表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/33

第五話 閉じた距離は誰もわからない②

 現場は、思っていたよりも静かだった。


 外廊下のマンション。


 昨夜までの雨のせいか、床はまだわずかに湿っている。


 風が抜けるたび、空気がゆるく動いた。



「被害者はこの部屋です」



 部下の案内で足を止める。


 玄関前。


 ドアは閉まっている。



「第一発見者は隣人です。二週間ほど前から姿を見ていないと」


「二週間」


「最初は気にしていなかったそうですが、だんだん郵便物が溜まり始めて……」


 一拍。


「それで、今朝になって少し臭いがする、と」



 風が通る。


 ほんのわずか、空気が動く。



「この廊下、風通しがいいので、強い臭いではなかったみたいですが」



 視線がドアに向く。



「中は冷房がついたままだったそうです」



(……時間が経ってから出てきた)



 条件が揃う。



「インターホンを鳴らしても応答がなくて、管理人を呼んでいます」


「開かなかった?」


「はい。隣人の話では、レバーは下がったけど開かなかったと」



 その言葉だけが、少しだけ引っかかる。



「管理人が開けています」



 ドアレバーに触れる。


 ゆっくり下げてドアを引く。


 開く。



(……少し、重い)



 ほんのわずか。


 でも、引っかかる感触が残る。


 そのまま室内へ入る。





 リビング。


 床に倒れている男。



「刺殺です。一撃が致命傷」


「争った形跡は?」


「ほとんどありません」



 静かすぎる。


 生活の気配だけが残っている。



「七沢」



 橘の声。



「防犯カメラ確認した」


「エントランスと裏口、駐車場側も含めて出入りは全部拾ってる」


「どう?」


「死亡推定時刻から発見まで、外部の出入りは確認されてない」


「映ってるのは住人だけだ」



(外部の人間は出入りしてない)


(発見時鍵がかかっていた)


(じゃあ)



「……密室、か」



 小さく、ありすが呟く。


 外からは入れない。


 中からは出られない。


 なのに、人は死んでいる。


 思考がそこに向いた瞬間。



「前提が一つ飛んでる」



(……また)



 振り向かない。



(なんで毎回いるの)



「何が」


「“閉まっていた”って、誰が確認したの?」



 一瞬、空気が止まる。



「……は?」


「“密室”って定義に引っ張られてる」



 淡々と。


 視線が、ドアに向く。



「でもそれ、本当に“閉まってた”の?」



 言葉が、残る。



(……開かなかった)



 一瞬、思考が止まる。



(閉まってた、じゃない)



 視線がドアに向く。



「……さっきの管理人の話、もう一回」



 部下が一瞬きょとんとする。



「どうやって開けた?」


「えっと……最初は普通に開けようとして」



 一拍。



「レバーを下げて、引いたけど動かなくて——」


「そのあと」



 被せる。



「何度かやってもダメで、“鍵がかかってると思った”って」


「そのあと」


「マスターキーを使って、もう一度確認してます」


「回った?」


「はい。ただ——」



 少し迷う。



「やっぱり、すぐには開かなかったって」



 空気が、わずかに変わる。



(……やっぱり)



「無理にやると壊れそうだったので、力は入れてないそうです」



 視線がドアに戻る。



(レバーは下がる)


(鍵は回る)


(でも動かない)


(外廊下)


(昨日の雨)


(二週間、未開閉)


(室内は冷房)



 断片が、一気に繋がる。



(張り付いてる)



 一歩。



(最初だけ、動かない)



 口が、先に動く。



「……鍵じゃない」



 橘が振り向く。



「は?」


「閉まってたんじゃなくて」


 一拍。


「開かなかっただけだ」



 ドアを指す。



「湿気でパッキンが張り付いてた。しかも二週間、開けてない」


「……」


「レバーは下がる。でも最初の一動きが出ない」



 一瞬の沈黙。



「開かない理由を、一個に決めてた」



 一拍。



「鍵のせいだって」



 数秒の沈黙。



「……なるほどな。じゃあ密室じゃねえな」


「最初から違う」



 ありすの視線が、カメラの映像へ向く。



「でも、防犯カメラには映ってないんだろ」



 橘の声。


 思考が、止まらない。



「……外には出てない」



 小さく呟く。



「は?」


「カメラに映ってないなら」


 一拍。


「この建物の外には出てない」

 


 視線を上げる。

 


「でも、部屋には入ってる」



 矛盾をそのまま置く。

 


「じゃあ」



 一歩。



「どこにいる?」



 短い沈黙。



「……中、か」



 橘が低く言う。



「うん」



 頷く。



「このマンションの中にいる」



 一拍。



「被害者の部屋に出入りできる距離にいて」


「カメラに映っても変じゃない人間」



 視線がわずかに動く。



「限られる」



 言葉が、落ちる。



「……住人か」



 橘が吐き出す。



「それか、内部の人間」



 短く付け足す。


 空気が変わる。


 現場の意味が、書き換わる。


 その横で。



「……いいね」



 小さく、声。


 振り向く。


 千翠が、少しだけ目を細めている。



「ちゃんと辿り着くんだね」



(……何それ)



 でも。


 少しだけ、息が楽になる。



「橘」


「同時間帯に外出してない住人、洗える?」


「やる」



 現場が動き出す。


 今度は、迷いなく。





「やっぱり気づくんだ」



 すぐ近く。



「……何それ」



 振り向く。


 千翠が、少しだけ目を細めている。



「思ったよりちゃんと見てる」



 距離が、近い。



「……近いんだけど」


「そう?」


「そう」



 一歩だけ下がる。



「話しにくいんだけど」


「でもこの距離の方が、よく見える」


「何が」


「反応」


「……何の」


「ありすの」



 一瞬、言葉が詰まる。



(……やめてほしい)



 言えば、多分、離れる。


 なのに。


 なぜか、それを言う気にはなれなかった。



「……仕事の話してるんだけど」


「してる。観察もその一部だから」



 軽い返事。


 でも。


 視線は、逸れない。



(ほんと、意味わかんない)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ