第八話:崩れぬ虚構と、残響の針
圧倒的な『呪性』の奔流が、白銀の噴水広場を呑み込んでいた。
「ひぃっ……!? な、何者だ貴様は……!? 我が都市の魔導兵器が……吸魔の障壁が通じぬだと……!?」
黄金の贅を尽くした魔法衣を震わせ、都市長は尻餅をついたまま激しく後退った。 彼が召喚した無数の最新鋭魔導兵器群は、ルーヴェンが放った黒い古代文字の波動に触れた瞬間、動力を乱されて火花を散らし、ただの鉄くずとなって崩れ落ちていた。
反乱軍の男たちも、エレナも、息を呑んでその光景を見つめている。 青白く痩せこけた外套の青年がただ一歩を踏み出すごとに、空中都市アーベルが誇る誇大妄想的な威容が、メキメキと音を立てて足元から瓦解していくかのようだった。
「ひ……拒絶、されている……? 腕輪が……命を吸い上げられない……!?」
都市長の右腕に嵌められた『タンタロスの腕輪』が、悲鳴のような高周波の金属音を響かせていた。 無制限に周囲から生命力と水分を掠め取るはずの呪いが、ルーヴェンという「死も老いも拒絶する絶対の器」に触れたことで、過負荷を起こしていたのだ。
「二千年の生を生きる俺の肉体はな……神の奇跡だろうと、悪魔の呪いだろうと、受け入れることも奪われることも拒む『閉じた世界』だ」
ルーヴェンは静かに都市長の前へと歩み寄った。 その瞳に宿るのは、激怒でも正義感でもない。ただただ底知れない『無』であった。
「他者の命と水分を吸い上げなければ保てぬ繁栄か。……儚いお遊びは終わりだ」
「や、やめろ! 腕輪を壊せば、この都市は……地上から命を吸い上げられなくなれば、我らの楽園が……!!」
「そうだ。だから壊す」
ルーヴェンは容赦なく都市長の腕を掴み上げると、右手に濃密な黒い呪力を集束させた。
「——『神鎖壊壊』」
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
ルーヴェンの掌から放たれた黒い雷光が、黄金の腕輪へと巻きつく。 『タンタロスの腕輪』は狂ったように漆黒と黄金の光を放って抵抗したが、二千年の時を経て練り上げられた神殺しの呪法には抗えない。表面に無数の亀裂が走り、やがて内側から溢れ出した光とともに、激しい音を立てて砕け散った。
パリーンッ!!
眩い粒子の塵となって風に溶けていく聖遺物。 その瞬間、都市全体を覆っていた禍々しい吸魔の波動が、潮が引くように霧散していった。
「ああ……あああ……我が腕輪が……我が楽園の源が……ッ!」
都市長は頭を抱えて石畳に突っ伏し、おいおいと泣き叫んだ。
エレナは深く息を吐き出し、胸を撫で下ろした。
「やりましたわ、ルーヴェン! これで地上から水や命が奪われることはなくなりますわね!」
「……ああ」
ルーヴェンは素気無く頷き、いつものように胸を押さえて「ゴホッ、ゴホッ!」と痛々しく咳き込んで見せた。
だが——。
聖遺物が破壊されて数分が経過しても、都市を揺るがすはずの事態が起こらなかった。
空中都市アーベルは、地上の命を吸い上げることでその巨体を空に浮かべ、無数の魔導施設や人工の滝を稼働させていたはずだ。腕輪が壊れれば、都市は急速に動力を失い、墜落するか、あるいは魔導障壁が消滅して機能を停止するはずであった。
しかし。
轟轟と流れ続ける壮大な噴水。 頭上に輝く幾何学模様の魔導障壁。 都市全体を包む煌びやかな明かりは、衰えるどころか、何事もなかったかのように安定した出力を保ち続けていた。
「……? どういうことですの……?」
エレナが首を傾げた。
「聖遺物は壊れたはずですわよね? なぜ……なぜ都市の動力が止まらないのですか?」
反乱軍のリーダーも困惑気味に周囲を見回す。
「おいおい、冗談だろ……!? 腕輪がなくなったんだぞ! なんでこの街は空に浮いたままなんだ!?」
地上から吸い上げていたはずの命の供給源——『タンタロスの腕輪』は、間違いなく消滅した。 それにもかかわらず、都市を動かす膨大な「エネルギー」は、どこからか絶え間なく供給され続けているのだ。
ルーヴェンの表情から、病弱な演技の色が消えた。 彼は黒い瞳を険しく光らせ、都市の中心にそびえ立つ全高数百メートルの巨大な白銀の塔——『天導主塔』を見上げた。
「……おかしいな」
ルーヴェンが低く呟く。
「『タンタロスの腕輪』は確かにこの都市の繁栄の引き金だった。……だが、あの聖遺物はただの『外部からの汲み上げ器』に過ぎなかったということか」
「どういう意味ですか、ルーヴェン?」
「地上の水分と生命力を枯渇させていた主因は、腕輪だけではない。……あの主塔の地下深くに、別の『何か』が存在している」
ルーヴェンがそう言った瞬間——。
カチリ。
彼の外套の懐で、小さな金属音が響いた。
ルーヴェンが取り出したのは、異世界を渡る唯一の道標であり、聖遺物の存在を感知する古びた金属製の羅針盤——『界の羅針盤』であった。
本来であれば、同一世界に存在する聖遺物が破壊された場合、羅針盤の針は次の世界を示すために大きく回転するか、あるいは静止するはずであった。
しかし。
針は狂ったように数回旋回したあと、不気味な微振動を繰り返しながら、ぴたりと一方向を指し示した。
他世界を示す空間の扉は開かない。 針が力強く、そして微細に震えながら指し示していたのは——目と鼻の先、都市の中心にそびえ立つ『天導主塔』の地下深くであった。
「針が……まだ指している……?」
エレナは息を呑んだ。
「そんな……聖遺物は破壊したはずなのに……! まだ、この世界に……ううん、この都市の目と鼻の先に、別の聖遺物があるというのですか!?」
ルーヴェンは羅針盤の針を静かに見つめた。 その針の震え方は、今までに見たことがないほど小さく、しかし極めて冷徹で、不気味なほどの高密度な存在感を示していた。
「いや……『タンタロスの腕輪』ほどの巨大な反応ではない。……ごく僅かだ」
ルーヴェンの声が氷のように冷たく澄み渡る。
「まるで……本体の残滓か、あるいは『聖遺物の破片(欠片)』のような、微小だが決定的な反応だ。……空中都市の真の動力を支えているのは、腕輪などではなく……主塔の地下に眠る『それ』だ」
『タンタロスの腕輪』はただの囮、あるいは表面上の吸魔器に過ぎなかったのだ。 地上を干上がらせ、空に虚構の楽園を浮かべ続けている真の狂気は、未だこの都市の最深部で静かに脈打っている。
「行くぞ、エレナ」
ルーヴェンは『界の羅針盤』を懐に仕舞い込み、黒檀の横笛を手に取り直した。
「隠された真実を……打ち砕きにな」
病弱な旅人と元聖女の視線が、闇に聳え立つ天導主塔の最深部へと向けられた。




