第十六話 本気の重さ③
内勤。
捜査一課のデスク。
キーボードの音が規則的に響いている。
「七沢」
橘が声をかける。
「なに」
「それ、俺やる」
ありすが手を止める。
「……え、いいよ」
「いいから」
もうファイルを引き取っている。
「ちょっと溜まってるだろ」
ありすは少しだけ眉を寄せる。
「……別に平気」
「平気そうに見えない」
間。
ありすが小さく息を吐く。
「……ありがと」
橘は軽く頷くだけ。
(こういうのは、今までもやってきた)
でも。
(それだけじゃ、足りない)
⸻
仕事終わり。
外は少し冷えている。
並んで歩く。
会話は途切れない。
仕事の話。
どうでもいい雑談。
いつも通り。
——のはずだった。
「七沢」
「なに」
「神谷千翠」
その名前だけで。
ありすの反応が、ほんの少しだけ変わる。
「……あいつが、なに」
「やっぱり、距離近いよな」
「……仕事だから」
「それだけ?」
一瞬。
言葉が止まる。
「……それだけでしょ」
でも、言い切りきれない。
橘はそれを見ている。
(やっぱりな)
橘が少し笑う。
「七沢ってさ」
「昔からそうだよな」
「自分のことになると全然分かんねぇ」
ありすが眉を寄せる。
「……何が言いたいの」
「俺は分かるよ」
「お前があいつ気にしてるの」
「……知らない」
「だろうな」
一拍。
「だから言う」
橘はそこで一瞬言葉を止める。
真剣な顔でありすに向き直る。
「……もう、俺にしとけよ」
ありすの足が止まる。
「……は?」
意味が、すぐに入ってこない。
ありすの思考が、一瞬止まる。
(何それ)
(どういう意味)
「……何の話してんの」
少しだけ強く返す。
橘は一瞬だけ視線を逸らす。
でも、すぐ戻す。
「……分かんねぇか」
低く。
ありすの呼吸が少しだけ乱れる。
「……分かんない」
嘘ではない。
でも。
分かりたくない、も混ざってる。
沈黙。
橘は小さく息を吐く。
「……そっか」
それ以上は追わない。
でも。
一歩、近づく。
「でも」
「俺は」
一拍。
「もう引く気ないから」
静かに言う。
ありすが、言葉を失う。
今までと違う。
明確な意思。
「……急に、何」
やっと絞り出す。
「急じゃねぇよ」
少しだけ笑う。
「ずっとだよ」
軽く言う。
でも。
軽くない。
ありすの心拍が、少しだけ上がる。
(……なんで)
分からない。
でも。
無視できない。
沈黙が落ちる。
「……じゃあな」
橘が背を向ける。
それ以上は何も言わない。
ありすはその場に少し残る。
(……何それ)
千翠の時とは違う。
同じように意味が分からないはずなのに。
(なんで)
胸の奥が、少しだけ落ち着かない。
夜の空気が冷たい。
でも。
それだけじゃない気がした。




