↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
68/71

第六十八話 少しずつ増えるもの②

 仕事終わり。


 ありすはスマホを開く。


 少しだけ迷ってから、短く打つ。



『今日、家行っていい?』



 送信。


 数秒もしないうちに返事が来る。



『うん』



 思わず笑う。


 最近は、このやり取りが増えた。


 理由なんてない。


 ただ会いたいから。


 それだけで十分になっていた。



⸻



 夜。


 千翠の部屋。


 広いリビング。


 相変わらず、家具は少ない。


 ベッドとローテーブルだけという景色にも、もう見慣れてしまった。


 ベッドに並んで座る。


 静かな時間。


 その中で、ありすがふと思い出したように口を開く。



「そういえば」



 千翠が視線を向ける。



「ソファ」


「いつ買いに行く?」



 千翠はスマホを取り出し、予定を確認する。


 画面を見つめたまま、小さく首を振った。



「今週は無理」


「来週も午後まで現場」


「……再来週なら、まだ予定あんまり入ってない」



 ありすは苦笑する。



「忙しいね」


「うん」


「でもその日なら一時間空けられる」



 さらっと言う。



「一時間でソファ買うの?」


「急げば」



 ありすは吹き出した。



「そんな急いで買うものじゃないでしょ」


「じゃあ急ぐ」


「だから何で急ぐの」



 二人で小さく笑った。



⸻



 二週間後。


 午後。


 大型家具店。


 休日の店内は人が多い。


 ありすは楽しそうに店内を歩き回っていた。



「これかわいい」


「こっちもいいなぁ」


「この色好き」



 一方で。


 千翠は片っ端からソファに座っている。



「……これ柔らかい」


「これは少し硬い」


「こっちは沈む」



 ありすが笑う。



「見た目は?」


「座り心地が先」


「そういうとこだよ」



 結局。


 ありすが選んだ、大きめのグレーのソファに決まった。


 三人くらい座れそうなゆったりしたサイズ。


 背もたれも高く、二人で並んで座っても余裕がある。



「これでいい?」



 ありすが尋ねる。


 千翠はソファを見て、小さく頷いた。



「ありすが好きなら」


「これがいい」



 その返事に、ありすは少しだけ照れたように笑う。



⸻



 会計を終えた、そのとき。


 千翠のスマホが鳴った。


 一瞬だけ画面を見る。



「……うん」


「分かった」


「今行く」



 通話が終わる。


 ありすもすぐ察した。



「仕事?」


「呼ばれた」



 少しだけ残念そうに笑う。



「そっか」


「ごめん」


「謝らなくていい」



 千翠はポケットから一枚のカードキーを取り出した。


 ありすへ差し出す。



「これ」



 ありすは目を丸くする。



「え?」


「家、行ってていい」



 カードキー。


 初めて預けられる。


 ありすはしばらく見つめたまま固まる。



「……いいの?」


「うん」


「ありすだから」



 あまりにも自然に言われて。


 胸の奥がじんわり熱くなる。



「……ありがと」



⸻



 そのあと。


 ありすは一人で買い物を続けた。



「せっかくだし……」



 ラグ。


 ブランケット。


 クッション。


 マグカップ。


 電気ポット。


 ティーバッグ。


 茶葉。


 マドラー。


 コースター。



「……ちょっと買いすぎ?」



 一瞬思う。


 でも。



「まぁ、いっか」



 笑ってしまう。



⸻



 夕方。


 カードキーをかざす。


 電子音。


 扉が開く。


 もう何度も来ている部屋なのに。


 今日は少しだけ特別だった。


 ありすはラグを敷き。


 ブランケットを畳み。


 マグカップを洗う。


 キッチンでは電気ポットでお湯を沸かす。


 これまでほとんど使われていなかったキッチンに、


 少しずつ生活の色が増えていく。


 その後、指定した時間にソファが搬入される。


 搬入されたソファにクッションを並べる。

 

 ありすは紅茶を淹れて。


 新しいソファへ腰を下ろす。



「……いい感じ」



 一人、小さく笑った。



⸻



 夜。


 ソファに座ったまま、ありすはマグカップを両手で包んでいた。


 紅茶の湯気がゆっくり立ち上る。


 静かな部屋。


 スマホが震える。



『着いた』



 ありすは画面を見て、小さく笑う。



『今開ける』



 立ち上がる。


 玄関へ向かう。


 ドアのロックを解除する音。


 扉を開ける。


 そこに、仕事帰りの千翠が立っていた。


 一瞬。


 視線が合う。


 千翠の動きが、ほんのわずかに止まる。


 いつもは誰もいないはずの部屋。


 そこに、ありすがいる。


 しかも、自分を迎えに出てきている。


 その事実が、静かに胸に落ちる。



「おかえり」



 ありすが自然に言う。


 千翠は数秒遅れて、



「……ただいま」



 と返す。


 その声が、いつもより少しだけ柔らかい。


 千翠はそのまま一歩入って。


 足を止める。


 静かに部屋を見渡した。


 大きなソファ。


 ラグ。


 ブランケット。


 クッション。


 テーブルの上にはマグカップ。


 キッチンには電気ポットと茶葉。


 マドラーも、きれいに並んでいる。


 以前とは、少し違う景色。


 千翠はしばらく眺めていた。



「……変わった」



 ぽつりと漏れる。


 ありすは慌てる。



「ご、ごめん!」


「なんか……」


「いろいろ買っちゃって」


「勝手だったよね」



 千翠は部屋を見回し。


 もう一度、ありすを見る。



「……むしろ」


 一拍。


「いい」



 ありすが止まる。


 千翠は静かに続けた。



「今まで必要なかった」


「でも」



 部屋を見渡す。



「ありすがいるなら」


「全部必要」



 一瞬。


 ありすの顔が真っ赤になる。



「……そういうこと普通に言う」



 小さく抗議する。


 千翠は首を傾げた。



「本当だから」



 即答。


 ありすは思わず笑ってしまう。



「はいはい」



 新しいマグカップを差し出した。



「紅茶できてるよ」


「ありがとう」



 二人でソファへ座る。


 ゆったりとした広さ。


 それでも。


 自然と距離は近くなる。


 肩が触れる。


 どちらも動かない。


 千翠はマグカップを置き。


 ありすを見る。


 視線が合う。


 数秒。


 もう。


 “触れていい?“とは聞かない。


 ありすも何も言わない。


 ただ少しだけ身体を預ける。


 その答えだけで十分だった。


 千翠は静かに腕を回す。


 抱き寄せる。


 ありすも当たり前のように寄りかかった。



(……こういうのも)



 少しずつ。


 当たり前になっていく。


 窓の外には、街の灯り。


 部屋には、新しいソファと、紅茶の香り。


 少しずつ増えていく家具。


 少しずつ増えていく日常。


 そのどちらも、この広い部屋を、少しずつ二人の居場所へ変えていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。