第四十五話 付き合うということ②
翌日。
捜査三課。
朝。
ありすはいつも通りデスクに向かっていた。
資料を開く。
コーヒーに手を伸ばす。
変わらない動作。
ただ。
ほんの少しだけ。
視線が落ち着かない。
(……普通にしろ)
自分に言い聞かせる。
何も変わっていない。
仕事は仕事。
それだけ。
そのとき。
「おはようございます」
部下の声。
ありすは軽く頷く。
いつも通り。
でも。
別の声が混ざる。
「おはよう」
一瞬。
空気が止まる。
ありすの手が止まる。
ゆっくり顔を上げる。
そこにいるのは。
神谷千翠。
(なんで普通に朝からここにくるの)
千翠は気にしない。
そのままデスクに寄る。
「昨日の件」
「補足がある」
資料に視線を落とす。
完全に“仕事の延長”の顔。
でも。
距離が近い。
自然すぎるくらいに。
ありすは一瞬固まる。
(……やめろ)
心の中で言う。
でも声には出せない。
周りがいる。
そのとき。
「七沢」
別の声。
低い。
聞き慣れている。
振り向く。
橘が立っている。
腕を組んで。
状況を把握しているような顔。
「……ちょっといいか」
短く言う。
ありすは一瞬だけ迷って。
「……はい」
立ち上がる。
千翠は特に止めない。
ただ見ている。
⸻
廊下。
人のいない場所。
橘は足を止める。
振り返る。
そして。
「……で?」
一言。
ありすは一瞬黙る。
誤魔化せない。
この人には。
「……付き合うことになった」
観念して言う。
橘は数秒、何も言わない。
ただ、じっと見る。
そのあと。
小さく息を吐く。
「……だろうな」
予想通り、という声。
「大変だぞ」
ぼそっと言う。
ありすの眉がわずかに動く。
「……もう分かってる」
即答。
昨夜を思い出す。
すでに実感済み。
橘は少しだけ口元を緩める。
「だろうな」
同じ言葉。
でも、少しだけ柔らかい。
「……七沢」
少しだけ声が低くなる。
「それ、自分で選んだんだよな」
確認。
前と同じ問い。
ありすは迷わない。
「……うん」
はっきり答える。
橘はその目を見る。
嘘がないことを確認する。
そして。
「……ならいい」
短く言う。
それ以上は踏み込まない。
ただ。
「……あいつ、普通が通じねぇからな」
少しだけ視線を外して言う。
「気をつけろよ」
それだけ。
ありすは小さく息を吐く。
「……分かってる」
繰り返す。
⸻
同じ頃。
本部上層階。
東條の執務室。
静かな空間。
その中で。
「最近の神谷の動きです」
部下が資料を差し出す。
東條はそれを受け取る。
目を通す。
淡々と。
ページをめくる。
一瞬。
視線が止まる。
「……ほう」
小さく漏らす。
そこには。
捜査三課での行動記録。
そして。
特定個体——七沢ありすとの接触頻度。
以前より、明確に増えている。
東條は資料を閉じる。
少しだけ考える。
数秒。
そして。
「問題ない」
短く言う。
部下がわずかに目を動かす。
「……七沢警視については」
「干渉するな」
東條は椅子にもたれ、静かに指を組む。
「結果は出ている」
淡々と続ける。
「神谷の行動変化以降、捜査課での解決率も対応速度も向上している」
一拍。
「七沢警視も、本来の職務を十分果たしている」
視線を窓の外へ向ける。
「感情は評価対象外だ」
「機能しているかどうかだ」
それだけ。
部下は一礼した。
「承知しました」
それ以上は言わない。
東條は窓の外を見る。
街を見下ろす。
小さく。
本当に小さく。
口角が上がる。
(……面白い)
(そこまで変化するとは)
誰にも聞こえない声で。
そう呟いた。




