第四十六話 扱い方①
午後。
千翠は、久しぶりに捜査一課へ来ていた。
普段いる捜査三課や二課とは、少し空気が違う。
一課の事件に呼ばれることはある。
それでも、ここにいる刑事たちと顔を合わせる機会は多くない。
名前は知っている。
顔も、だいたい分かる。
けれど。
話したことは、ほとんどない。
そのせいか。
室内には、どこか千翠を測るような視線があった。
ホワイトボードには関係図。
机の上には資料の束。
進んではいる。
だが、噛み合っていない。
「……一度整理しよう」
課長が口を開く。
「関係者AとBの接点——」
説明が始まる。
全員が聞いている。
その中で。
「違う」
一言。
空気が止まる。
視線が、一斉に集まる。
神谷千翠。
資料に目を落としたまま、淡々と続ける。
「接点じゃない」
一拍。
「順序が逆」
課長の言葉が止まる。
「……どういうことだ」
少しだけ低い声。
苛立ちではない。
だが、警戒はある。
千翠は顔を上げる。
ボードを見る。
「この人」
一人を指す。
「先に動いてる」
一拍。
「Aじゃなくて、Cを起点にした方が早い」
簡潔。
間違ってはいない。
むしろ。
筋は通っている。
数秒の沈黙。
「……根拠は?」
別の刑事が聞く。
千翠は一瞬だけ考える。
そして、資料の一点を指した。
「ここ」
一拍。
「この証言と、この時間」
「だから順序が逆」
それだけ言う。
会議室が静かになる。
刑事たちは資料を見返す。
言っている箇所は分かる。
でも。
そこからどうしてその結論になるのか。
途中が抜けている。
「……神谷」
課長が声をかける。
「その間を説明しろ」
千翠は少しだけ首を傾ける。
「全部書いてある」
当然のように返す。
空気が止まる。
課長は小さく息を吐いた。
「……いや、お前の中ではそうなんだろうけどな」
「俺たちは、お前の思考を読めるわけじゃない」
千翠は数秒黙る。
資料を見る。
課長を見る。
もう一度資料を見る。
「……?」
本気で分かっていない。
課長がこめかみを押さえる。
(扱いづらい……)
声には出さない。
そのまま、会議は続く。
だが。
流れは、どこかぎこちないままだった。
⸻
数時間後。
現場近く。
一課の刑事たちが、それぞれ持ち場に散っていた。
聞き込み。
周辺確認。
防犯カメラの洗い直し。
地道な作業が続く。
その中で。
千翠も、周囲を見渡していた。
一瞬だけ立ち止まる。
視線が、一点で止まる。
次の瞬間。
何も言わずに歩き出した。
向かう先は、他の刑事たちとは反対方向。
「……神谷?」
近くにいた刑事が振り返る。
「おい、どこ行く」
返事はない。
歩みは止まらない。
刑事は慌てて無線に手を伸ばく。
「課長、神谷が持ち場を離れました」
『何?』
「止めます」
追いかけようとした、そのとき。
『……待て』
無線の向こうで課長が短く言う。
『二手に分かれて探せ。あいつを見失うな』
「了解」
刑事たちは顔を見合わせ、すぐに散った。
数分。
千翠の姿は見つからない。
「神谷、応答しろ」
無線を入れる。
返事はない。
さらに数分。
ようやく。
「……いた!」
路地の奥。
千翠が一人の男と向き合っている。
男は驚いたような顔で立ち尽くしていた。
刑事たちが駆け寄る。
状況を確認する。
男は今回の事件の鍵になる人物だった。
「……なんでこの人だって分かった?」
刑事の一人が思わず聞く。
千翠は男から視線を外さないまま答える。
「あの人なら」
「必ずここに来るはずだから」
それだけ。
やはり説明にならない。
刑事たちは顔を見合わせる。
(……またそれか)
誰も反論できない。
実際、見つけている。
成果は出している。
だからこそ。
(……共有があれば、もっと早い)
その思いだけが残る。
⸻
夕方。
捜査一課。
戻ってきた空気は、少し重い。
「……神谷」
課長が低く呼ぶ。
千翠は足を止める。
「結果は出した。そこは認める」
一拍。
「だが、勝手に持ち場を離れるな」
千翠は少し考える。
「危険じゃなかった」
静かに答える。
「相手は逃走中じゃない」
「武器も持ってない」
「周囲に人もいた」
「一人でも問題なかった」
淡々と。
判断材料を並べるだけ。
課長は眉を寄せる。
「それは、お前の判断だ」
一拍。
「現場は予想通りに動かない」
「百回当たっても、一回外れれば終わる」
「その一回を防ぐために連携するんだ」
千翠は少し考えてから口を開く。
「……可能性は低かった」
「ゼロじゃない」
課長が返す。
「だから俺たちがいる」
⸻
「神谷の読みは外れねぇんだよ」
誰かが言う。
「だから怖いんだよ。本人も外れない前提で動いてる」
小さく続く。
「だから余計に扱いづらい」
「毎回あれじゃ心臓がもたねぇよ」
別の声。
小さな不満。
でも。
正当なもの。
千翠はその会話を聞いている。
反応はない。
ただ、処理している。
言葉としては理解できる。
でも。
(……何が問題なんだろ)
思考が止まる。
結果は出ている。
効率も悪くない。
なのに。
“やりにくい”と言われる。
その理由が、掴めない。
(……何が違う)
視線が、少しだけ落ちる。
(ありすは)
(途中を聞かなかった)
一拍。
(……なんで)
ふと浮かぶ。
(……ありすなら分かる?)
理由はない。
でも。
その選択だけは、迷わない。
千翠は静かに立ち上がる。
そのまま、部屋を出る。
行き先は、決まっていた。




