第十二話 観測誤差②
夜。
現場の処理は一通り終わっていた。
規制線の向こう。
人もまばらになる。
空気だけが、少しだけ残っている。
ありすは一人、外に出る。
少しだけ、頭を冷やしたかった。
(……さっきの)
一瞬、よぎる。
振り払う。
(考えなくていい)
足音。
後ろ。
振り向く。
「ありす」
千翠。
「なに」
距離は、いつも通り。
「確認したいことがある」
「何を」
千翠は少し考える。
「さっき」
「橘が、ありすに触れたとき」
一拍。
「説明できない違和感が残った」
一瞬、意味が入ってこない。
「……は?」
「バイク避けたとき」
視線が揺れる。
「……何言ってるの」
「説明できない」
「だから」
「俺が近づいたらどうなるか確認したい」
ありすは数秒、言葉を失う。
「……は?」
淡々と。
本当に確認したいだけ。
ありすは小さく息を吐く。
「……意味分かんない」
「俺も分からない」
だから。
確認する。
千翠は一歩近づく。
ありすは反射的に身構える。
でも。
逃げない。
もう一歩。
距離が縮まる。
その瞬間。
(……違う)
さっきとは違う。
胸の奥に残っていた引っ掛かりがない。
代わりに。
静かだった。
(落ち着く)
理由はない。
説明もできない。
でも。
距離が近づくほど、その感覚ははっきりする。
同時に。
心拍だけが少し速くなる。
(……なんで)
安心している。
それなのに。
身体だけが違う反応をする。
分類できない。
千翠はそのままありすを見る。
呼吸が浅い。
肩が少しだけ固い。
おそらく心拍が上がっている。
それでも。
離れない。
拒絶もしない。
視線だけが揺れている。
(……俺だけじゃない)
一歩だけ、距離を保ったまま止まる。
「……やっぱり」
小さく呟く。
「……何が」
ありすがようやく聞き返す。
千翠は少し考える。
「橘のときと違う」
一拍。
「橘のときは、違和感があった」
「でも」
静かに続ける。
「今はむしろ」
ほんの少しだけ首を傾ける。
「落ち着く」
ありすは何も言えない。
千翠はさらにありすを見る。
「ありすも」
一拍。
「心拍は上がってる」
「でも、離れようとしない」
ありすの呼吸が止まる。
千翠は少しだけ目を細めた。
「何が違う?」
答えを求めるような声ではない。
本当に分からない。
だから聞いているだけ。
ありすは何も返せない。
沈黙だけが続く。
千翠は数秒待って、小さく息を吐いた。
「……まだ足りない」
独り言みたいに言う。
「また考える」
それだけ残して背を向ける。
「じゃあ、またね」
足音が遠ざかる。
ありすはその場に残る。
動けない。
⸻
一方の千翠は歩きながら考えていた。
(橘のときは違和感)
(俺のときは落ち着く)
(ありすも拒否しなかった)
同じ「近づく」という行動なのに。
結果だけが一致しない。
(……何が違う)
答えは、まだ見つからない。
それでも。
初めて一つだけ分かったことがあった。
(この差には、理由がある)
その確信だけが。
静かに残っていた。




