第三十一話 踏み込んだ先③
警察本部。
夜。
人の気配が少なくなった廊下。
橘は、旧記録保管室の前にいた。
今はほとんど使われていない部屋だ。
照明も最低限しか点いていない。
扉を開ける。
空気が少し重い。
棚には、古いファイルが並んでいる。
電子化される前の記録。
現在の業務では、まず使われないものばかりだった。
ここまで来るのに、少し手間がかかった。
東條の名前を出しても、表の経歴しか出てこない。
そこで、昔から付き合いのある人間に何人か当たった。
異動した先輩。
古い事件を知っている人間。
非公開案件を扱った部署にいた人間。
それでも、ほとんど何も出てこなかった。
最後に一人だけ。
『旧記録保管室の奥を当たってみろ』
そう言われた。
橘はそこで、ようやく古いファイルを見つけた。
電子化されていない記録。
表には出ていないもの。
意図的に残されているのか。
あるいは。
消しきれなかったものなのか。
(……東條)
正規の経歴は、やはり綺麗だ。
傷がない。
だからこそ、不自然。
橘はページをめくる。
別のファイル。
訓練記録。
通常の警察学校のものではない。
外部協力者。
非公開案件。
名前は伏せられている。
だが。
内容が、異様だった。
「対象識別能力 良好」
「環境適応 良好」
「指示理解 迅速」
「逸脱行動 認められず」
「観察継続」
橘の手が止まる。
(……なんだこれ)
訓練というより。
観察記録に近い。
人間を育てている、というより。
“どう使えるかを見ている”ように見える。
ページをめくる。
別の記録。
時期が重なる。
十数年前。
児童施設の記録と。
橘の視線が細くなる。
線が見え始める。
(児童施設から引き取って)
(そのまま……)
(何をした)
名前はない。
だが。
タイミング。
内容。
一致しすぎている。
さらに読み進める。
一枚のメモ。
簡素な文章。
だが。
書いた人間の意図がはっきりしている。
「共感ではなく理解による行動選択が可能」
「対象との距離調整 適切」
「感情による判断の偏り 少」
最後の一行。
「継続的な観察の価値あり」
橘はゆっくりと息を吐く。
(……観察、ね)
その言葉が残る。
人間を、人間として見ていない。
少なくとも。
普通は、そんな書き方をしない。
視線を落とす。
資料の端。
小さく書かれた名前。
——東條。
橘は目を閉じる。
一瞬だけ。
整理する。
(……東條)
施設。
管理者。
この記録。
全部、繋がってる。
でも。
何のために。
そこだけが見えない。
スマホを取り出す。
一度だけ迷う。
だが。
止まらない。
短く打つ。
『施設の件、多分当たりだ』
続ける。
『東條と神谷、思ってたより関係が深い』
送信。
画面を見つめる。
しばらくして。
ポケットにしまう。
机の上の資料に、もう一度視線を落とす。
(……あいつ)
思い浮かぶのは、いつもの顔。
何も知らないような顔で。
全部見ている目。
橘は小さく息を吐く。
「……めんどくせえのに関わったな」
軽く吐き捨てる。
でも。
視線は、資料から離れない。
逸らさない。
(……七沢、知ったらどう思う)
小さく、心の中でだけ呟く。
もう。
戻れないところまで来ていた。




