第十五話 本気の重さ②
現場。
規制線の内に、すでに人影があった。
黄色いテープの向こう。
背を向けて立っている。
「……もう来てる」
ありすが小さく声を出す。
(早い)
その視線の先。
神谷千翠。
橘が軽く息を吐く。
(早ぇな)
近づく。
足音に気づいて、千翠が振り返る。
「やっと来た」
軽く言う。
いつも通りの温度。
そのまま、何か続けようとして。
一瞬だけ、止まる。
(……?)
視線が、わずかに揺れる。
ありすと橘。
二人の間。
距離。
立ち方。
空気。
(……位置?)
(違う)
(空気)
言葉にはならない。
でも、引っかかる。
一歩。
無意識に動く。
そのまま自然に。
ありすの隣に立つ。
気づけば。
橘との間に入っていた。
ありすは特に気にしていない。
そのまま前を見ている。
橘だけが、一瞬だけ視線を動かす。
(……は?)
何も言わない。
でも、理解する。
(こいつ)
(わざとか?)
(……いや、違う)
すぐに否定する。
(こいつ、自分が何してるか分かってねぇ)
余計に厄介だと、分かる。
⸻
「状況は?」
ありすが前を見たまま聞く。
「中」
千翠が答える。
短く。
「被害者一人」
「まだ意識あり」
淡々とした報告。
視線は前のまま。
ありすが頷く。
「わかった」
橘が横から口を挟む。
「搬送は?」
「もう呼んでる」
千翠。
会話は普通に成立している。
でも。
位置は変わらない。
千翠はそのまま。
ありすのすぐ隣。
橘は一瞬だけ視線を落とす。
それから。
わずかに、位置をずらす。
ありすを挟んで。
三人が並ぶ形になる。
でも。
距離が、微妙に違う。
千翠は近い。
自然に。
橘は、一歩分だけ空ける。
意図的に。
(……やりにくいな)
小さく思う。
「七沢」
橘が呼ぶ。
「なに」
視線は前のまま。
「こっちから入るぞ」
そう言って。
わずかに位置を変えさせようとする。
「うん」
ありすが動こうとする。
その瞬間。
「こっちの方が早い」
千翠が先に言う。
自然な声。
ありすは一瞬だけ考える。
「……たしかに」
納得する。
そのまま。
千翠の示した方向に進む。
結果的に。
千翠の隣のまま。
橘は一歩遅れる。
(……はぁ)
小さく息を吐く。
(意図してねぇのに)
(全部持ってくなよ)
視線を上げる。
前を歩く二人。
距離が近い。
自然に。
(……面倒くせぇな)
小さく呟く。
誰にも聞こえないくらいの声で。
そのまま、後を追う。
現場の空気が、少しだけ張り詰める。
⸻
現場の処理は、予定よりも少し早く終わった。
大きな問題もなく。
静かに、片付いていく。
⸻
規制線の外。
人が少しずつ引いていく。
夜の空気が混じってくる。
「お疲れ」
橘が声をかける。
「お疲れ」
ありすが短く返す。
そのまま、隣に並ぶ。
いつも通りの距離。
少し遅れて。
もう一つの足音。
「終わったね」
千翠。
軽い声。
自然に。
ありすの隣に立つ。
一瞬だけ。
橘の視線が動く。
(……またか)
何も言わない。
そのまま前を見る。
「さっきの、途中で切り替えたでしょ」
千翠が言う。
「……何が」
ありすが眉を寄せる。
「見方」
一拍。
「最初と、途中で違った」
ありすは一瞬だけ止まる。
思い返す。
「……あぁ」
小さく息を吐く。
「まあ、そうかも」
曖昧に返す。
「うん」
一拍。
「やっぱり、ちゃんと繋げるよね」
さらっと言う。
ありすは少しだけ眉を寄せる。
「……なにそれ」
沈黙。
橘が軽く息を吐く。
「七沢」
「なに」
「報告、俺まとめとく」
一瞬だけ、間。
ありすは目を瞬かせる。
「……いいの?」
「いいよ」
短く返す。
ありすは少しだけ考えて。
「じゃあお願い」
素直に任せる。
橘は軽く頷く。
(こういうのは、俺の役割だろ)
千翠は何も言わない。
ただ、そのやり取りを静かに見ていた。
「じゃあ俺、戻るね」
千翠が言う。
「はいはい」
ありすが頷く。
そのまま背を向ける。
数歩、歩く。
ふと。
足が止まる。
振り返る。
「ありす」
「なに」
「この前の」
一拍。
「まだ終わってない」
「……何が」
「確認の続き。今……」
千翠の言葉が止まる。
橘が隣にいる。
視線が一瞬だけ止まる。
(……違う)
(今じゃない)
理由は分からない。
でも。
ここで続ける話ではない気がした。
「……何」
「……なんでもない」
一拍。
「また今度」
軽く言う。
そのまま、今度こそ離れていく。
残された空気。
「……なんなの、あいつ」
ありすが小さく呟く。
橘は少しだけ笑う。
「分かんねぇな」
短く返す。
でも。
視線は、少しだけ鋭い。
(何の話してんだよ、お前ら)
夜は静かに戻る。
何も起きていないみたいに。
でも。
さっきまでと、同じではなかった。




