第二十六話 僅かなズレと大きな変化②
警察本部ロビー。
人の出入りが多い時間帯。
ありすは、書類を片手に歩いていた。
足は止めない。
でも。
意識のどこかが、ずっと引っかかっている。
(……今日もか)
最近、見ていない。
それだけのこと。
それだけのはずなのに。
どこか、噛み合わない感覚が残る。
(……前は)
考えかけて、やめる。
そのとき。
「ありす」
横から声。
心臓が、跳ねる。
反射で振り向く。
千翠。
何事もなかったみたいに、そこにいる。
「……何でここにいるの」
少しだけ強くなる声。
「呼ばれたから」
いつも通り。
変わらない返答。
「……最近、現場来ないね」
気づけば、口に出ている。
自分でも、少し遅れて気づく。
千翠は、少しだけ考える。
「そうだね」
ほんの少しだけ。
返事が遅れる。
その間に。
千翠の視線がありすへ向く。
「最近、行ってない」
静かに言う。
(……それだけ?)
引っかかる。
でも、言葉にならない。
「……別件で来てるの?」
理由を埋めるみたいに聞く。
「いや」
短い。
そこで、会話が切れる。
ありすは何か言おうとする。
でも。
何を聞けばいいのか、分からない。
千翠はそれを見ている。
ほんの少しだけ、目を細める。
「呼ばれてるから、またあとでね」
軽い。
いつもと同じ。
でも。
(……もう終わり?)
一瞬、よぎる。
言えない。
言葉にならないまま。
千翠はそのまま離れていく。
人混みに紛れて、見えなくなる。
ありすは、その場に立ったまま。
(……何これ)
胸の奥に、何かが残る。
でも、何かは分からない。
ただ一つ。
(……物足りない)
理由も分からないまま。
それだけが残る。
⸻
本部の一室。
ドアが閉まる。
向かい合う二人。
男と千翠。
「最近、特定個体への接触頻度が増えている」
「現場行動に偏りが出ている」
淡々と。
だが、逃がさない言い方。
千翠は黙って聞いている。
「それは仕事か?」
一拍。
「仕事じゃないです」
即答。
迷いがない。
「でも問題もないです」
同じ温度で続ける。
男の視線が、わずかに変わる。
「問題の有無を判断するのは、お前ではない」
短い。
だが、線を引く声。
沈黙。
「当面、捜査一課への派遣は見送る」
決定。
理由の説明はない。
それで十分。
千翠は頷く。
受け入れているわけでも、拒んでいるわけでもない。
「以上だ」
それで終わり。
千翠は部屋を出る。
⸻
廊下。
数歩、進んだところで。
「……神谷?」
橘の声。
千翠は視線だけ向ける。
「久しぶりだな」
「そうだね」
温度は変わらない。
橘は一瞬、言葉を選ぶ。
視線が、千翠の背後へ向く。
さっき閉まったドア。
――刑事部長室。
(……なんでそこから出てくる)
違和感が、はっきり形を持つ。
「……お前、最近見ねえな」
あえて崩さない。
「呼ばれてないから」
淡々。
「七沢とも会ってないのか」
「さっきロビーで会ったよ」
橘の思考が止まる。
(……さっき?)
それよりも。
(こいつの立ち位置、なんだ?)
ただの外部じゃない。
でも、内部でもない。
その曖昧さが、妙に引っかかる。
視線を戻す。
「なんで刑事部長室から出てくる」
「刑事部長に呼ばれた」
「……知り合いなのか?」
一拍。
「うん」
「俺の“管理者”」
さらっと。
橘が固まる。
「……は?」
(“管理者”……?)
理解が追いつかない。
千翠はそれ以上説明しない。
「それじゃあまたね」
そのまま去る。
橘だけが残る。
静かな廊下で。
(……なんなんだよ、あいつ)
“管理者”
その言葉だけが頭に残る。
ただ。
(普通じゃねぇ)
初めて。
はっきりそう思った。




