第38話 千手観音様の導きと覚悟
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森田が去ったあとの昇降口は、まるで深夜の廃校みたいに静かだった――。
息を整えようとしても、胸が重い。
少し視界が揺れる……。
これは、ただの疲労じゃない。
〝灯が削れた〟というヒイラギの言葉が、じわじわ実感として身体に残っている。
『主……大丈夫か?』
「……なんとか、な」
壁にもたれたまま深呼吸をした瞬間――。
視界の端に、ひらりと赤い何かが落ちた。
――花びら。
それも、真紅の曼珠沙華の花片だった。
「……ここ、校内だよな」
花が舞うような場所じゃない。
風もないのに、複数の花びらがふわりと浮いたり沈んだりしている。
『主、気を張れ……。これは〝あちら側の気配〟だ』
「千手観音様……なのか?」
ヒイラギは小さく首を振り、ふわふわと浮いたり沈んだりする花びらを見つめる。
だが、清らかな空気を感じるのは確かだ。
森田がいた時は周り全部から攻撃されているような威圧感があったのに……。
『まだ確証はないが……〝高位のもの〟であることは間違いない』
そのとき――視界が音もなく暗くなった。
照明が落ちたわけでもない。
ただ、一瞬だけ〝世界が静止した〟ような感覚に包まれる。
足元がわからない程の闇。
――俺は思わず身を強張らせた。
すると、空気の中にすっと一本、光の糸のようなものが流れ込んでくる。
音ではなく、声でもなく。
けれど、確かに〝誰か〟の意思が、胸の奥へ触れてくる。
『――灯を粗末にするでないぞ、光一』
自分の中に、直接注ぎ込まれるような声音。
優しいのに、一切逆らえない。
まるで、深い湖の底で聞こえる響きのようだった。
「千手観音様……?」
小さく呟くと、赤い花びらがふわりと風になって舞った。
『そなたの灯は、まだ揺らぎやすい。〝鬼の欠片〟に触れれば、一吹きで消えよう』
「……森田の、あの影か」
『あれは〝成り損ね〟。人の欲、焦燥、嫉妬に寄り添い、強くなる。しかしまだ鬼ではない。だが――そなたが力を乱すならば、あれは真に〝鬼へ育つ〟』
――途端……ぞわり、と背筋が凍る。
(……俺があいつを〝鬼〟に育ててしまう……?)
『灯は刀にもなり、呪にもなる。使い方を誤るな。さもなくば、そなたの寿命だけでなく……周りの灯も巻き込む』
「周り……って、小林や……森田も?」
花びらがふっと消える。
……代わりに、冷たい風が頬を撫でた。
『光一。今のそなたでは荷が重い……。既に最近二つの魂を送ったばかりで心身共に完全ではない。ゆえに、今回は私が手を貸す。だが〝選ぶのはそなた〟だ』
「選ぶ……?」
『森田を救うか。……森田を、送るか』
――その言葉に、呼吸が止まった。
『忘れるでない。灯はただひとつ。そなたの命は、たった一度きり。――よく考えるのだ、光一』
次の瞬間――世界がスッと通常の明るさに戻った。
昇降口には誰もいない。
赤い花びらも消えていた。
『主……今のは……』
「あぁ……観音様の……〝警告〟と……〝悲しみ〟だ」
胸の奥がひやりと締め付けられるような。
涙が出そうなほど静かな悲しみが、俺の感情を揺さぶってくる。
(森田を……救うのか。それとも……)
〝送る〟という言葉の重さに、喉がひりついて歯を食いしばった。
◇◇◇◇
――その夜、俺は一睡もできず布団の上で天井を見つめていた。
(……救うのか……送るのか……)
観音様の声は何度も頭の中を巡り、胸の奥に重く沈む。
「……森田を……送る……?」
言葉にしてみると、思っていた以上に重かった。
あいつはムカつくし、調子に乗るし、動画のためなら平気で人をネタにする。
それでも……ただの〝友人〟だった。
だが今は――。
『死ぬ時の顔、絶対バズるわ』
……あの時の森田の表情を思い出すだけで、胸がぎゅっと冷える。
『主、眠れぬか』
枕元でヒイラギが丸くなり、こちらを見上げている。
「……森田が、まだ完全に〝向こう側〟に行ったわけじゃないなら……救えるのかな」
『救える可能性はある。しかし、今の段階で一人で黄泉送りをすれば、それは主の灯を大きく削ることにもなる』
「俺が死ぬってことか」
『……ああ。そして森田もまた〝鬼〟となる』
ヒイラギは悲しげに目を伏せた。
『それに、〝鬼の欠片〟の力は、森田が望んでいるからこそ大きくなっている。あれは……甘く、都合よく囁き、寄り添う存在。孤独な者ほど、魅入られる……』
ふと、森田の〝動画の再生数に酔った顔〟が浮かんだ。
数字が全て――。
あれが――影に〝寄り添われた〟結果なのか。
(……あいつ、一人で……)
――その時、スマホが震えた。
着信も通知も何もない。
ただ……画面に勝手にメッセージアプリが開かれた。
【柳原】という俺の名前の欄に、黒い文字が一行だけ浮かんでいた。
【――明日、校舎裏で待ってる】
「……森田か?」
スマホは、ただ沈黙している。
電波では説明がつかない。
スマホの画面には、もう何も表示されていないのに、背筋に冷たい汗が伝う。
『主……罠だぞ』
「わかってる」
でも、行かないわけにはいかない。
森田がこのまま〝鬼〟に育つ前に――会わなければ。
『主……覚悟を決めるには、まだ早い』
「いや、決めたよ」
ヒイラギが目を閉じ小さく震える。
それに、森田をあのままにしていれば、いずれお琴や清さん、そして桔梗さんも危険に晒される可能性だって否定できない。
皆を食われたら……俺は、俺でなくなる気がするんだ。
……森田と小林と一緒に帰った日の夕暮れを、ふと思い出す。
テストの点数見せ合ってバカにし合ってたあの日……。
あの時は……こんなことになるなんて、思いもしていなかった。
『主……千手観音様の導きがあるとはいえ……森田殿を〝救う道〟も〝送る道〟も……どちらも地獄だ……』
「わかってる。皆のためにも明日、森田と話す。……俺は逃げない」
『……主の選ぶ道に、我は従うのみ……』
その言葉を聞いた時、胸の奥にひとつだけ、確かな火が灯るような感覚があった。
(森田……。お前をどうするのか。俺が決める)
息を吐き、目を閉じる。
長い夜が、ゆっくりと明けていく。
遠くの校舎の方角から、誰かの笑い声がした気がした。
そして――決戦の日が、やって来る。
楽しんでいただけていたらいいんですが……(;´Д`)
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