表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/33

第二話 その違和感は消えない②

 規制線の内側。


 室内は、妙に静かだった。



(……静かすぎる)



 誰かが住んでいた部屋。


 そのはずなのに。


 なぜか、人の匂いがしない。


 物が、少ないわけじゃない。


 ただ——乱れていない。


 机に近づく。


 書類は角まで揃えられている。


 ペンが一本。


 メモの横に、まっすぐ。


 ——右側に。


 指が止まる。



(……右)



「被害者、左利きだよね」



 後ろにいた部下が頷く。



「はい」


「……」



 視線を落とす。



(左で書いて)


(右に置く?)



 やろうと思えばできる。


 でも。



(わざわざ?)



 違和感が、残る。



「綺麗だね、それ」



 横から、軽い声。



「遺書」



 視線を上げる。


 神谷千翠。



「最後に書いたにしては、迷いがない」


「……」


「普通、もう少し崩れると思うけど」



 それだけ言って、視線を外す。



(……迷い)



 その言葉が残る。


 ベッドに目を向ける。


 シーツに皺はない。


 人が座った跡すらない。


 枕は中央。


 毛布は折り目に沿って揃えられている。


 スマートフォンはベッドの中央。


 画面を上にして。


 ベッドの縫い目と平行に。


 テレビのリモコン。


 エアコンのリモコン。


 テーブルの端に並んでいる。


 角度まで揃えて。



(……綺麗すぎる)



 床。


 何も落ちていない。


 ゴミ箱も、底が見えるくらいほとんど空。


 窓際。


 カーテン。


 左右、同じ幅で開いている。


 まるで定規で測ったみたいに。



(……ここまで揃える?)



 飛び降りる直前に。



(他にやることあるでしょ)



 思考が、少しずつ形になる。


 ベランダに出る。


 ベランダに似つかわしくないヒール。


 左右ぴったり。


 ベランダの縁と平行に。



「……揃えてる」



 小さく、呟く。



(落ちる前に)


(こんなに綺麗に揃える?)



 遺書。


 ペン。


 スマホ。


 カーテン。


 靴。


 全部が、同じ方向を向いている。



(……違う)



 胸の奥で、何かが噛み合う。


 室内に戻る。


 もう一度、全体を見る。



(綺麗なんじゃない)


(片付いてるんじゃない)


(誰かが——)


(整えてる)



 その瞬間、線が繋がる。



「……おかしくない?」



 振り返る。


 橘がこちらを見る。



「何が」


「全部」



 視線を上げる。



「綺麗すぎる」



 遺書も。


 靴も。


 カーテンも。



「自殺にしては、“整いすぎてる”」



 言葉にした瞬間、確信に変わる。



「……これ、違う」



 一歩、前に出る。



「誰かに“そう見えるように”させられてる」


「——自殺じゃない可能性ある」



 静かに、言い切る。


 空気が変わる。



「他殺の可能性、洗い直して」



 声が落ちる。


 でも迷いはない。



「鑑識、再チェック。遺書の筆圧と筆跡、精査して」


「了解!」



 現場が動き出す。


 その中心に、ありすがいる。





 ――少しだけ、静かになる。



「ちゃんと選べるんだね」



 すぐ近く。


 振り向くより先に、距離が詰まる。



「何の話ですか」


「今の判断」



 低い声。



「自殺って決めつけなかった」


「……それが仕事なので」


「うん」



 千翠は軽く頷く。



「いい判断だったと思う」



 少しだけ間。



「……人って、強い感情が動くと反応が分かりやすくなるんだよね」


「……は?」


「驚いた時とか、怒った時とか」



 視線が合う。


 まっすぐ。


 観察するみたいに。



「だから――」



 一歩、近付く。



「ちょっと」


「動かないで」



 次の瞬間。


 視界が近づく。


 何かを考えるより先に、柔らかい感触が触れた。


 近い。


 近すぎる。


 唇。


 ——唇?


 一瞬、思考が止まる。


 数秒遅れて、現実が追いつく。


 目の前にあるのは、神谷千翠の顔だった。


 近い。


 近すぎる。


 何が起きたのか理解するより先に、距離が離れる。



「……っ」



 息がわずかに乱れる。


 一歩、下がる。


 遅れて、言葉になる。



「……は?」



 やっと出た声。


 千翠は少しだけ首を傾げる。



「試してみた」


「……は?」


「やっぱり、ちゃんと反応するんだね」



(……なんだコイツ)



「……職務妨害なんですけど」



 咄嗟に平静を装う。


 声は、いつも通り。


 でも。



「……っていうか、意味わかんないんですけど」



 少しだけ遅れて言葉が出る。


 視線が合う。


 千翠は、ただ興味深そうにこちらを見ていた。



「……やっぱり、面白いね」



(……何なの、この人)



 理解できない。


 したくもない。


 だから。



(……キスじゃない)



 ただ、触れただけ。


 それ以上の意味は、ない。


 無意識に、唇を手の甲で拭った。





 千翠は、その様子を眺める。


 唇を拭った。


 怒っている。


 困惑している。


 でも。


 拒絶ではない。


 予測と一致しない。



「……珍しい」



 小さく呟く。



「また分からないものが増えた」



 それが何なのか。


 まだ、この時の千翠は知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ