第六十話 隠しきれない気配①
午後。
捜査三課。
資料を広げたまま。
ありすはデスクで橘と話していた。
「ここさ」
橘が資料を指す。
ありすも身を寄せる。
「前の件、覚えてる?」
「……ああ、あれね」
少しだけ笑う。
「結局、犯人が単純だったやつ」
「言い方」
橘も笑う。
昔から変わらない空気。
同期だからこその距離。
その様子を。
少し離れた場所から、千翠が見ていた。
視線だけが止まる。
(……近い)
仕事。
分かっている。
同期。
それも知っている。
でも。
胸の奥が、少しだけざわつく。
橘はその視線に気付いた。
(……ああ)
心の中で笑う。
面白いくらい分かりやすい。
「七沢」
わざと声をかける。
「これも見て」
資料を少しだけ自分の方へ寄せる。
ありすも自然に近付く。
距離は仕事の範囲。
それでも。
千翠の視線は外れなかった。
⸻
夜。
本部の自動ドアを抜ける。
外の空気。
人はもうほとんどいない。
並んで歩く。
少しだけ間。
千翠がぽつりと口を開く。
「……今日」
ありすが横を見る。
「何」
少しだけ考えて。
「……嫌だった」
静かに。
ありすは足を止める。
「何が」
「橘」
短く。
ありすはすぐ理解する。
「ああ」
一拍。
「言ったでしょ」
「仕事」
千翠は頷く。
「分かってる」
そのあと。
少しだけ視線を落とす。
「……でも」
「嫌だった」
ありすは思わず笑う。
「ちゃんと言えたじゃん」
千翠が視線を上げる。
「前なら仕事中に来てた」
「今日は待った」
ありすは少しだけ表情を緩める。
「うん」
「えらい」
その一言で。
千翠の心臓が、小さく跳ねる。
(……また)
笑った。
しかも。
自分に向けて。
ありすは気づかない。
そのまま続ける。
「仕事終わってからなら」
「そういうの聞く」
千翠は数秒黙って。
小さく頷く。
「分かった」
その流れで、
ありすが少し照れながら手を差し出す。
「……ほら」
千翠が見る。
「今はいいよ」
小さく。
「外だから」
千翠は少しだけ目を丸くして。
ゆっくり手を重ねる。
指先が触れる。
自然に繋ぐ。
その時。
後ろから。
「……ん゛んっ」
控えめな咳払い。
でも。
二人には十分すぎるほど響いた。
一瞬で固まる。
ありすが反射的に距離を取る。
振り向く。
数メートル先。
本部の出口付近。
東條が立っていた。
こちらを見ている。
ありすの思考が止まる。
(……終わった)
本気でそう思った。
千翠も静かに一歩下がる。
空気だけが重くなる。
東條は数秒二人を見て、
「……帰るならさっさと帰れ」
それだけ言った。
怒鳴るわけでもない。
問い詰めるわけでもない。
ただ、それだけ。
そのまま歩いていく。
足音が遠ざかる。
静寂。
ありすはその場で固まったまま、小さく額を押さえた。
「……最悪」
思わず漏れる。
千翠が横を見る。
「……見られた」
声が少しだけ小さい。
ありすは周囲を見回して、もう一度額を押さえた。
「……帰るよ」
低く。
さっきより、少しだけ早い。
千翠は短く頷いて自然に手を絡めてくる。
ありすは肩を少しビクッと震わせた。
「ちょっと」
「……よくなかった?」
「……いいけど」
反射的に返す。
でも。
手は振り払わない。
千翠はそのまま指を絡める。
ありすは小さく息を吐く。
(……もう)
見られた。
しかも。
刑事部長に。
職場のすぐ外で。
頭が痛い。
一拍。
千翠が静かに聞く。
「……離す?」
ありすは少しだけ考えて。
「……離さない」
小さく答える。
千翠は何も言わない。
ただ、繋いだ手を少しだけ握り直した。
ありすは前を向く。
(……問題はそこじゃない)
手を繋いだことじゃない。
見られた相手が悪すぎる。
刑事部長。
しかも。
千翠を育てた人。
あの人がどう受け取ったか。
考え始めると、落ち着かない。
小さくため息が漏れる。
隣から声。
「……ありす」
「何」
「怒られる?」
真面目な声。
ありすは一瞬だけ目を丸くして。
思わず笑う。
「私がね」
ぽつりと言う。
「多分、怒られるっていうより……」
一拍。
「評価が下がる、かも」
小さく本音が漏れる。
千翠は少しだけ考えて。
「……ごめん」
素直に言う。
ありすは首を横に振る。
「違う」
「私も離さなかったし」
繋いだ手を見る。
そのまま。
「……だから半分は私のせい」
そう言うと。
千翠は数秒黙って。
静かに返す。
「半分じゃない」
「一緒」
短く。
ありすはその言葉に少しだけ笑う。
困ったように。
照れたように。
二人はそのまま。
繋いだ手を離さず、夜道を歩いていった。




