第二十三話 約束
静かな夜。
帰宅した橘は、ソファに深く腰を下ろした。
何もする気になれない。
目を閉じる。
浮かぶのは、今日の現場。
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ありす。
千翠。
二人の距離。
あの視線。
あの空気。
そして。
ありすの表情。
酷く動揺していた。
小さく息を吐く。
(……そりゃそうだよな)
分かっている。
急かしすぎた。
困らせた。
逃げ場までなくした。
全部、自分だ。
それでも。
(見てるだけじゃ、もう無理だった)
その瞬間。
ふと、昔のことを思い出す。
⸻
小学生。
教室。
昼休み。
ありすは、机に肘をつきながらテレビの話をしていた。
「刑事ってかっこいいよね」
目を輝かせながら笑う。
「私、刑事になりたい」
その言葉を聞いて。
橘は迷わず言った。
「じゃあ俺も」
「え?」
「ありすがなるなら、俺もなる」
ありすが笑う。
「何それ、智哉も?」
「めっちゃいいじゃん!」
それだけだった。
でも。
卒業アルバム。
将来の夢の欄。
二人とも同じことを書いた。
『刑事』
理由なんて、ひとつしかなかった。
ありすと同じ未来にいたかった。
⸻
中学になっても。
高校になっても。
ありすは変わらなかった。
刑事になる。
その夢だけは、一度も諦めなかった。
ただ。
気づけば。
「ありす」は「七沢」になっていた。
呼び方は変わった。
でも。
気持ちだけは、一度も変わらなかった。
その頃には、二人とも知っていた。
刑事という仕事は、危険だということを。
⸻
ある帰り道。
ありすがぽつりと言った。
「刑事って、結構危険な仕事なんだね」
少しだけ笑っていた。
でも。
どこか不安そうだった。
橘は迷わなかった。
「じゃあ俺もなる」
ありすが笑う。
「またそれ?」
「うん」
一拍。
「俺が七沢を守る」
その言葉に。
ありすは少しだけ目を丸くして。
すぐ笑った。
「じゃあ私はあんたを守るよ」
その笑顔が。
嬉しかった。
十分だった。
それだけで。
⸻
ありすは昔から強かった。
泣かない。
人前では。
でも。
理不尽なこと。
悔しいこと。
本当に傷ついた日は。
誰もいない校舎裏で、一人で泣いていた。
誰にも見つからないように。
橘は声をかけなかった。
慰めもしなかった。
ただ。
コンビニで急いで買ってきたティッシュ箱を。
そっと置いて帰る。
翌日。
ありすは何も言わない。
でも。
机の上に、小さなお菓子が置かれていた。
それが、二人の「ありがとう」だった。
⸻
気づけば。
二十年以上。
ずっと隣にいた。
好きだと言わなくても。
守ると言わなくても。
それで十分だと思っていた。
(……でも)
目を開ける。
静かな部屋。
(見守ってるだけじゃ)
(一番近い場所は守れない)
千翠の姿が浮かぶ。
ありすが困っていた顔も。
全部。
浮かぶ。
(遅かったんだろうな)
苦く笑う。
「……約束は守ったんだけどな」
小さく呟く。
刑事にはなった。
同じ場所で働いている。
子どもの頃の夢は、叶えた。
それなのに。
一番守りたかったものだけが。
少しずつ、自分の手から離れていく気がした。




