第26話 挑戦状、そして、コラボ依頼
静寂が、支配していた。
聖告のアリアの部屋は、彼女の精神そのものを映し出すかのように、完璧な秩序と調和に満ちている。
純白の壁紙、ミニマルな家具、そして、塵一つない空間。
だが、その部屋の主の心は、今、静かな嵐に見舞われていた。
PCのモニターには、自身の配信アーカイブが表示されている。
『――皆様には、この世界の半分を差し上げますわ!』
画面の中の自分は、完璧な聖女の微笑みを浮かべている。
しかし、その後に続いたコメント欄の阿鼻叫喚と大混乱を、アリアは唇を噛みしめながら見つめていた。
(なぜ、伝わらなかったのでしょう…)
あれは、魔王フレアの言葉を分析し、自分なりに昇華させた、最大限の愛と信頼の表明だったはず。
なのに、結果は「聖女が世界征服に乗り出した」という、意図とは真逆の解釈。
自分の「正しさ」や「誠実さ」だけでは、人の心を正しく導けない。
その痛烈な事実に、彼女は打ちのめされていた。
(何が、違うというのですか…? 私と、あの魔王とでは…)
答えを求め、彼女は、まるで禁断の書物を開くかのように、魔王フレアのチャンネルページを開いた。
そこに並ぶのは、狂気と混沌に満ちた配信の数々。
高難易度ゲームを「敵との対話だ」と称して常識外れの戦法で攻略し、スパイ映画を観ては「なぜ我に挨拶に来ぬのだ」と悪のボスに説教する。
そのどれもが、彼女の理解と秩序の範疇を、あまりにも軽々と超えていた。
しかし、その破天荒な言動が生み出す熱狂は、本物だ。
人々は、彼女の「混沌」に、間違いなく惹きつけられている。
ふと、数日前のマネージャー(月森栞)の、落ち着き払った声が脳裏をよぎる。
『アリアさん。これ以上、あの低俗な魔王に関わるのはおやめなさい。あなたのブランド価値が毀損します』
正論だ。あまりにも、正しい。
だが、その「正しさ」だけでは、自分の心に生まれた、この正体不明の「渇望」を説明できない。
(このままでは、私は何も変われない…)
アリアは、静かに決意を固めた。
あの人の『混沌』を、この目で見極めなければ。
彼女は、迷いのない手つきでスマートフォンを手に取った。
連絡先に登録されたマネージャー、月森栞の名をタップし、耳に当てる。
自らの決意を告げるために。
「…月森さん。わたくし、魔王フレアさんと、コラボがしたいのです」
◇
セブンスセオリー第二タレント事業部。
部長である月森栞は、アリアからの申し出を、無感情な表情で聞いていた。
電話の向こうで、アリアが必死にコラボの意義を説いている。
「彼女の力と、わたくしの力が合わされば、きっと新しい何かが生まれるはずです。いえ、確かめなければならないのです。わたくしに足りないものを」
栞は、その言葉を、まるで遠い国の言葉のように聞いていた。
しかし、その裏で、冷たい計算が高速で組み立てられていく。
彼女の口元に、ほんの僅か、氷のような笑みが浮かんだ。
「分かりました、アリアさん」
栞は、アリアの熱弁を遮り、ただ結論だけを言い渡すように告げた。
「タレントの自主性を尊重するのも、マネージャーの務めです。事務所として、正式に魔王フレア側へコラボレーションを打診しましょう。企画内容は、こちらで精査します」
「! ほ、本当ですか!?」
「ええ。最高の舞台を、ご用意いたします」
「…はい。ありがとうございます、月森さん!」
電話の向こうで、アリアが心から安堵したような声を出す。
その声を聞きながら、栞は、PCの画面に表示された技術部門からの機密報告書――『カオス&オーダー』に関するレポートに、静かに視線を落としていた。
◇
ボロアパートの一室。
PCのモニターを睨みつけていた忠臣ヴェルゼスの毛が、ぴり、と逆立った。
画面に表示されているのは、大手事務所『セブンスセオリー』からの、コラボ配信の正式なオファーメール。
(事務所からの正式なオファーか。これは、あの聖女個人の暴走ではない、と。ならば、罠である可能性が高い。しかし…。)
参謀としての直感が警鐘を鳴らすと同時に、好機であると告げていた。
彼の背後から、退屈そうな主君の声が響く。
「ベルゼ、何か面白い知らせでもあったのか?」
「はっ! 主よ、聖告のアリア陣営から、興味深い提案がなされました!」
ヴェルゼスは、オファーの内容を、主君が即座に理解できるよう、簡潔に噛み砕いて報告した。
「奴ら、『試練の塔』なるげーむにて、我らと『共同戦線』を張り、塔の最上階を目指したい、と」
「これは表向きの口実。その実、共闘の中で、主と聖女、どちらがより優れた働きを見せるか、その一部始終を民に裁かせたい、と申し出ております」
その報告を聞いたフレアの思考は、ヴェルゼスが張り巡らせた警戒網を軽々と飛び越え、いつものように、彼女だけの真実へと着地した。
「くくく…くはははは! 面白い! 実に面白いではないか!」
フレアは、腹の底から、楽しそうに笑い出した。
「見たかベルゼ! あの聖女め、ついに我慢できなくなったと見える!」
「は?」
ヴェルゼスが、思わず間の抜けた声を漏らす。
「分からぬか? あの聖女は、我と共闘したくてたまらないのだ! だが、聖女としての見栄が邪魔をして、自分から言い出せない」
「そこで、己が所属する組織という『大義名分』を使って、この我に挑戦状を叩きつけてきたというわけよ! なんと健気で、なんと愛らしい執着か!」
フレアは、事務所からの正式なオファーを、『アリアが自分の気持ちを隠すために、事務所をダシに使った』と、完璧に、そして究極にポジティブに誤解した。
「よかろう!」
フレアは、画面の向こうのアリアに向かって、王の慈悲に満ちた(と本人は思っている)声で、高らかに宣言した。
「その挑戦状、そしてその健気な心意気、この魔王フレアが、直々に受け取ってやろう!」
「貴様の魂が、我が隣に立つにふさわしいか、この目で見極めてくれるわ!」
こうして、聖女の決意と、冷徹なマネージャーの企みが乗った挑戦状は、魔王の盛大な勘違いによって、二つ返事で快諾された。
◇
数日後。コラボ配信の日程が正式に発表され、ネット上は今世紀最大級のお祭り騒ぎとなっていた。
『きたああああああああああああ!』
『歴史が動いた』
『神回確定演出』
『俺、この配信見たら死ぬんだ…』
ボロアパートでは、フレアがヴェルゼスに向かって、いつものように意気込んでいる。
「見ておれ、ベルゼ! あの聖女の完璧な化けの皮を剥がし、我が前にひざまずかせてくれるわ! そして、我が慈悲深さをもって、我が軍の客将として迎えてやろう!」
一方、純白の部屋では、アリアが静かに闘志を燃やしていた。
「魔王フレア…あなたの力の源泉、その混沌の深淵を、この目で見極めさせていただきます」
そして、セブンスセオリーのオフィス。
月森栞は、二人のコラボ配信決定のニュースを、光のない瞳で見つめていた。
その表情に、感情の色はない。
彼女は、ただ静かに、デスクの引き出しから一つのUSBメモリを取り出した。
あとは、タイミングを待つだけだった。
ボロアパートの机の上。
ヴェルゼスは、PCのチャットウィンドウを開いていた。
送信先は、我が軍の「目」。
彼は作戦概要書を添付すると、痛む前足で猛然とキーを叩き、監視指示と合言葉を打ち込んで送信した。
それぞれの思惑が、複雑に、そして危険に絡み合う。
民の熱狂、王の勘違い、聖女の決意、参謀の知略、そして、見えざる敵の悪意。
その全てを乗せて、運命のコラボ配信の幕が、今、静かに上がろうとしていた。




