
短く漏れる。
完全に”見つかった”という顔。
千翠はそのまま歩いてきて、
ソファの前で止まる。
「……プリン食べてる」
ありすは数秒止まって。
思わず笑った。
「そこ?」
「うん」
「勝手に食べちゃった」
「別に」
「……でも、二個入りだったから」
ありすは申し訳なさそうにする。
「それ二個目なの?」
「うん……」
笑いながらプリンを一口。
千翠も隣へ座る。
少し間があって。
「好きなの?」
「……何が?」
「プリン」
ありすは少し照れたようにカップを見る。
「……うん」
「昔からこれ」
「見つけると、つい買っちゃう」
「でもあんまり売ってないんだよね」
千翠は小さく頷く。
「そう」
それだけ。
でも。
そのパッケージも。
メーカーも。
しっかり頭の中へ入っていた。
ありすは気付かない。
隣で、静かに記憶されていることに。
食べ終わったプリンのカップをゴミ箱へ捨てて戻る。
ソファへ座る。
自然と肩が触れる。
視線が合う。
ありすが少しだけ身体を預ける。
それだけで十分だった。
千翠は静かに腕を回す。
ありすも当たり前のように寄りかかる。
広い部屋。
大きなソファ。
そこに並んで座る二人の距離だけが、
少しずつ”日常”になっていくのだった。




