第二十話 崩れ始めた①
現場。
規制線の外。
パトカーの赤色灯が、ゆっくり回っている。
ありすは、メモを取りながら話を聞く。
「その時、誰か他に見てませんか」
淡々と。
仕事に集中する。
それだけでいい。
(考えない)
そう決めたから。
⸻
一方で。
少し離れた位置。
橘がその様子を見ている。
(……避けられてるな)
視線が合わない。
距離も取られてる。
分かりやすい。
小さく息を吐く。
(まぁ、そうなるよな)
昨日の自分を思い出す。
『俺を見ろよ』
(そりゃ引くか)
苦く笑う。
でも。
(……あれくらい言わねぇと)
視線を少しだけ細める。
(七沢には、届かないだろ)
分かってる。
だからやった。
後悔は、していない。
ただ。
距離は、できた。
それだけ。
それでも。
(逃げんなよ)
心の中でだけ、そう思う。
口には出さない。
今は、まだ。
⸻
「七沢警部」
部下の刑事が声をかける。
「こっち、もう一回見てもらえますか」
ありすが頷く。
そのまま移動する。
橘の方は見ない。
意識的に。
(……見ない)
自分に言い聞かせる。
足を進める。
その時。
「やっと来た」
聞き慣れた声。
ありすの足が、一瞬止まる。
振り返る。
千翠。
いつも通りの顔。
いつも通りの距離感。
変わらない。
何も。
(……なんで今)
タイミングが、悪い。
「遅かったね」
「別に」
短く返す。
距離を取るように、少しだけ横にずれる。
その動きを。
千翠は見ている。
一歩、近づく。
「今日、一人だね」
「……そうだけど」
「じゃあちょうどいい」
「何が」
「確認できる」
淡々と。
ありすが眉を寄せる。
「……は?」
その空気を。
少し離れた位置から、橘が見る。
一瞬で分かる。
(来たか)
空気が変わる。
ありすの視線が、揺れる。
さっきまでとは違う。
明らかに。
橘は小さく息を吐く。
(……分かりやすいな)
苦く笑う。
でも。
目は逸らさない。
じっと見る。
(ちゃんと考えろよ)
心の中でだけ、そう思う。
⸻
規制線の内側。
ありすは、現場の地面にしゃがみ込む。
「ここ、タイヤ痕残ってる」
指で示す。
意識は、仕事に向ける。
そうしないと、持たない。
「うん、見える」
すぐ後ろから声。
近い。
(……近い)
分かってるのに、言わない。
「幅的にさっきの車両で合う」
「そうだね」
一歩。
さらに距離が詰まる。
肩が、触れそうな位置。
ありすの手が一瞬止まる。
「……離れて」
小さく言う。
「なんで?」
即答。
悪気がない。
「近いから」
「この前も言ってたね」
淡々と。
視線が、ありすの手元から動かない。
「でも」
一拍。
「やっぱり違う」
「……何が」
思わず聞く。
千翠が少しだけ顔を傾ける。
一歩、詰める。
ありすが息を止める。
「近づくと」
視線が上がる。
ぶつかる。
「落ち着かない」
「……は?」
意味が分からない。
でも。
分かりたくない。
「この前、確認した」
「……何を」
「他の人ではならなかった」
一拍。
あっさり言う。
ありすの思考が一瞬止まる。
「ありすだけ違う」
一歩。
完全に、距離がない。
逃げ場がない。
「ありすの近くにいると」
少し考えて。
「いつも通りにいかない」
まっすぐ。
逃げない視線。
ありすの呼吸が乱れる。
(……何それ)
「……意味わかんない」
やっと出た言葉。
「俺も」
即答。
一拍。
「でも」
ほんの少しだけ、声が落ちる。
「離れる理由が見つからない」
空気が止まる。
音が消える。
ありすの心臓が強く跳ねる。
さっきより。
ずっと強く。
「……何それ」
同じ言葉しか出ない。
処理できない。
千翠は少しだけ考える。
「たぶん」
一拍。
「ありすが原因」
「は?」
「だから」
そのまま。
「もう少し見ておきたい」
真顔で言う。
ありすは完全に言葉を失う。
その距離のまま。
動けない。
⸻
少し離れた場所で。
橘が、その光景を見ている。
無言。
でも。
拳に力が入る。
(気づいてねぇのかよ)
理解する。
あれは。
無自覚でも。
完全に踏み込んでる。
(あいつ……)
視線が鋭くなる。
でも、動かない。
まだ。
様子を見る。
その代わり。
目を逸らさない。
三人の距離が。
決定的に、変わり始めていた。




