第23話 部屋のほこり、そして、炎帝軒・業火味噌味
魔王軍に、新しい仲間が加わってから数日後。
ボロアパートの一室では、新生魔王軍の初任務が、秘密裏に下されようとしていた。
これは、民に見せるための「劇」ではない。
純粋な、軍議である。
玉座にふんぞり返る魔王フレアは、PCのスピーカーから聞こえる臣下の声に向かって、尊大に言い放つ。
「――“粘着・ウォール”よ! 我が魔王軍の『目』となった貴様に、最初の勅命を下す!」
通話先の相手は、もちろん、あの『最古の僕』こと、†漆黒の考察者†である。
そして、畏まった様子で応答する。
『はっ…! この身、主の御心のままに』
フレアは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「貴様のその『目』をもって、我が好敵手、聖告のアリアの弱みを握ってくるのだ! あの完璧を気取る聖女の化けの皮を剥がす、決定的な醜聞を探し出せ!」
その勅命に、机の隅にいたヴェルゼスは(ふむ、敵情視察か。妥当な命令だ)と頷く。
だが、フレアが真に求めているものは、彼の想像の斜め上をいっていた。
「いいか、奴とて人間。きっと部屋の隅にはホコリが溜まっておるに違いない!」
「絶対に、好き嫌いする野菜があるはずだ!」
「暇な時は、きっと鼻でもほじっておろう!」
彼女が知りたいのは、アリアの戦略や弱点ではなく、非常にスケールの小さい、しょうもない醜聞だったのだ。
彼女は、アリアの完璧なイメージを崩せる「人間らしい欠点」を見つけ出し、次の対決で煽ってやろうと企んでいたのである。
そのあまりに器の小さい目的に、ヴェルゼスは心の中で頭を抱えたが、“粘着・ウォール”は、ただ静かに、そして力強く答えた。
『…御意。3時間ほど、お時間を頂戴いたします』
◇
そして、きっかり3時間後。
フレアの元に、“粘着・ウォール”から、膨大な調査報告書が送られてきた。
フレアがファイルを開くと、そこには、彼女の期待を遥かに、そして少し不気味な方向に超えた、精密すぎる調査結果が記されていた。
『――聖告のアリアに関する第一次報告書――』
『【配信分析】3日前の配信、開始から1時間12分3秒の時点。視聴者コメント『他のVも好き』に対し、彼女の口角の上がりが、平常時より0.2秒遅延。これは、比較対象への無意識の対抗心の表れである可能性が78%』
『【生活環境】配信音声に含まれる微細な反響音を分析。その音響特性から、部屋の広さは約8畳、天井高2.4m、壁の一面が防音性の高いコンクリートであると推定。さらに、反響が僅かに乱れる箇所を特定。これは、壁と家具の間に5cm以上の隙間が存在することを示唆しており、ホコリが溜まりやすい環境、すなわち彼女の完璧主義における唯一の死角と推測』
『【その他】好きな野菜は白アスパラガス。特に北海道産のものを所望との情報アリ。嫌いな野菜は、現時点では確認できず。鼻をほじる行為も、現在までの全配信アーカイブのコマ送り分析の結果、確認されておりません』
その、もはやストーカーの域を完全に超越した、ミリ秒単位の表情分析や、部屋の反響音からホコリの溜まり場を推測する異常な執念。
フレアは、期待していた「ホコリ」や「嫌いな野菜」の情報がなかったことに、一瞬、不満そうな顔を見せた。
「…ふん。つまらん報告よな。結局、奴の欠点は見つけられなかったではないか」
フレアが切り捨てた情報に目を通しながら、ヴェルゼスは内心で呟いた。(いや、こちらの情報の方が遥かに…)
主君の不満を察したのか、通話の向こうの“粘着・ウォール”は、静かにこう付け加えた。
『――主よ。実は、一つ、極めて不可解な点が』
「ほう?」
『聖告のアリアが先日行った配信アーカイブ(60fps)を、全編コマ送りで確認いたしました。彼女が飲み物を取ろうと席を立った際、画面切り替えのミスにより、彼女のプライベートなブラウザ画面が、わずか1フレーム(約0.0167秒)だけ映り込んでいるのを発見いたしました』
画面に、新たな調査結果が表示される。
そこに並んでいたのは、信じがたい履歴の羅列だった。
【履歴】
…
『魔王フレア 人気の理由 分析』
『フレア 失敗談 まとめ』
『Vtuber 炎上しない 境界線』
『フレア 天井のシミ 心理効果』
『フレア カップ麺 メーカー 特定』
…
「………………」
フレアとヴェルゼスは、画面に映し出された履歴を前に、しばし、絶句した。
ボロアパートの静寂を破ったのは、ヴェルゼスの絞り出すような声だった。
「…あの聖女もまた、我が主を…これほどまでに…」
その言葉が、驚愕によるものか、あるいは戦慄によるものか、判断がつかぬまま、彼は言葉を失う。
隣でその様子を見ていたフレアは、臣下の動揺の理由を、全く別の意味で解釈していた。
彼女は、数秒の沈黙の後、腹の底から、実に楽しそうに、こう笑い出したのだ。
「――ふはは! ふははははははははは!!」
「面白い! 実に面白い女ではないか、聖告のアリア!」
彼女は、アリアの行動を「敵対的な調査」とは捉えなかった。
その思考回路は、いつものように、究極のポジティブ(勘違い)へと変換される。
「見ろ、ベルゼ! あの聖女め、我が気になって、気になって、仕方がないのだ!」
「我が軌跡の全てを、愛おしい記憶として、その魂に刻み込もうとしておる! なんと健気で、なんと愛らしい執着か!」
フレアは、これを自分への強すぎる好意の表れだと、完璧に誤解した。
「よかろう! 次に会った時は、特別に、我が天井のシミの歴史について、直々に語ってやろうではないか! 奴も、さぞ喜ぶであろう!」
その、あまりにもズレた慈悲に、ヴェルゼスはもはやツッコむ気力もなかった。




