第9話 清さんの持ち主の、壮絶な人生②
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月明かりがカーテン越しにゆらりと降り注ぐ中。
お琴の柔らかい寝息が部屋に響く。
そんな平和な光景とは遠く……宗司さんと妹のお鈴さんのことが気になる。
宗司さんはそれでも――嫌われても仕方ない。
むしろそのほうが、これからお鈴さんが一人きりになった時のためになる。
宗司さんは、そう自分に言い聞かせていたんだという。
けれど、無理が続いたせいで宗司さんの病状はどんどん悪くなっていった。
何度も吐血するほどだったらしい。
――それでも、親戚の人たちは宗司さんを放っておいた。
そして、妹のお鈴さんも、だんだん宗司さんには近寄らなくなっていった……。
そんなある日の正月。
お鈴さんが、宗司さんの部屋に入ってきてしまった。
お鈴さんは、宗司さんのことを「風邪をひいただけ」と親戚から聞かされていた。
でも、畳や布団についた血を見たとき、彼女はすぐにそれが嘘だと気づいた。
そして泣きながら宗司さんに駆け寄ったという。
けれど――宗司さんは、そのお鈴さんを突き飛ばした。
宗司さんに抱きついたことで、血に濡れた小さな手……。
それでもなお、涙を流しながら抱きついてくる妹を振りほどき、立ち上がった。
そして――。
『――二度と俺の前に現われるな!!』
そう言って、障子を閉めてしまったのだ。
障子の向こうで泣き叫ぶ妹の声を、両手でふさいで……。
宗司さんは何度も何度も、小さな声で「……すまない、すまない」とつぶやき続けていた――。
『正月三が日が過ぎた頃でした……宗司さんは何を思ったのか、皆が寝静まった夜、雪の降りしきる庭に草履も履かず外に出て、月を仰ぐと吐血し……それでも月を仰ぎ続けた……。それは足元が真っ赤になるほどの血です』
「……」
『それが宗司さんが最後に見た光景でした……。最後まで妹のお鈴を突き放すことで結核が移るのを阻止し、そうすることでしか妹を守ることが出来なかった宗司さんは……誰にも看取られること無く息を引き取ったのです』
「……なんだよ……それじゃまるで生きた意味が……無いじゃないかっ!」
――壮絶な人生だと思った。
目の前にいる清さんは、俺と年も変わらない。
それなのに……それなのに、なんでこんなにも過酷な人生を――っ!
「……お鈴さんはその後は……どうなったんだ?」
『……建材が倒れてきて下敷きとなり、まだたったの五歳だったのに……最後まで可哀想な死に方でした』
「……なんで、そんな……」
――五歳。
その数字だけが、胸の奥にずしりと沈んだ。
何を言えばいいのか、胸が苦しくて分からなかった。
続けざまにそんな悲劇……。
五歳……といえば、お琴と同じ年だ。
だから清さんは、お琴を見るたびに時々あんな表情をするんだ。
悲しげな……やるせない、そんな目で。
……ふざけるなよ、そんなの……っ!
言葉にならない怒りが、喉の奥で滲むような熱を持った。
指先が、じんわりと汗ばむ。
『宗司さんの本当の願いは、お鈴さんと一緒に幸せになることでした。一緒に散歩して、一緒に街に行き、お鈴さんが欲しいという物を買ってあげると言う、そんなささやかな願いです』
当たり前に願って良い思いすら、叶わなかった。
白くなった俺の両手は……俺は怒りと言い様のない痛みと怒りに震えた。
あの時代の宗司さんには、どうしようもなかったんだろう。
――そして、お鈴さんだって、本当はもっと兄に甘えたかったに違いない。
胸の奥が、誰かにぎゅっと握られたみたいに痛んだ。
『悲しげな顔をなさらないで下さい。僕は今、宗司さんが叶えられなかった願いを僕が代わりに叶えているような気分なのです』
「清さん……」
『だってそうでしょう? 好きなだけ本が読めて、元気なお琴さんがいて……お琴さんが甘えてきてくれる姿は本当に僕にとっては幸福なんです。宗司さんがお鈴さんにしてやれなかっただけ甘えさせたいと思ってしまうのは我が侭でしょうか?』
必死な表情で訴える清さんに、俺は首を横に振った。
「我が侭じゃ……ないよ」
(――それで清さんが幸せになれるなら、それでいい)
思いのまま伝えたんだ。
すると清さんは、やっと――ようやく、微笑んでくれた。
『僕は貴方に見つけてもらい幸せです。こんなにも幸せになれるなんて……想像すらしていませんでした』
「俺も清さんを見つけることが出来て良かったと思ってるよ」
『〝今の幸せ〟を見て救われたいのです』
顔を見合わせて、ふっとお互いに笑う。
清さんの表情は、年相応のやさしい笑顔だった。
……静かな時間が流れる。
月明かりが優しく照らす部屋の中で、お琴の寝息だけが静かに響いていた。
そんな寝顔を、清さんは兄のようなまなざしで見つめていた。
――それからの清さんは、お琴を庭に連れて花を眺めたり、雨の日には部屋で絵本を読み聞かせたり。
そんな姿を、俺はよく見かけるようになった。
ヒイラギと懐中時計を使った治療も、少しずつだけど進んでいる。
清さんの体もある程度は動くようになって、ずいぶん楽になったと言っていた。
依り代である眼鏡も少しずつ直ってきている。
きっと、心の方も回復してきているんだと思う。
「清さん、元気になるといいな」
俺が呟くとヒイラギが肩にとまり、二人の方をじっと見つめた。
『それほど遠くない時、清殿は直ることだろう。心が満足すれば自然と依り代も直ることが出来ると暁様と宵様は申しておられた。我が主は優しい心を持っている。それは我にとっては幸福なこと』
「……良かった。ありがとな、ヒイラギ」
『我に優しい所も、忠誠を誓える魅力である』
嬉しげに語るヒイラギの頭を撫でながら、俺はふたりを見つめた。
清さんがいま感じている幸せが、ずっと続くといいなと思った。
……幸せの形は、ひとつじゃない。
人それぞれ、いろんな形があっていいんだと俺は思う。
――けれど、その時の俺たちはまだ気づいていなかった。
清さんの幸せをよく思わない〝何か〟が。
カーテンがふ、と揺れた。
風ではない、何か別の気配で。
妬みや怨みを募らせて、もうすぐそこまで来ていることに――。
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