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聖遺物探索周遊記 ~病弱な語り部と神殺しの呪法。千の世界を渡る壊世の旅~  作者: まーサンタ


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第六話:狂気の帝都と、朱き死の波動

 ヴァルカ皇国の都——『帝都アウレリア』。

 かつては大陸東方の交易の中心地として栄え、美しい石造りの街並みと賑やかな市場が広がっていたというその都市は、いまや異様な熱気と息詰まるような殺気に満ちあふれていた。

 高くそびえ立つ城壁の上には、血のように重々しい漆黒と朱色の軍旗がなびいている。  街を行き交う兵士たちの装備は重厚を極め、その眼光は一様に鋭く濁っていた。通りを歩く一般の市民たちでさえも、どこか感情を失ったかのように伏し目がちで、まるで巨大な軍事要塞の歯車として機械的に動かされているかのようだった。

「……ひどい……。街全体が、まるで生きている心地がしませんわ……」

 旅の行商人風の衣裳に身を包んだエレナは、胸元に手を当てながら低く呟いた。  歩道を行き交う人々から発せられるのは、生気ではなく、底知れぬ圧迫感と狂気の一歩手前にある緊張感であった。

 その隣を、使い古された泥色の外套を纏ったルーヴェンが、浅い呼吸とともに痛々しく歩いている。

「ゴホッ、ゴホッ! ……当然だ。街の至る所に『アスラの独鈷』から放たれた狂気の波動が満ちている。長期間この都に留まっている者たちは、精神をじわじわと侵され、戦意と支配欲以外の感情を削ぎ落とされているのだからな」

 ルーヴェンは咳き込むフリをしながら、外套の隙間から街の空気を観察していた。  常人には見えないが、二千年の歳月を生き抜いてきた彼の『呪眼』には、帝都全体を覆う禍々しい朱色の霧が見えていた。それは、城塞の頂にある玉座の間から溢れ出し、人々の精神を蝕み続ける『戦神の毒気』であった。

「ルーヴェン……あそこに集まっている人たちは……?」

 エレナが指さした先は、帝都の大広場であった。 そこでは、まだ十代半ばに見える幼い少年たちから、白髪の混じった中年男性まで、数百人もの人々が整列させられていた。その周囲を、鋭い槍を持った重装歩兵たちが取り囲んでいる。

「新兵の徴集だ。……いや、徴集というよりは『狂戦士(バーサーカー)』の素体集めだな」

 ルーヴェンが冷ややかに呟く。

 広場の中央には、金で飾られた豪奢な演壇が置かれていた。 そこに立っていたのは、身の丈ふたメーターを超える巨漢の将軍であった。漆黒の甲冑に身を包み、その目には正気とは思えぬ赤黒い光が宿っている。

「皇国の民よ! 喜ぶが良い!」 将軍の怒号のような声が広場に響き渡る。

「偉大なる皇帝陛下のもと、我が皇国は全土を平定する聖戦の途上にある! 汝らの血と肉は、皇帝陛下の賜物たる『絶対の武具』によって神聖なる戦士へと生まれ変わるのだ! 恐れを捨てよ! 死を讃えよ! 我らの剣の前にひれ伏さぬ愚者どもを滅ぼし尽くせ!!」

「おおおおおッ!!」

将軍の演説に応じるように、集められた志願兵(あるいは無理やり連れてこられた者たち)から、地鳴りのような叫びが上がった。 彼らの瞳は一瞬にして血走り、先ほどまでの不安や怯えの表情は影を潜め、獣のような凶暴な歓喜へと書き換えられていく。

広場の空気に満ちた朱色の霧が、演説とともに濃さを増したのだ。

「……あんなの、狂っていますわ!」 エレナが悲鳴に近い声を殺して叫ぶ。

「恐怖を消され、戦う人形に変えられているだけではありませんか! あれが……聖遺物の力なのですか!?」

「そうだ」 ルーヴェンは静かに歩みを進めながら言った。

「『アスラの独鈷』は、所持者だけでなく、その意志に従う者たちの脳と魂に『闘争の呪い』を伝染させる。兵士たちは苦痛も死の恐怖も感じなくなり、命が尽きるまで戦い続ける無敵の軍隊となる。……だが、戦いが終われば、残るのは壊れた廃人だけだ」

ルーヴェンの言葉の通り、将軍の傍らには、前線の戦いから戻ってきたと思われる兵士たちが力なく座り込んでいた。彼らの肌は土色に乾ききり、まるで全身の生命力を吸い尽くされたかのように骸骨のように痩せ細っている。

奇跡という名の残酷な毒。 エレナは胸元に隠した『パナケイアの雫』を強く握りしめた。自分のペンダントも一歩間違えれば、このような悲劇を生み出していたかもしれないのだ。

「……ルーヴェン。どうやって城の中に潜入しますの? 皇城の警備は完璧に見えますけれど……」

「正面突破などするわけがないだろう。……俺たちは『語り部』だ」

ルーヴェンは薄く唇を歪めると、路地裏の影へとエレナを誘導した。

「狂気に憑かれた人間ほど、自分の『正当性』や『偉業』を誇示たがる。……特に、あの将軍のような男はな。今夜、城下で開催される出陣の祝宴に、芸人として潜り込む」

「祝宴……? 私たちが、あんな恐ろしい場所へ?」

「安心しろ、修道女。俺の『誘引の呪言』と、お前の『健気な妹』の演技があれば、門番など造作もなく騙せる。……狙うは、皇帝の玉座だ」

◆

その夜。 帝都の夜空は、不気味なまでに赤い月によって照らされていた。

皇城の大広間では、翌日に迫った新軍の出陣を祝う豪奢な祝宴が開かれていた。 長テーブルには肉と酒が山と積まれ、酔い痴れた将校たちが杯を交わし、狂気混じりの笑い声を上げている。その中央、段上に設置された絢爛豪華な玉座に、一人の男が深く鎮座していた。

ヴァルカ皇国皇帝——『バルバロッサ』。

かつては明君と讃えられた男だったという。だがいま、玉座に座る男の顔には人間らしい温もりは一切なかった。深く刻まれた皺、落ち窪んだ眼孔、そしてその瞳の奥でギラギラと揺らめくのは、底知れぬ征服欲と狂気であった。

皇帝の右手には、一本の短い金属の棒が握られていた。 長さ三十センチほどの両端が三股に分かれた金剛石の法具。表面には古代の血文字が刻まれ、そこから脈打つように淡く赤黒い光が放射されている。

それこそが、この国を狂気に陥れた元凶——『アスラの独鈷』であった。

「……ふははは! 素晴らしい! 明日にはさらに一万の兵が『戦神の試練』を乗り越え、我が軍に加わる! 大陸全土が我が足元にひれ伏す日も近いぞ!」

皇帝が掲げた独鈷から、一際強い朱色の波動が放たれ、広間全体の将校たちが「皇帝陛下万歳!」「絶対の勝利を!」と狂喜の叫びを上げた。

その狂乱の宴の片隅に、二人の人物が控えていた。

「……次、出番だぞ。病弱な語り部一座」

城の兵士に促され、ルーヴェンとエレナは大広間の中央へと歩み出た。

豪奢な空間の中で、薄汚れた外套を着た青白く痩せこけた男と、素朴な旅装の少女はあまりにも異質であった。将校たちから「何だあの貧相な奴らは」「宴の余興か?」と嘲笑の声が上がる。

ルーヴェンは恭しく一礼すると、わざとらしく「ゴホッ! ゴホッ!」と胸を押さえて激しく咳き込んで見せた。

「……皇帝陛下、ならびに勇猛なる将軍の皆様方。……わたくしは旅の語り部、ルーヴェンと申します。今宵は陛下の偉大なる『聖戦』を讃え、古代の英雄の伝承をお聞き届けいただきたく……」

すかさず隣でエレナが、心配そうにルーヴェンの背中を擦り、水筒の水を差し出す。そのあまりにも痛々しく無害そうな姿に、皇帝は興味深そうに目を細めた。

「ふん……見るからに病み衰えた面衰えよ。良い、語ってみよ。我が偉業に相応しい誇り高き伝承であろうな?」

「……はい。我が国に伝わる……『神を打ち倒した破滅の金剛』の物語にございます」

ルーヴェンは懐から黒檀の横笛を取り出すと、静かに唇に当てた。

——ピーーーーー……。

澄んだ、しかしどこか異様につめたい音が広間に響き渡る。 ルーヴェンが奏でたのは、昼間の『誘引の呪言』ではない。聴く者の精神のガードを強制的に引き下げ、記憶と感情の深層へと介入する禁忌の呪律——『鎮魂呪律・幻夢(ちんこんじゅりつ・げんむ)』であった。

「……ぬ……?」 「何だ、この音は……体が……重い……」

宴で騒いでいた将校たちの酒杯が、次々と手から滑り落ちた。 独鈷によって強制的に引き上げられていた兵士たちの昂揚感が、横笛の音色によって急速に冷やされ、急速な疲弊と眠気が襲いかかってきたのだ。一人、また一人と、巨漢の将軍たちまでもが床へと崩れ落ちていく。

「な、なんだと……!? 貴様、何をした!?」

皇帝バルバロッサは異変を察知し、激怒して玉座から立ち上がろうとした。 しかし、彼自身の身体もまた、長年の独鈷の使用による激しい疲労と呪律の前に、言うことを聞かなくなっていた。

ルーヴェンは横笛を静かに懐へと仕舞うと、咳き込むフリをやめ、ゆっくりと背筋を伸ばした。

その瞬間——。 青白く病弱だった青年の佇まいが、一変した。

病弱な佇まいの下に隠されていた、二千年の歳月を生き抜いてきた『神殺しの不老不死』の絶大な圧力が、大広間全体を支配した。

「……余興は終わりだ、愚かな皇帝よ」

ルーヴェンの低く冷徹な声が、静まり返った広間に響く。

「ひっ……! 貴様……病人のフリを……! 護衛! 護衛はいぬか!!」 皇帝が悲鳴を上げながら『アスラの独鈷』を掲げる。

「出よ、戦神の威光! この不遜なる虫ケラを噛み殺せ!!」

独鈷から、波打つような圧倒的な朱色の衝撃波が放たれた。城壁をも容易く打ち砕く、戦神の狂気と破壊の波動。それが真っ直ぐにルーヴェンとエレナへと迫る!

「ルーヴェン様!?」 エレナが叫ぶ。

しかし、ルーヴェンは逃げることも、避けることも受けて立つ構えすら見せなかった。 彼はただ、ゆっくりと右手前にかざし、淡々と一言呟いた。

「——『呪性相殺(じゅせいそうさい)』」

ドオンッ!!!!

激しい衝撃音が響き渡った。 だが、皇帝が放った絶大な破壊の波動は、ルーヴェンの手に触れた瞬間、まるで打ち上げられた波が砂に吸い込まれるかのように、影も形もなく消滅してしまった。

「な……なに……!? 聖遺物の力が……消えた……!?」 皇帝が絶望に目を剥く。

ルーヴェンは一歩、また一歩と玉座の段上へと足を進めた。その黒い瞳には、激怒も憎悪もなく、ただ圧倒的な『虚無』が宿っていた。

「愚かだな、バルバロッサ。神の具現たる聖遺物を手に入れ、世界の覇者となったつもりだったか? ……お前が握っているのは力ではない。自らの国と民を食い荒らす、おぞましい『寄生虫』に過ぎん」

「う、うわあああッ! 来るな! 来るな化け物!!」

恐怖に狂った皇帝が、独鈷を振り回して襲いかかってくる。 ルーヴェンはその腕を、まるで赤ん坊の腕をあしらうかのように易々と掴み取った。

「ぐあッ!?」

ルーヴェンの指先から、黒い古代文字の呪印が滑り出し、皇帝の手首から『アスラの独鈷』へと侵入していく。

「二千年の間、俺がどれだけの聖遺物を破壊してきたと思っている。……この程度の戦神の呪い、俺の肉体に溜め込まれた『不老の呪性』に比べれば、ただの清よ」

ルーヴェンが力を込めると、皇帝の手から『アスラの独鈷』が力なくこぼれ落ちた。

空中でそれを拾い上げたルーヴェンは、両手でその金剛石の法具を包み込んだ。 彼の全身から、赤黒い独鈷の光を遥かに上回る、濃密で禍々しい『神殺しの黒き呪力』が溢れ出す。

「——砕けよ、異界の残滓」

バリバリバリッ!!!!

絶対の硬度を誇り、いかなる名剣をも跳ね返すとされた『アスラの独鈷』の表面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。 独鈷は悲鳴のような甲高い金属音を上げ、内側から溢れ出す黒い呪術の光によって解体されていく。

「あ……ああ……我が絶対の力が……我が帝国が……!」 皇帝が床に崩れ落ち、頭を抱えて泣き叫ぶ。

次の瞬間——パリンッ! という澄んだ音とともに、『アスラの独鈷』は眩い朱色の粒子となって爆発し、夜の空気に溶けるように消え去っていった。

城全体を覆っていた不気味な朱色の霧が、潮が引くように急速に薄れていく。 兵士たちや市民たちを縛り付けていた『狂気の毒気』が消滅した瞬間であった。

「……ふぅ。ゴホッ、ゴホッ……! やれやれ、骨が折れる」

聖遺物を打ち砕いたルーヴェンは、一瞬で『病弱な旅人』の顔へと戻り、胸を押さえて激しく咳き込んだ。

「ル、ルーヴェン! 大丈夫ですか!?」 エレナが駆け寄り、心配そうにその背中を支える。

「……問題ない。聖遺物の核を破壊しただけだ。……これで、この国が狂気で滅ぶことはなくなった」

ルーヴェンは倒れ伏す皇帝と、正気を取り戻し始めて困惑する将校たちを一瞥すると、エレナの手を取った。

「行くぞ、エレナ。騒ぎが大きくなる前に退散だ」

「はいっ!」

崩壊した聖遺物の余韻が残る大広間を後にし、二人は夜の闇へと滑り出していった。

◆

翌朝。 帝都アウレリアの都には、雲間から差し込む温かな太陽の光が降り注いでいた。

狂気の呪縛から解き放たれた人々は、まるで長い悪夢から覚めたかのように顔を見合わせ、自分たちが犯そうとしていた過ちと、取り戻された平和のありがたさに涙していた。狂乱の戦争計画は白紙となり、皇国は平穏を取り戻しつつあった。

その帝都を遠く見下ろす小高い丘の上。

エレナは、隣で呆然と空を見上げるルーヴェンに尋ねた。

「……ルーヴェン。一つの国を救ったのですから、もう少し感謝されても良かったのではありませんか?」

「バカを言え。感謝などされたら『語り部』の旅が台無しになる。俺たちは陰で静かに壊し、去るだけだ」

ルーヴェンは素気無く言うと、懐からあの『界の羅針盤』を取り出した。

羅針盤の針は、ゆっくりと回転を始め——やがて、空中に青白い光の円環(ゲート)を描き出した。この世界のどこでもない、全く別の『他世界』へと続く空間の歪み。

「……羅針盤が指し示した。次の聖遺物は、別の世界だ」

「異世界……ですか?」 エレナが目を輝かせる。

「そうだ。……準備はいいか、修道女。ここから先は、世界の理すら異なる未知の領域だ」

「はい! どこまでもお供します、ルーヴェン!」

エレナは力強く頷き、しっかりとルーヴェンの隣に並んだ。

病弱なフリをした二千歳の不老不死と、奇跡の宿命を抱く元聖女。 二人の世界を渡る壊世の旅路は、いま新たな世界へと向かって踏み出されたのであった。

(第六話 完)

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