第四十ニ話 関係に名前を①
午後。
捜査二課。
橘は書類に目を通していた。
静かな室内。
その中で。
「橘」
声がかかる。
顔を上げる。
そこにいるのは。
神谷千翠。
「……お前か」
短く返す。
千翠はそのまま近づく。
遠慮がない。
「聞きたいことがある」
前置きなし。
橘は少しだけ眉を寄せる。
(嫌な予感しかしねぇな)
内心で思う。
「……なんだ」
ため息混じりに返す。
千翠は迷わない。
「“付き合う”って、具体的に何を指してる?」
数秒。
沈黙。
橘の思考が止まる。
「……は?」
素で聞き返す。
千翠は続ける。
「ありすに言われた」
「付き合ってないと、成立しないらしい」
淡々と説明する。
橘のこめかみがぴくっと動く。
(……やっぱりそういうことか)
一瞬で状況を理解する。
そして。
小さく息を吐く。
「……それを俺に聞くのかよ」
呆れ半分。
諦め半分。
千翠は首を傾ける。
「そういうの、理解してそうだから」
悪気ゼロ。
橘は一度目を閉じる。
考える。
どう説明するか。
こいつに。
この概念を。
数秒後。
「……簡単に言えば」
ゆっくり口を開く。
「お互いに、相手を特別だって思うことだ」
一拍。
「他のやつじゃ代わりが利かねぇ」
「一緒にいたいとか、触れたいとか、そういうのを恋人同士として認め合うことだ」
言葉を選びながら。
でも、端的に。
千翠は少しだけ考える。
「……『好き』と同じ?」
橘は小さく頷く。
「完全に同じじゃねぇけど、近いな」
「好きだから付き合うやつが多い」
一拍。
「でも、好きが一方通行じゃ、付き合えねぇ」
「相手も同じかが大事なんだよ」
千翠に合わせて言葉を選ぶ。
千翠はしばらく考える。
「……俺は」
「ありすじゃないと意味がない」
視線が上がる。
「それでも足りない?」
橘の思考が止まる。
一瞬だけ。
何も返せない。
視線だけが、千翠を見る。
嘘をついている顔じゃない。
打算もない。
ただ、事実を確認しているだけの目。
その一言が、思った以上に胸に刺さった。
(……言えるのか)
そんなふうに。
迷いなく。
自分には、たぶん言えない。
想いがあるからこそ。
壊れるのが怖くて、言えなかった。
だから。
こんなにも真っ直ぐ口にする千翠が、少しだけ羨ましかった。
同時に。
(……もう)
(俺には、どうにもできねぇな)
ずっと隣にいたのは自分だ。
ありすを知っている時間も、自分の方が長い。
それでも。
ありすが今、一番心を揺らされている相手は――。
(……こいつなんだよな)
胸の奥が、小さく痛む。
でも。
その痛みを表には出さない。
飲み込む。
昔から、そうしてきたように。
(……だから言ったんだ)
(好きなんだろ、って)
「……相手もそう思ってるかどうか、が大事なんだよ」
千翠はまた考える。
数秒。
「……理解はした」
小さく言う。
橘はじっと見る。
分かってない顔で「分かった」と言うやつだと、知っている。
「……お前、それ」
言いかけて、やめる。
代わりに。
「……七沢、困らせんなよ」
それだけ言う。
千翠は少しだけ首を傾ける。
「困らせてる?」
純粋に聞く。
橘は答えない。
ただ。
「いいから行け」
軽く追い払う。
千翠は頷く。
「うん」
そのまま去る。
⸻
廊下。
歩きながら。
千翠は考える。
(……特別)
キーワード。
(他じゃダメ)
条件。
(相手も同じ)
必要要素。
組み合わせる。
整理する。
そして。
(相手も同じか)
(分からない)
(なら)
(確認すればいい)
結論。
分からないなら、確認する。
それが一番早い。
行動に移す。
次に確認する相手は、一人しかいなかった。




