第六十一話 隠しきれない気配②
朝。
捜査三課。
ありすはデスクに向かっている。
手は動いている。
でも。
(……見られた)
思考が戻る。
何度も。
視線が落ちる。
昨日の距離。
空気。
全部、思い出す。
(……最悪)
小さく息を吐く。
そのとき。
「七沢課長」
部下の声。
「……ん」
顔を上げる。
いつも通り。
表情も崩さない。
でも。
完全には戻ってない。
⸻
一方。
千翠は呼ばれていた。
刑事部長室。
ノック。
「入れ」
短い声。
扉を開ける。
「失礼します」
中に入る。
東條がいる。
デスク越し。
視線が一度だけ上がる。
「最近どうだ」
唐突に。
内容は曖昧。
でも。
意味は曖昧じゃない。
「問題ありません」
即答。
迷いなく。
東條は小さく頷く。
書類に目を落とす。
「そうか」
それだけ。
でも。
終わらない。
ペンを置く。
視線が、もう一度上がる。
「……七沢警視とは」
少しだけ間を置く。
「うまくやってるみたいだな」
「はい」
短く返す。
東條は頷く。
そして。
「別に付き合うなとは言わん」
千翠が少しだけ視線を上げる。
「仕事に持ち込むな」
短く。
はっきり。
「それだけだ」
千翠は数秒黙って。
「……はい」
今度は少しだけ真面目に頷く。
東條は書類へ視線を戻す。
「七沢は課長だ」
一拍。
「余計なことで評価を落とすようなことだけはするな」
それだけ。
「以上だ」
「下がっていい」
「……失礼します」
そのまま出る。
扉が閉まる。
⸻
午後。
三課。
ありすはデスクに向かっている。
資料を見ている。
でも。
(……見られた)
また戻る。
思考が、切れない。
ペンを持つ手が、わずかに止まる。
そのとき。
足音。
視線を上げる。
千翠。
戻ってきた。
一瞬だけ。
目が合う。
すぐ逸らす。
(……無理)
平静、保てない。
千翠は何も言わない。
そのまま、いつもの位置へ。
変わらない。
普段通り。
それが逆に。
引っかかる。
ありすが、先に口を開く。
「……呼ばれてたの」
低く。
業務の延長みたいに。
「うん」
短い返事。
「……何か言われた?」
「うん」
「最近どうだって」
「それだけ?」
「あと」
少しだけ考えて。
「仕事に持ち込むなって」
ありすの手が止まる。
「……やっぱり」
思わず漏れる。
「あと」
千翠は続ける。
「ありすが余計なことで評価を落とさないようにって」
その一言で。
ありすの思考が止まる。
(……え)
責められたんじゃない。
心配されてた。
少しだけ肩の力が抜ける。
「……それでも」
小さく息を吐く。
「やっぱり気をつけて」
千翠が見る。
「私の立場だけじゃない」
一拍。
「千翠も」
自然に名前で呼ぶ。
「変なこと言われるの嫌だから」
千翠は少しだけ目を丸くする。
数秒。
それから。
「……うん」
静かに頷く。
「気をつける」
静かに頷く。
ありすは数秒その顔を見つめて。
小さく息を吐いた。
「……ならいい」
ぶっきらぼうに返す。
でも。
さっきまで胸の奥にあった重さは、少しだけ軽くなっていた。
千翠がぽつりと言う。
「隠すつもりはない」
ありすが眉を寄せる。
「……でも」
一拍。
「仕事は別」
迷いなく続ける。
「そこは守る」
ありすは一瞬だけ目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「うん」
その一言だけ。
十分だった。
お互いに守りたいものが、ちゃんと同じだと分かったから。
そのあと二人は何も言わず、またそれぞれの仕事へ戻る。
視線は交わさない。
距離も変わらない。
それでも。
昨日までとは、少し違っていた。
二人の間にあるものが、少しずつ。
二人だけのものではなくなっていく。
そんな気配がしていた。




