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聖遺物探索周遊記 ~病弱な語り部と神殺しの呪法。千の世界を渡る壊世の旅~  作者: まーサンタ


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第三話:夜の密会と、打ち砕かれた静寂

 月光が青白く澄み渡る夜であった。

大修道院の最奥に位置する聖堂で、エレナは昨日と同じように膝をつき、胸の前で深く手を組んでいた。 静寂が満ちる空間。しかし、今夜の彼女の心は、いつものような凪いだ静けさを取り戻せずにいた。

祈りの言葉を唇で紡ぎながらも、脳裏に揺らめくのは昼間に見かけたあの青年の姿だった。

青白い肌に、苦しそうな咳。いつ倒れてもおかしくない病弱な佇まいでありながら、その瞳の奥に宿っていた途方もない深遠さ。そして彼が語った、太古の聖遺物に纏わる恐ろしい伝承——。

『奇跡とは、タダで与えられるものではない。世界の理を歪める聖遺物には、必ず相応の歪みが宿る』

(……あの人は、一体何者だったのかしら)

胸元に触れる『パナケイアの雫』が、冷たく、だが確かに脈打っている。 両親の命を奪い、己の運命を歪めたこの水晶の輝きを見るたび、彼女の心には消えない痛みが走る。青年の語った言葉は、まるで彼女の抱える暗い苦悩をあらかじめ知っていたかのように、深く胸へと刺さっていたのだった。

その時だった。

トントン、と。

静まり返った聖堂の重厚な木造扉から、控えめなノックの音が響いた。

「……え?」

エレナは弾かれたように顔を上げた。 時刻はすでに深夜を大きく回っている。警護の聖騎士たちが交代で見張りを立てているはずだが、この時間帯に聖堂へ入ってくる者は通常いない。

「こんな夜更けに……? どなたですか?」

エレナが困惑混じりの声をかけると、扉の隙間から、聞き覚えのある少し掠れた低く柔らかい声が返ってきた。

「……夜分遅くに申し訳ありません、修道女様。……ゴホッ、ゴホッ」

痛々しい咳払いとともに、扉がゆっくりと開く。 月光に照らされて姿を現したのは、薄汚れた外套を深く羽織った青年——昼間の語り部、ルーヴェンであった。

「あなた……昼間の語り部さんの……」

「ルーヴェンとお呼びください。……申し訳ありません。旅の者ですが、明日にはこの街を発たねばならず、その前にどうしても一言、神への祈りを捧げたく思いまして。無理を押して立ち寄らせていただきました」

ルーヴェンは胸を押さえながら、どこか弱々しく頭を下げた。青白い肌に落ちる影が、彼の病弱さをいっそう強調している。

エレナは一瞬躊躇したが、昼間の彼の穏やかな雰囲気を思い出し、そっと胸を撫で下ろした。外にいるはずの護衛たちが咎めなかったのは、おそらく彼があまりにも無害そうに見えたからだろう。

「そういうことでしたのね……。ええ、神はどのような者であれ、祈りを捧げる者を拒みません。どうぞお入りください」

「感謝いたします」

ルーヴェンは静かに聖堂へと足を踏み入れた。 彼は腰から古びた小瓶を取り出すと、そのフタを開け、掌に少量の清らかな水を注いだ。そしてその水で両手を静かに清めると、深く一礼をして神像の前へと進み出たのだった。

エレナはその様子を隣で見ていたが、ふとある異変に気づいて首を傾げた。

彼が清めに使った小瓶。それは手のひらに収まるほどの、ごく小さなガラス瓶だった。しかし、彼が手にたっぷりと水を垂らしたあとも、瓶の中の水位はわずかも減っていないように見えたのだ。

「あの……余計なお世話かもしれませんが」

エレナは気遣うように声をかけた。

「長旅で飲み水が足りていらっしゃらないのでは? その小さなお瓶では、すぐに水が尽きてしまいそうですが……よろしければ、聖堂の水甕からお水を足していってくださいな」

修道女らしい親切心からの言葉だった。 しかし、ルーヴェンは祈りを終えてゆっくりと振り返ると、薄く笑みを浮かべて首を振った。

「ご親切にありがとうございます、修道女様。……ですが、その心配は無用ですよ」

ルーヴェンは小瓶を傾け、聖堂の石畳の上にトポトポと水を零してみせた。澄んだ水が流れ出る。だが、いくら流しても、小瓶の中の水は溢れ出るばかりで、一滴たりとも減る気配がなかった。

「……え?」

エレナは目を丸くした。

「この小瓶の水は、どれだけ使おうと永久になくなることはありません。……なにせこれは、あなた様が首から下げているペンダントと同じ——『聖遺物』なのですから」

静かな声で告げられた事実に、エレナの全身の血液が一瞬で凍りついた。

「ッ……!? あなた……今、なんと言いましたの……!?」

エレナは弾かれたように後退りし、反射的に胸元の『パナケイアの雫』を両手で隠した。 彼女が「聖女」であり、極上の聖遺物を所持していることは、聖教国でもごく一部の人間しか知らされていない絶対の機密だ。単なる旅の語り部が、なぜそれを知っているのか。

ルーヴェンは静かに小瓶のフタを閉め、外套の中に仕舞い込んだ。

「『罔象女神の清水(みつはのめのかみのきよみず)』……そう呼ばれる小さな聖遺物です。どんな枯渇した土地であっても、汲み尽くせぬ湧き水を与え続ける恵みの具現。……私にとっては、手の汚れを洗う程度の道具でしかありませんがね」

「な……なぜ……私のペンダントが……」

エレナの声が震える。 昼間の優しげな旅人の面影は消え去り、ルーヴェンの佇まいから滲み出る「何か」に、圧倒的なプレッシャーを感じていた。彼は病弱に見える。今にも倒れそうだ。それなのに、その全身から溢れ出る圧倒的な存在感は何なのか。

エレナの脳裏に、最悪の可能性が浮かび上がった。 自分を狙う闇の組織。両親を殺した掠奪者たち。彼もまた、自分とこの『パナケイアの雫』を奪いに来た刺客なのではないか、と。

「まさか……私の命を狙いに来た刺客なのですか!? この雫を奪うために……っ!」

エレナは必死に息を整え、警戒の露を露わにした。いつでも悲鳴を上げ、外の聖騎士たちを呼べるように喉を詰まらせる。

だが、ルーヴェンは襲いかかる素振りも見せず、ただ哀しげに目を細めた。

「——違います」

彼は静かに首を振った。

「いえ、私……いや、俺は……」

青年の口調から、先ほどまでの丁寧な装飾が消えた。 その一瞬、ルーヴェンの瞳に宿ったのは、二千年の長きにわたり世界を一人で歩み続けてきた者だけが持つ、果てしない孤独と倦怠の影だった。

「俺は、お前の命も、そのペンダントも奪うつもりはない。俺の目的はただ一つ……世界を揺るがす狂気の遺物を封印し、あるいは打ち砕くことだ。お前がその奇跡に囚われ、滅びの運命を辿る前に——」

言葉の意味を、エレナが反芻しようとしたその時だった。

——ガシャアアアアンッ!!!!

悲鳴のような破壊音が、聖堂全体に激しく轟いた。

「くっ……!?」

静寂を切り裂いたのは、色鮮やかな光を放っていた背後の巨大なステンドグラスの崩壊だった。 月光を背に、無数のガラスの破片が星くずのように飛び散り、聖堂の床へと激しく降り注ぐ。

「きゃあああッ!?」

エレナが悲鳴を上げて顔を覆う。 衝撃波とともに、黒い装束に身を包んだ複数の影が、割れたステンドグラスの枠を潜り抜け、羽虫のように聖堂内へと躍り込んできた。

「ハハハ! 見つけたぞ、聖教国の隠し聖女!!」 「『パナケイアの雫』は我ら『黒の蛇』がいただく!」

鋭い殺気を撒き散らす覆面の男たち。その手に握られているのは、禍々しい紫色の毒気を孕んだ曲刀だった。闇の組織——エレナの命と聖遺物を狙い続けていた刺客たちが、ついにこの聖域へと侵入を果たしたのだ。

「聖女を守れッ!! 刺客だ!!」

外で見張りをしていた聖騎士たちが異変に気づき、重厚な扉を押し破って飛び込んでくる。しかし、刺客たちの一人が懐から黒い球体を投げつけると、聖堂内に爆発的な煙幕と暗黒の結界が広がり、騎士たちの視界と動きを完全に奪った。

「グハッ!?」 「くそっ、目が……! 身体が動かん!」

倒れ伏す聖騎士たち。 無防備となったエレナの目の前まで、曲刀を構えた刺客の頭領が迫っていた。

「終わりだ、聖女! お前の血と雫で、我らの主を呼び覚ます!」

凶刃が、月光を反射して冷たく閃く。 エレナは恐怖に目を剥き、その場にすくみ上がった。死の予感が、冷たい手となって彼女の首筋を撫でる。

(お父様……お母様……!)

少女が死を覚悟し、深く目を閉じた——その瞬間。

「——騒々しいな。静かに祈りを捧げる場所だぞ、ここは」

低く、冷徹な声が、目の前で響いた。

ドサリ、と重いものが床に落ちる音がした。 エレナがおそるおそる目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

彼女に襲いかかろうとしていた刺客の頭領が、曲刀を握ったまま、白目を剥いて床に転がっていたのだ。外傷は一切ない。ただ、全身の生命力を一瞬で引き抜かれたかのように、ぴくりとも動かない。

そして、その男の前に立っていたのは——。

「……ゴホッ、ゴホッ! ふぅ……急に動くと、体に毒だな」

胸を押さえ、痛々しく咳き込むルーヴェンの姿だった。

彼の右手には、いつの間にか黒い異形の文字——古代の呪文が、蒼紫色の光となって揺らめいていた。 病弱な旅人を装っていた青年の周りに、常人ならば発狂するほどの絶大な『呪性』の波動が、渦を巻いて広がっていく。

「な、なんだアイツは! 疾く殺せ! 聖女ごと切り刻め!!」

残りの刺客たちが、ルーヴェンの放つ異彩に恐怖を覚えながらも、一斉に襲いかかってくる。

しかし、ルーヴェンは逃げようとも、身構えようともしなかった。 ただ、薄く青白い唇を濡らし、静かに一言呟いた。

「——『死鎖呪詛(しさくじゅそ)』」

パチン、と指を鳴らす小さな音。

次の瞬間、襲いかかった刺客たちの身体から、目に見えぬ「黒い鎖」が溢れ出し、彼ら自身の首と心臓を激しく締め上げた。

「ガッ……!?」 「あ、が……ば……ッ!?」

刺客たちは悲鳴を上げる暇すら与えられず、その場に崩れ落ち、二度と動かなくなった。 わずか数秒。刃を交えることすらなく、一国の精鋭すら苦しめる闇の組織の刺客たちが、全滅したのだ。

静寂が、再び聖堂を支配する。 飛び散ったステンドグラスの破片に、月光が冷たく反射していた。

「……ひ……あ……」

エレナは腰を抜かしたまま、目の前の青年を呆然と見上げていた。 呪術。それも、神聖なる魔法とは対極に位置する、おぞましくも圧倒的な『神殺しの呪法』。

ルーヴェンは落ちていた刺客の曲刀を一瞥すると、再び「ゴホッ!」と大きく咳き込み、素知らぬ顔で外套の襟を正した。

「……やれやれ。これだから、聖遺物の周りにはろくな人間が集まらない」

青年は振り返り、恐怖に震えるエレナを見下ろした。 その瞳には、先ほどまでの病弱な面影など一切なく、二千年の歳月を生き抜いてきた『神殺しの不老不死』の真実の姿が宿っていた。

「言ったはずだ、修道女。俺は命を奪いに来たのではない……お前と、その『パナケイアの雫』に纏わる運命を断ち切りに来たのだと」

月下に立つ病弱な呪術師と、奇跡を抱く修道女。 二人の二千年の交錯する旅路が、破られた静寂の中から、ついに動き出そうとしていた。

(第三話 完)

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